“Twitter”上にツリー形式の東京物語を連投し、現代人の抱える葛藤を巧みに描く麻布競馬場。

“タワマン文学”という新しいトレンドを生み出した彼による、東京カレンダーのエリア特集と連動した短編小説シリーズがスタート!

第二弾の舞台は、彼が夜遅くに絶品麻婆豆腐を求めて訪れるという「青山」だ。

【「麻布十番」を舞台にしたエッセイ第一弾はこちら!】
vol.01 「東麻布は麻布十番じゃない」と言う女。


vol.02 港区おじさんと、22時の麻婆豆腐。



夜中にインスタを見ていると、麻婆豆腐の写真が流れてくることがある。

投稿の主はほぼ例外なく知り合いの港区おじさんたちで、どういうわけか彼らは、夜中に進んで麻婆豆腐を食べたがっているようだった。

それはもしかすると、休日だろうが平日だろうが夜中まで遊んで、その上〆に麻婆豆腐を平らげるくらいに頑丈な体を40歳を超えても持っているということが、港区おじさんであることの絶対的な資格のひとつなのかもしれないし、あるいは「夜中にいきなり訪問して、アラカルトで旨い麻婆豆腐を頼めるお店」を知っていることが、彼らにとって何かしらの勲章みたいなものであるのかもしれない。

今回はそんな「麻婆豆腐おじさん」のひとり、僕が敬意を込めて「村上先輩」と呼ぶ男の話をする。

村上先輩は渋谷の氷川神社のあたりで生まれ育ち、早稲田大学を経て赤坂の広告代理店に入り、そこでカンヌやら何やら有名な賞をいくつか獲ったのち独立。今は外苑前のあたりで立派なオフィスと、20人ほどの優秀なクリエイターや営業を抱えている。

40歳独身。僕が覆面作家としてデビューする前からうっすらと知り合いで、最近はよく夜の港区をあちこち連れ回してくれている。

彼はまったくもって典型的な港区おじさんだった。

青山の高級マンションの2LDKに住んでいて、余している部屋には収集しているスニーカーの箱や現代アートが乱雑に置かれている。

趣味はグルメと社交。六本木ヒルズの向かいの会員制サウナにもよく行く。小太りで丸刈り。黒縁メガネの奥の目をクシャッと崩して笑う彼に、みんなすぐ心を許した。僕もそのひとりだった。

「今何してる?」と、その日の21時過ぎにラインを送ってよこしたのは、例によって村上先輩だった。先月半ばの日曜のことだった。

僕はつい出来心で、中目黒のマンションの内覧に行ってから近くの立ち飲みビール屋でクラフトビールを何杯か飲み、さて今日のお酒はどこで〆ようかと悩んでいたタイミングだったから、取り急ぎ「どこ行けばいいですか?」と返信した。この時間のラインなんて、飲みの誘いに決まってる。

「22時の港区で一番旨い麻婆豆腐を食わせてやる」

新たに届いた自信満々のラインを見て、僕はニヤリと笑った。そういえば彼は、インスタで「深夜の麻婆豆腐おじさん」をやっているひとりだった。

彼がいつも夜中にアップしている、いつも同じお店のものらしい麻婆豆腐の写真には、まるで「どの店か当ててみろ」とでも言わんばかりに、店名に関するヒントが一切載せられていなかったから、僕はその麻婆豆腐のことがずっと気になっていたのだった。


「来づらいのがいい」青山という街を体現したような中華料理店へ


それで、指示されるがままに向かったのが『乃木坂 結』だった。青山霊園の向かい、国立新美術館を越えて少し行ったところにある。

21時半の少し手前、お店の入口で「すみません、村上の連れです」と名乗った僕を迎えてくれたメガネの女性の顔には見覚えがあったので驚いた。『広尾はしづめ』の真理子さんだ。

僕が社会人になったばかりの頃にハマって何度か再訪し、両親との食事会でも利用させてもらった同店でサービスをやっていたのがこの真理子さんだった。

聞くと、料理長と一緒にその後独立し、2021年から“結”を始めたのだそうだ。

「なんだ、真理子さんのこと知ってたのか」。村上先輩は、後輩の悪くないセンスを喜んでくれているようだった。

ただ、「そうだとしたらなおさら、ここの店のオープンを追えてなかったのはお前の大失点だな」と言われると立つ瀬がなかった。




村上先輩はこのお店がオープンしたばかりの頃からの常連のようで、真理子さんは「いっつもこんな遅い時間ばっかりに来て!閉店時間の23時になったらたたき出しますからね!」と楽しそうに説教しながら、村上先輩の好きな甲州ワイン「キスヴィン」をふたつ並んだワイングラスに注いでくれた。

ワインに合わせて、おそらくは前菜盛り合わせの構成員だったであろう小皿料理三種ほどと、それから名物の「ピータン豆腐」も出してくれた(ただのピータン豆腐ではないから、ぜひお店で試してほしい)。

「しかしどうして、青山のあたりってこうも来づらいんですかね」と僕は開口一番、立地に関する軽口をたたいた。

中目黒からここに来るには、この時間になると混雑しがちな八幡通りから六本木通りへとタクシーで抜けるか、それか日比谷線で六本木駅まで行ってから10分ほど歩くのが推奨ルートだとグーグルマップは言っていた。

「来づらいのがいいんだろうが、青山は」と村上先輩は言い返してくる。

確かにそうかもしれない。六本木にも、渋谷にも、丸の内にもすぐに出られる立地。北側には赤坂御所の濃密な緑を抱え、あちこちの細い路地の奥には、他ならぬこの“結”のような、知る人ぞ知る小さな宝石みたいなお店がひしめいている。

青山は、青山をよく知る人たちのための街だ。よく働き、よく遊び、それでタクシーで家に帰る前に「すみません、やっぱりそこを左折で」とか言って、自分の家まで数分歩けば帰れる気心の知れたお店に寄って、騒々しい一日の余韻にひとり静かに浸る。

きっとその時間帯のそのお店には、自分と同じような人たち-港区あたりでよく働き、よく遊び、そして文字どおりの「ホーム」である青山に帰ってきた人たちが集まっている。

マンションの隣人の顔を一応知ってはいるが、エレベーターでばったり乗り合わせても図々しく話しかけることはなく、小さく微笑んで会釈をひとつだけするような、心地よい温かさのある無関心。

それはきっと、青山という街の凛とした品格を体現したような近寄り難さと、しかしひとたび内に入れば、遅い時間に訪ねてきた迷惑な客にもよく冷えた白ワインを供してくれる真理子さんのような優しさの、不思議な掛け合わせが生むものなのだろう。


「旨いですね」と、自然と声が出る。まさに港区、青山らしい麻婆豆腐


村上先輩は、お土産だと言って「白えびビーバー」をくれた。北陸名物の揚げあられ。

昨日のお昼に金沢で地方創生関係のイベントに登壇して、夜はそのまま茶屋街で遊んで、今日の昼過ぎの中途半端な時間に新幹線に乗って戻ってきたものの、一緒に帰ってきた人たちに捕まってまずは麻布十番の鮨屋、次に骨董通り沿いのナチュラルワインバーを経てどうにか解放されて、“結”で残り少ない週末の時間を過ごすことに決めたようだった。

「お前、なんで中目黒なんかにいたんだ。まさか引っ越すつもりじゃないだろうな?」と、村上先輩が見透かしたようなことを言ってくるから、僕はドキリとしてしまった。嘘をついても仕方ないだろう。

「……そうなんです、人生のうちに港区以外で過ごす時期があってもいいかなと思って」と不信心な心の揺らぎを告白しながら、今日内覧してきた中目黒のマンションの14階の部屋をスマホで見せた。

「へぇ、悪くないね」と村上先輩はその物件を儀礼的に褒めてくれた後、「でも、この店の存在を見逃してるうちは、東カレで港区代表みたいな顔して連載をやる立場にないんじゃない?港区を出るための卒検は、まだまだクリアできないよ」といたずらっぽく笑いながら言った。反論の余地は一切なかった。

ちょうどその時、僕が来る前に村上先輩が頼んでいたらしい麻婆豆腐を、ピノ・グリのオレンジワイン「AKATCHA」とともに真理子さんが持ってきてくれた(見たことのないワインばかり置いていると思っていたら、どうも西麻布の『ゴブリン』経由で仕入れているらしいから納得だ)。




悔しさを跳ね返すように、熱さに構わずレンゲですくって口に放り込むと、「旨いですね」と、自然と声が出る。村上先輩は「そうだろう」といやに誇らしげだった。

“結”の麻婆豆腐には派手な個性がない。辛過ぎず、しょっぱ過ぎず、重た過ぎない。ただ、何か足りない、物足りないということは決してない。

口の中で暴れ回り、弾んでいた会話を止めるような下品なことをしない。代わりに、口を衝き動かして「旨いですね」と言わせ、むしろ会話を弾ませる魔力がある。

上品でいて不敵。まさしく港区の、それも青山らしい麻婆豆腐じゃないか。

その日、村上先輩は珍しく酔っていた。どうせ新幹線でも「山崎」を舐めたりしていたのだろう。

「最近な、ずっと同じ場所でぐるぐる回ってる気がするんだ。物理的な話じゃない。まぁ、普段の行動を考えると港区内をぐるぐる回ってるから、物理的な話だったとしても間違いじゃないんだけど……」

まったく順調に見える村上先輩の人生にも、僕が軽々しく推察すべきでない悩みが横たわっているのかもしれない。

美しく整えられた場所にある苦しみほど、外からは見つけづらいものだと、僕も30歳を超えてようやく理解できるようになった。

「でもな」と、村上先輩はワインをひと口飲んで続ける。

「こうやって、夜中に旨い麻婆豆腐が食えるお店を知ってて、そこで友達と旨い旨いって食ってるうちに、まぁ明日くらいは頑張って生きるか、って思えるんだよな。人生ってのは、案外そういう単純な連続のことをいうのかもしれない」

突如として哲学者みたいなことを言い出した村上先輩の話を聞いて、僕たちの隣のテーブルでワインを飲んでいた真理子さんは大爆笑した。

「いやいや、本気でそう思ってるんですって!」と村上先輩は今さら恥ずかしそうに反論していたが、僕もつられて大爆笑してしまった。

気付けば、店には僕たちの他にお客さんは誰もいなくなっていた。時刻も23時を優に回っていた。村上先輩と僕は会計を済ませ、真理子さんに「遅くまですみませんでした!」と元気に謝ってから解散した。

きっと村上先輩は、それでもずっと、これからもずっと、港区をぐるぐる回り続けるだろうという予感があった。

今日のしんみりとした話のことなんて、次会った時には本当に忘れているか、あるいは忘れているフリをすることだろう。そういう人だ。柔らかい笑顔の奥に、強い芯のある人だ。

僕はこうやって、人や街の思わぬ一面が捲れて見える瞬間が好きだ。

僕はまだまだ青山のことを知らない。それは僕にとって、また青山に行くための十分過ぎる理由になる。



次回の書き下ろしエッセイの舞台は、「恵比寿」!10/20発売の東京カレンダー本誌に掲載予定です。


■プロフィール
麻布競馬場 1991年生まれ。著書『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(集英社)が好評発売中。
X(旧Twitter)ID:@63cities