恋に仕事に、友人との付き合い。

キラキラした生活を追い求めて東京で奮闘する女は、ときに疲れ切ってしまうこともある。

すべてから離れてリセットしたいとき。そんな1人の空白時間を、あなたはどう過ごす?

▶前回:32歳女が5年付き合った彼との別れを決断。きっかけは、部屋で見つけたあるモノ




Vol.18 デートを早く切り上げて…


桜の薄桃から鮮やかな新緑へと街を染め返した六本木、17時。

都会の濃縮された季節の移ろいを感じながら、私は、六本木ヒルズへ小走りで向かう。

番組制作会社に入社して3年目。入れ替わりの激しい業界で、今年25歳になる私はもう中堅になろうとしている。

新年度の番組やゴールデンウィークの特番準備が重なり、この数週間は、毎日がお祭り前夜のように忙しかった。

深夜残業はもちろん、土日出社もいとわずに番組制作に打ち込んでいた。

― 桜が咲いたと思ったら、一瞬でゴールデンウィークだ。今年も旅行の予定入れられなかったな。

今夜は3月に食事会で出会った、2歳年上の崇くんとディナー。

平日は仕事終わりの時間が読めず、土日は突然ロケが入ったりと、初回デートは連休直前の5月2日までずれ込んでしまった。

― もっと早くにデートできていれば、連休は彼氏と旅行…なんて、行けたかも。

最近の私は、すべてが後手後手に回ってしまう。

それでも今日は早朝から出社して残務に目処をつけ、17時に会社を出ることができた。

六本木ヒルズに着いて化粧室へ入る。

家や職場の鏡で何度も見ているはずの自分の姿だが、出先で「デートに向かう女性」としてあらためて眺めると、違和感がある。

― やっぱりね。もう2ヶ月近く、美容院もネイルも行けていないから…。

デートへの準備が不十分なことは数日前から気になっていたが、仕事の忙しさにかまけて見て見ぬふりをしていた。

細部に煌めきというか、艶やかさが無い。綺麗めを意識してシンプルな白いカットソーにパンツで出社したものの、色味がなくデートのワクワク感に欠ける。

ワンピースでも買いたいと思いエストネーションへ駆け込むが、今日に限ってピンとくるものがない。何度も試着をするのもはばかられ、ヒールだけ新調することにした。

真新しいヒールに足を入れると、背筋がシャンとする。足元が綺麗なだけでも全体が洗練される気がした。

― せっかくのデート。時計とアクセサリーは、きちんとしたものを着けてきてよかった。

ギリギリで取り繕った、女としての自信。

華奢なロレックスの時計とヴァレンティノのピアスに背中を押されるように、私はレストランへと向かう。


「里奈ちゃん。仕事、大丈夫だった?」

「崇くん、久しぶり。なんとか落ち着いたよ。崇くんこそ忙しいなか、今日はありがとう」

六本木ヒルズの裏手にある『ル・ブルギニオン』。ふたりとも仕事だったので、お互い負担のないよう職場近くのレストランで食事をすることになったのだ。

「おつかれさま」

グラスを合わせ、崇くんと初めて目を合わせる。

冷えたシャンパンが喉を抜け、アルコールがじんわりと体に広がるのを感じながら、無事連休を迎えられた喜びを噛み締めた。




崇くんは広告代理店勤務で、同じく忙しい日々を過ごしていたようだ。

髪が伸び、少し輪郭がシャープになった気がする。そして以前会った時には無かった髭が口元を覆っていた。

― 崇くん、なんかセクシーかも。

思わず崇くんに見惚れてしまう。

「あ…ごめん。もしかして、髭苦手だった?」

「ううん!似合ってる…」

私の視線に気づいた崇くんは、目を細めて無邪気に笑った。

「一度家に帰って剃るつもりだったんだけど、時間がなくて。髭面と遅刻、どっちがマシか考えていたら、ますます時間が迫っちゃって…」

お互いに100%準備万全とは言えない状況。

それでいて、ふたりとも今日のデートを楽しみにしてきたことは、照れたような表情から感じられる。

20代半ば、仕事盛りの男女なのだから、準備が万全でないデートは何度もあるだろう。

― それでも楽しいって。それを許し合える関係って心地いいなぁ。




仕事終わりに職場付近での食事ということで、日常の延長になってしまうのではと心配したが、目の前に並ぶ美しい料理はふたりの時間を鮮やかに彩ってくれた。

毛ガニと茄子とアヴォカドのミルフィーユ仕立ての涼やかな美味しさに、自然と口元がほころぶ。

「里奈ちゃん、美味しそうに食べるね」

「ありがとう。本当に美味しいし、食べるの大好きだから、幸せが溢れ出てるのかな」

私は仕事で疲れていたせいか男女の会話というよりは純粋に食事を楽しんでしまったが、崇くんは気にしていない様子だ。

「いいお店だよね。こっちに引っ越してきてからずっと気になってて…かといってひとりでは来づらいし。里奈ちゃんが一緒に来てくれてよかった」

「そういえば、一度帰宅しようと思ったって言ってたけど…崇くんのお家近いの?」

「麻布十番だよ。ここからだと、いい散歩の距離」

「いいなぁ。お散歩の気持ちいい季節だよね」


食事を終えて、21時過ぎ。ふたり並んで歩き、けやき坂の入り口へと差し掛かる。

右へけやき坂を降りれば麻布十番、左へ六本木ヒルズを抜ければ六本木駅だ。

「里奈ちゃん、ここから十番まで散歩しない?外の空気も気持ちいいし、十番まで行くと、気に入ってるお店もいくつかあるんだ」

「お散歩いいね。でも、今日は帰ろうかな。崇くんも疲れてると思うし、またゆっくり一緒にお散歩しよう」

「そっか。まだ一緒にいたかったけど…また近々。次は職場近くじゃなくて、どこか出かけようか!」

「いいね、出かけたい!」

崇くんは私を無理に引き留めることはなく、六本木ヒルズへ入る私が見えなくなるまで笑顔で手を振ってくれた。




崇くんが見えなくなると、ふぅとため息が漏れた。

― やりきった〜!ご飯も美味しかったし。久しぶりのデート、楽しかったな。

仕事をギリギリ終えてなんとか準備を整え、崇くんと過ごした心華やぐ時間。忙しく駆け抜けた春の集大成。最初のデートにしては盛り上がったと思う。

全身を包んでいたほのかな緊張が解けていくのを感じながら、六本木ヒルズ内の階段を一段一段上がっていく。

― 崇くんと会えて良かった。でも決めてたんだ。今夜は一人で過ごすって!

階段を上がるとそこは映画館。

サッと大きなアイスティーを買い、スクリーンへと向かう。

21時半からのレイトショー。終演は深夜になるためか、人はまばらだ。

スクリーン後方の、誰もいない一角に腰を下ろす。劇場全体を見渡せ、かつ誰の目にも入らない、私にとって最も落ち着ける特等席。

映画が始まり、第二次世界大戦後のロンドンの街を行く英国紳士に自身を重ねる。自分の生きる世界とは異なる時代・街へと飛び込み、まったく接点のない人物の視点や人生を疑似体験できるのが映画の魅力だろう。

暗闇の中、疲れ切った頭と身体から意識が離れて、ゆるやかに現実逃避していく。

― ああ、なんて贅沢な時間なんだろう。

上映が終わり薄明るくなった劇場を見渡すと、一人客が多い。それぞれに現実逃避を楽しんだ同志たちと共に、達成感を覚えながら劇場を出た。

時計を見ると24時近いが、地下鉄で蛍光灯に照らされる気分ではない。

終電は逃すことに決め、グランド ハイアット 東京の『マデュロ』へ向かう。




崇くんは素敵だったし、仲良くなりたいと思った。

だからこそ、私は崇くんとの関係を、ゆっくり大切に育てたいと思っている。

今夜彼の誘いに乗って麻布十番へ行ったら、関係を深めることができたかもしれない。

しかし、ただでさえバタバタと詰め込んだ予定をこなしながら生きているのに、恋愛まで詰め込んでなし崩しに進めるのは嫌だった。

今私に必要なのは、自分で自分を甘やかす時間だ。

連日の激務、初めてのデート、頭も体も疲れきっているのに、深夜まで外にいるなんて、人には理解できないかもしれない。

でも、私は、この時間が好きだし、リセットするために必要なのだ。

1杯飲んだらタクシーに乗って、家のベッドに直行する。一眠りして、起きたら生まれ変わる。

一人の時間をくたくたになるまで楽しんで、充電ゼロになってから自分を再起動する。

リセットはこれで完了だ。

スマホの電源を入れると、崇くんからLINEが来ていた。

『里奈ちゃん、今日はありがとう。楽しかった。連休中に、また会えたら嬉しい。』

連休が明けたら、私たちはきっとお互いに忙しくなるだろう。

― 今度は、ちゃんと綺麗にして崇くんに会いたいな。

私は今日のお礼LINEを打ちながら、明日は美容Dayにすることに決めた。

― たっぷり眠って起きたら、コーヒー片手にクロワッサンでも食べて、美容院へ行こうか。スパへ行こうか。時間はたくさんある!

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