あなたの知らない歴史的事実「空海は天才。弟子1,000人以上をすっ飛ばして後継者に」
学校で日本の歴史について勉強しますが、教科書に載っていない面白い歴史的事実というものがあります。今回は、皆さんがあまり知らなそうなものをいくつかご紹介します。
●小野妹子の大ポカ!?
遣隋使といえば、聖徳太子が小野妹子を派遣したと学校で習いますね。でも、小野妹子が、隋から託された皇帝・煬帝(ようだい)からの返書を紛失して帰国したことをご存じでしょうか? 帰国途中の百済で盗まれたなど諸説あるようですが、真実がどうだったかは分かっていません。
しかし、こんな大失態をしたのに、小野妹子はよく無事で済んだものです。
●邪馬台国論争は江戸時代からやってる!
邪馬台国がどこにあったのかは現在でも謎です。学校で習うように、大きく分けると「九州説」「畿内説」の2説があって、いまだに決着がついていません。でも、この論争が江戸時代から続いているのをご存じでしょうか。
九州説を唱えた大家は本居宣長、一方の畿内説(大和国説)の大家は新井白石(後に九州説に傾いたそうですが)です。この二人は、他の事蹟で教科書に登場しますが、邪馬台国の場所論争の震源でもあります。江戸時代からもう300年以上も論争しているのにまだ決着がつかないのがすごいですね。
●万葉集は謎の和歌集
万葉集は最古の和歌集として、歴史の教科書には必ず登場しますね。でも、誰が編纂(へんさん)したのか、また正確にいつ成立したのかは分かっていないのをご存じでしょうか。例えば、こちらも必ず教科書に登場する『古今和歌集』では、序文が付いていて、それを読むとどういう経緯で編纂され、いつ奏上されたのかが分かります。
和歌集には序文が付いているものなのですが、万葉集にはそれがないのです。そのため、成立の経緯などが不明で、長期にわたって、また多くの編纂者によって編まれたものと推測されています。
●空海は天才すぎ!?
空海(弘法大師)は、真言宗の開祖で高野山を開いた僧と、学校で習いますね。この空海が想像を絶する天才だったことをご存じでしょうか。空海は、密教を学ぶために無名の留学僧として中国(唐)に渡ります。
留学期間20年の予定だったのですが、わずか2年で帰国。その間に、師事した恵果(えか)から、阿闍梨(あじゃり)の伝法灌頂(かんじょう)を授けられています。つまり、恵果の中国人の弟子1,000人以上をすっ飛ばして、留学生の日本人僧が密教の後継者として認められたわけです。
●富士山初登頂の外国人は!?
明治維新のくだりで教科書に登場する、初代駐日英国公使ラザフォード・オールコックは、富士山に登頂した初めての外国人です。実はこのとき、ヨーロッパでは登山ブームでした。幕末の1860年、彼は富士山頂に立ちました。
このとき、彼の愛犬トビー(犬種はスコッチ・テリア)も一緒だったのですが、登頂後に訪問した熱海で間欠泉の熱湯を浴び、かわいそうなことに死んでしまいました。トビーのお墓は、ご主人・オールコックの碑と共に今も静岡県熱海市にあります。
●ハワイ王国から天皇家に婚姻の申し込みがあった!
現在、ハワイはアメリカの一部ですが、かつては「ハワイ王国」(1795年-1893年)という独立国でした。ハワイ王国から、日本の天皇家に婚姻の申し入れがあったのをご存じでしょうか。
カメハメハ5世が亡くなり、カメハメハ王家の直系が途絶えた後、7代目の王になったカラカウア国王は、山階宮定麿親王(後の東伏見宮様)にカイウラニ王女を嫁がせたいと申し出たのです。このとき、ハワイ王国はアメリカの併合圧力に苦しんでいました。
日本の天皇家と縁続きになることで、日本の保護を求めたわけですが、日本はアメリカとの関係が悪化することを考え、この申し出を断りました。もし実現していたら、太平洋の歴史もずいぶん違ったものになったでしょう。
いかがだったでしょうか。今回紹介した中で知っているものはいくつありましたか? 皆さんの話のタネになれば幸いです。
(高橋モータース@dcp)