人生には、決断をしなければならない瞬間がある。

どちらの道を選ぶのかで、その後の人生が大きく変わることもあり得るだろう。

美女たちは、これまでどんな選択をしてきたのか、心のうちを覗いてみよう。

眼差しがこちらに向けられるだけで、心を鷲掴みにされるような美しさ。

25歳にして初めてグラビアに挑戦した、遅咲きの天使・天野レナさんの魅力に迫る。



写真をクリックすると、天野レナさん撮りおろしフォトグラビアが多数ご覧いただけます!


遅咲きの美女


天野レナさん、25歳。

抜群のプロポーションと、整った顔立ちが目を引く美女だ。



胸元にドキッとする…。


現在25歳のレナさん。

今春、大手青年誌で初グラビアに挑戦したところ「遅咲きの美女」として大きな話題になった。

レナさんの生まれ育った場所は、静岡県磐田市。田んぼと畑しかない田舎だった。

「好奇心旺盛でした。ピアノ、バレーボール、書道、そろばん。

私がやりたいと思ったことは、なんでも挑戦させてくれる親でしたね」

とくに熱心に打ち込んでいたのは、ピアノだ。

「3歳の頃から、夢中でした。自宅に大きなグランドピアノがあって。小学校の時、放課後になるとまっすぐ家に帰り、何時間でも練習していました」

抜群のプロポーションが育まれたのも、同じ時期だ。

「私、とにかく寝るのが大好きな子どもだったんです(笑)。

食事をしたり友達と遊んだりするより、寝ることを優先していたので。それで発育が良かったのかもしれません」

中学に進学すると、今度はバレーボール部に入った。

「放課後は、毎日バレーボール三昧でしたね。

当時から私、曲がったことが大嫌いで。理不尽なことは、たとえ相手がコーチや先輩でも、正々堂々『それっておかしくないですか?』って意見を言う生徒でした」

レナさんが今でもよく覚えているコーチの言葉がある。

「部活中、コーチの方針にどうしても納得できなくて、ハッキリ反対意見を言ったんです。

そうしたら、『お前は根性の塊だな。意地がすごい』って半ば諦めたように言われました」

バレー部では、エースだったそうだ。

「もともと緊張しないタイプだったというのもあり、大事な試合の一本目のサーブは、常に私が任されていました。バレーは、1セット25点マッチなんですけど、そのうち24点を私が獲ったこともあります」

朝から晩まで練習に励み、最終的に団体で県大会に出場できるほどになった。

「練習は厳しくて本当に大変でした。でも、バレーのおかげで忍耐力がついたり礼儀作法が身についたりしたので、感謝しています」



手足が長くて、スタイル抜群だ。


高校進学後は、一転してダンス部に入る。

毎日ヒップホップを踊り、時には野球部のチアガールも任された。

そんな彼女に転機が訪れたのは、高校1年生のとき。

地元・静岡から東京に行ったときに、芸能事務所から度々スカウトされるようになる。

「ベタなんですけど、原宿の竹下通りで芸能事務所の方に声をかけていただくようになりました」

しかし、当時の彼女は、どちらかと言えば裏方に興味があった。

「ヘアメイクさんやスタイリストさんになりたかったので、芸能のお仕事には興味がありませんでした」

しかし、レナさんの美貌を世間は放っておかなかった。

高校2年生の時、いつものように東京で遊んでいた彼女に、大手芸能事務所から猛アプローチがあった。

「そんなに誘ってくださるなら、少しだけモデルのお仕事をしてみようかなと思うようになりました」

こうして導かれるようにして現在の芸能事務所に17歳で所属が決まると、少しずつ運命が変わっていく。

卒業後は、ヘアメイクアーティストを目指せる専門学校に進学することが決まっていたが、方向転換して上京する。

東京で父と共に暮らしながら、本格的に芸能界に挑戦する日々が始まった。


最後のチャンスは「水着」だった

目を見張る美脚である。


しかし、そこからが苦難の連続だった。

「いざ芸能界に入ってみると、驚きました。

同じ事務所に驚くほど綺麗な子が所属しているし、オーディションには滅多に受からないし。これは、どうしようかなって」

何も知らずに新しい世界の扉を開いてしまったことで、自分に自信が持てない状態が続いたのだ。

振り袖カタログやECサイトのモデルなど、少しずつモデルとして活躍できるようになったものの、「その先」どうやって芸能界で活動していけばよいのか、方向性が見えない。

「『自分なんかダメだ……』って、当時の私はいつも思っていました。

自分の売り込み方もわからないし。

お仕事が軌道に乗るまでと思い、サラダ屋さんでアルバイトもしていました」

将来に悩んだ時は、父親が支えてくれたそうだ。

「弱気になると、父はいつも『レナは世界一かわいい』『がんばれ、がんばれ』と言ってくれました。

その言葉を聞くと、もう少しだけ頑張ってみようという気持ちになれました」



大きな瞳で見つめられると、ドキッとする。


こうして24歳の終わりまで、オーディションを受けたり、モデル業を細々としたりしていた。

一方、同年代の仲間は、タレントとして売れたり、結婚して芸能界を引退したりと自分の進むべき道を見つけて進んでいた。

取り残された気がしたレナさんは「自分には何も誇れるものがない」とどんどん自信がなくなっていく。

その頃「この仕事をやめたい」父に相談したという。

「初めて父が『そんなにやめたいなら、やめて良い』と言ってくれたんです。

これまで応援してくれた父にそう言われると、逆に拍子抜けして、不安になりました。つい、『じゃあ、やめ方を教えて!』と責めるような言葉を返してしまいました」

仕事を続けるかどうかを真剣に悩んでいたレナさんに、担当マネージャーがある提案をする。

グラビアに挑戦してみないか、というものだった。

グラビアは未知の世界だったレナさんだったが、「最後のチャンス」だと思い挑戦してみることにした。

この選択は、まさに彼女の人生にとって大きな決断となる。


ここからが人生の再スタートです

笑顔も最高だ。


そして、大手青年誌にグラビア掲載されるチャンスがおとずれる。

奇しくも、スタッフとの初顔合わせは、彼女の25歳の誕生日前日だった。

「撮影が決まった時は、水着での撮影に迷いはありませんでした。

『最後にマネージャーさんの提案に乗ってみよう』という気持ちのほうが大きかったですね。これで失敗したら、本当にこの仕事をやめようと思っていました」

覚悟をもって臨んだ撮影。

レナさんは、ベストなコンディションで撮影に臨めるように、体作りをすることにした。

「少し、太ろうと思いました。それまでの私は、痩せすぎ。グラビアって、ムチッとしているくらいのほうが、かわいいなって。

もちろん、ただ太るだけではダメです。

筋力は維持したままパーツごとに理想体型になるようにトレーニングしました」

パーソナルジムに通ったり、人気グラビア誌を眺めてはポージング研究をしたりした。

食生活にも徹底的にこだわり、積極的に牛乳を飲み良質な脂肪分を摂取した。

こうして数々の努力を重ね迎えた、水着での撮影当日。

「緊張するかと思いきや、全くしませんでした。スタッフの皆さんが『かわいい』って褒めてくださったおかげです!

カットが重ねるごとに羞恥心も消えて、撮影が終わる頃には、『また挑戦したい』という気持ちが強まっていましたね」



アンニュイな雰囲気もいいね。


人生を賭けた撮影を終えたレナさん。

雑誌の発売日には、いち早く購入するため自宅近所のコンビニに走ったという。

「ドキドキしながら自分のページを眺めて、驚きました。すごく綺麗に、カッコよく撮っていただいていたんです!

自信がなくて悩んでいたことが嘘みたいで、もう『感動』の一言でした。

両親も、すぐに喜びのLINEをくれました。とくに父は私の葛藤を間近で見ていたので、『ここからが本当の勝負だね』って。

父からのメッセージを見て、改めて『ここがスタート地点だ』と気を引き締めました」

数々の葛藤の末、新しい自分に生まれ変わったレナさん。

「やるからには、てっぺんとりたいです」

そう真っすぐな眼差しで語ってくれた。

25歳。

遅咲きのグラビアデビューだが、大きな決断をした彼女の瞳は希望に満ち溢れている。

「もう大人の年齢ですが、セクシーな雰囲気は出せる自信がありません(笑)。

自然光が降り注ぐなか、ビーチでリラックスしたような自分らしい撮影に挑戦してみたいです」

そう言って、はにかむレナさん。

今後の活躍に大いに期待したい!

<今週の美女>
天野レナさん
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<カメラマン>
佐野 円香

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ショートカット美女が登場



天真爛漫、あどけない魅力も感じる。

やや不慣れなポージングもチャーミングだ!

キリッと決まった覚悟の表情!

スラリと伸びた美脚に、思わず見惚れてしまう。

その美しいバストに、つい吸い込まれてしまう…。