「見てはいけないものを、見てしまった…」CAがステイ先のホテルで目撃した禁断のモノ
高度1万メートルの、空の上。
今日もどこかへ向かう乗客のために、おもてなしに命をかける女がいる。
黒髪を完璧にまとめ上げ、どんな無理難題でも無条件に微笑みで返す彼女は「CA」。
制服姿の凛々しさに男性の注目を浴びがちな彼女たちも、時には恋愛に悩むこともあるのだ。
「私たちも幸せな恋愛がしたーい！」
今日も世界のどこかでCAは叫ぶ。
◆これまでのあらすじ
友人の結婚式で医師たちと知り合ったが、ピンとこない七海。そんな七海に食事に行こうと何度も誘ってくる小川。「行くだけ行けば？」という莉里子の言葉に、小川の誘いに応じることにした七海だが…。
▶あわせて読みたい：パリジェンヌが愛する、旅スポット25選！ココ・シャネルも通ったパリの老舗カフェとは？
Vol.4 空の上で生まれた恋
「この間の失言のお詫びだから、なんでも好きなもの食べて」
9月初旬の水曜日。
小川が予約してくれた店は、恵比寿の『創和堂』。リクエストを聞かれ「和食がいいな」と答えた七海のために選んでくれたようだ。
「うーん、穴子の白焼き、絶品ですね！茶碗蒸しも美味しい」
どうせ盛り上がらないだろうから、食べたいものを食べて帰ろうと七海は考えていた。だが、食事が美味しくて、つい笑みがこぼれてしまう。
「この間も思ったけど、七海ちゃんって本当に美味しそうに食べるね」
「ごめんなさい！食べるのに夢中になっちゃった。このお店、どれも美味しくて」
小川は、先日の食事会の時のような饒舌でイケイケな印象はない。落ち着きいたデキるビジネスマンといった感じだ。
― この間と印象違うかも。フツーにモテそうだし…。
「また食事誘ってもいい？俺、七海ちゃんみたいによく食べる人、好きなんだよね。それに、人の目を見て話してくれるでしょ？誠実でいいなあ、って」
仕事中、CAの食事は、ギャレーで立ったまま早食いが基本だ。
便によっては目が回るほど忙しいから、時には飢えていると言っても過言ではないほど、空腹に耐え仕事をしている。
だから、出された食事はなんだって美味しいし、まるで飲みもののように、短時間で平らげる癖がついてしまった。
人の目を見て話すのも、海外では当たり前。接客の観点からも基本なのだ。
― そこを「いいなぁ」って言われてもなぁ…。
とりあえず、「ありがとうございます」と七海はにこやかに微笑む。
そして、ふと小川のグラスが空になっていることに気づいた。
と同時に、無意識的にある言葉が滑り出してしまった。
「お飲みものは何になさいますか？」
すると、小川が大笑いしながら言う。
「七海ちゃん、それ、搭乗客に言っているみたいだよ！」
― あ、しまった！
「ごめんなさい！なんか習慣づいちゃってて」
そう言いながらも思った。
― ヤバ。これじゃ、サリナのこと言えないわ。CAアピみたいだから気をつけなきゃ。
◆
翌週。
「へぇー。広告代理店の男性から誘われてるんだー」
ロサンゼルス便の機内。ビジネスクラスのギャレーで3歳上の先輩、薫とコーヒーを飲んで一息つく。
「そうみたいなんです。食事に行こう、休み合わせるからドライブに行こうって」
「嫌じゃないなら、行けばいいじゃない」
薫は、28歳のときにテレビ局勤務の男性と結婚した。現在は、夫婦2人で品川のタワマンに住んでいる。
「でも、全然ときめかないっていうか…。いい人だし、ルックスも悪くないんですけどね」
今年31歳になる七海。あれやこれや選り好みできる立場でないのはわかっている。だが、詰まるところ、小川は七海のタイプではないのだ。
「私は、ときめかないまま結婚したけどね」
薫は食事会で夫と出会い、1年間の交際を経て結婚した。
「優しいし、話は面白いし、穏やか。でも燃えるような恋愛だったかというと少し違うかな。この人だったら波風立たずうまく生活できるかも、って思った」
「そっか…。結婚って、ずっと先も一緒に生活していくってことですもんね」
すると、薫は含みのある笑みを浮かべた。
「ずっと…ね。だから、本当にこの人でいいのか、自問自答したほうがいいよ」
「でも、薫さん、今幸せですよね？」
七海はなんとなく確かめたくなった。
「幸せかっていうと、幸せかもね。でも、いろいろ思うことはある。1つを取ったら1つを諦めるのが人生だからね」
― えー！なんか意味深…。
七海が考え込んでいると、休憩室でのレストを終えたクルーがギャレーに戻って来た。薫が、七海の肩をポンと叩いて言う。
「七海、今のうちにレスト行って来なよ」
「はーい」と返事をし、ギャレーを出た。薫の言う「1つを取ったら1つを諦める」という部分を頭の中で反芻しながら…。
◆
ロサンゼルスのホテルに着くなり、七海は雪崩のようにベッドに倒れ込んだ。
日本時間の16時ごろ家を出て、羽田へ。24時前から乗務を開始し、夜通し10時間のフライトをして現地に着いた。
― ふぅ…。疲れたー。 死ぬ…。
ロサンゼルスはまだ真っ昼間だが、夕方まで少し寝ようと、七海はシニヨンをほどいた。
どのくらい経っただろう。目が覚めると、窓の外はすっかり暗くなっている。スマホを手にすると、LINEに同じ便のクルーたちから食事の誘いが来ていたが、七海は気づかず眠っていたようだ。
「あー、みんなどこか食べに行っちゃったよね。しょうがない…ラウンジで何か食べよう」
髪を束ね、身支度を整える。ショルダータイプの小さなル プリアージュに財布とスマホを入れた。
そして、部屋のドアを開けた時、思いもよらない光景を目撃してしまったのだ。
― えっ？うそ！？
七海は大慌てでドアを閉めた。
「私、見てはいけないものを見てしまったかも…」
ドアを開いた直後に見たのは、薫と副操縦士だ。薫の肩に手を回し、リラックスした様子で彼女の部屋に入っていく副操縦士。
心拍数が高まるのを抑えようと、必死で深呼吸を繰り返す。
「不倫…ってことよね？」
今夜、この階に宿泊しているのは、七海と薫だけ。きっと七海は食事に出かけたと思っていたのかもしれない。
「はぁ…。なんか、下まで降りる気、失せたわ…」
しばらくすると、七海はゴソゴソとトランクを漁り、カップラーメンを取り出した。いざという時のために、カップラーメン、インスタントスープの類は必ず荷物に常備しているのだ。
その時。
ドアをコンコン、と叩く音に七海はハッとした。咄嗟に身構え、耳を澄ます。
「七海ちゃん、いる？」
ゴア越しに薫の声が聞こえる。
― えっ、なんで、薫さん？
七海はそろそろとドアを開けると、「ごめん、ちょっといい？」と薫が部屋に押し入って来たのだった。
薫は言いにくそうに切り出した。
「…さっき、見たよね…？」
慌ててドアを閉めた時に気づかれたらしい。
「あの…コーパイさんとは、お付き合いされてるとか？」
薫は「やっぱり…」とため息をつくと、ぽつりぽつりとこれまでの経緯を話し始めた。
彼とはお互い不倫同士であること。フライトが同じチームになることが多く、一度食事をしたら驚くほど話が合ったこと。
「私も彼も、空の仕事に理解のない配偶者と暮らしていて、愚痴を言い合っているうちに…。七海ちゃん、お願い！誰にも言わないで！」
薫は深々と頭を下げた。
CAはつらい研修を共に乗り越えたせいか、横のつながりがやたら強い。
新人の頃は「恐ろしい先輩のリスト」が同期内で流通したし、「セクハラに気をつけるべき人」なんてリストも回って来て、みんなで備えた。と同時に「誰と誰が付き合っている」「不倫している」といった下世話なネタは秒で広まる。
薫のそのことをよくわかっているから、釘を刺すのだ。
「安心してください。私が誰かに言ったら、もうその時点で公然の秘密になっちゃう」
薫は体中の力が抜けたように、その場にへなへなと座り込んだ。
「不倫なんて誰も幸せになれないってわかってるのよ。でもね、彼といると、夫には抱いたことのない感情が湧いてくるのよね」
「それって…どんな？」
七海は興味本位で聞き返してみる。
「たとえば、さっきね。彼とホテルの窓から、飛んでいる機体が何か当てっこしてたの。彼、視力がいいから、私は絶対に負けちゃうのね。でも、楽しそうに空を見ている彼の姿にぎゅっと胸が締め付けられるんだよね」
薫の話を聞きながら、七海は気づいたことがある。
誰かとお付き合いする際には、どうしようもなく惹かれたり、焦がれたりする何かが絶対に必要だってこと。
小川はいい人だけど、ズルズルいくのはお互いのために良くないと七海は改めて思った。
― やっぱり“キュンキュン”がないままって厳しいかも。
「薫さん、ありがとうございます！私、ぜったいに言いませんから！」
七海の中のもやもやがすっきり晴れた瞬間だった。
▶前回：あえてドレスを脱ぎ、制服になって…？CAが“イイ男”を見つけるために披露宴会場でしているコトとは
▶1話目はこちら：機内で名刺をもらった28歳CA。ステイ先で連絡したら…
▶NEXT：9月1日 木曜更新予定
久しぶりのファーストクラス乗務。そこで七海が出会った人が実は…
