『東京のど真ん中で、生活保護JKだった話』7話より
 生活が困窮している人々に生活費などの扶助や保護を行い、彼らの自立を助けるために設けられた「生活保護制度」。長年、国民のセーフティーネットとして機能している一方で、制度の利用者に対して、SNSでは心無い言葉を投げる人や、強い偏見を抱いている人も少なくありません。

 いまだ世間の風当たりが強いなか、昨年発売されたエッセイ漫画『東京のど真ん中で、生活保護JKだった話』(五十嵐タネコ/KADOKAWA)が話題を呼びました。

 タイトルにある通り、同作の作者・五十嵐タネコさん自身が高校時代に過ごした貧困と、生活保護受給家庭の“リアル”を赤裸々に描いた一冊です。そこで五十嵐さんに反響や生活保護を受けていた学生時代の思い出、家族との関係について聞きました。※本作は2001年頃のエピソードを描いています。

◆インフルエンサーの差別発言が執筆のきっかけに

――この作品を執筆した経緯を教えてください。

五十嵐:いつか「自分の体験を漫画に描きたい」と考えていたのですが、あるインフルエンサーの方がYouTubeで発信した、生活保護受給者やホームレスの方に対する差別発言が執筆を早めるきっかけになりました。その動画には、批判が集まり削除されましたが、彼と同じ意見を持つ人も少なくないと思います。

でも、よく問題点を指摘される生活保護の「不正受給」は、全体の1%以下だったり、日本の生活保護利用率は諸外国に比べて低い、保護されるべき人に制度が行き届いていないという実態はあまり知られていません。そのため、世間のマイナスイメージが先行して生活保護を申請しづらい世の中になっています。

生活保護利用者への偏見が巡り巡って、貧しさを理由にした自死や孤立死につながっていると言われているんです。

◆発表前は世間の厳しい視線が怖かった

――そうした偏った意見が根強くあるなかでの作品発表に“恐怖心”はありませんでしたか?

五十嵐:おっしゃる通り、世間の厳しい視線は以前から感じていたので怖さはありました。それでも、今回の騒動を見て「生活保護に救われるケースもある」と早く伝えなければ、と強く思い、筆を執りました。

また、私自身の立ち位置も漫画にしやすいと考えたんです。実際に生活保護を申請したのは、脳の疾患で後遺症を持つ父であり、私はその家庭で育った子ども。やはり、生活保護を申請した本人は、世間に対して申し訳なさや後ろめたさを感じているため、自ら発信しにくいと思うので……。当事者でありながら、当事者ではない私の視点で生活保護制度について描きたい、という気持ちもありましたね。

発売後の反響は「生活保護家庭のイメージが変わった」「逆境でも前向きに頑張る姿に励まされた」など、好意的な感想が大半だったので、本当にありがたかったです。なかには「自分も貧困家庭で育ったので共感しました」という声もあり、“つらかったのは私だけじゃないんだ”と感じられて嬉しかったのを覚えています。

◆生理中のお風呂も週1回しか入れない生活

――たしかに、生活保護を受け始める前の貧乏生活も丁寧に描かれていました。当時、どんなことで苦労しましたか?

五十嵐:漫画にも描きましたが、週に1回しか銭湯に行けないのが、とにかくつらかったです(笑)。小学生の頃、友だちと「お風呂に入る頻度」の話題になり、「うちは週1回」と答えてドン引きされたときに“うちはほかの家と違うのかも”と気が付きました。

中学に入ってからは、台所で髪を洗って体を拭いたり、近所に住む伯母さん家にもらい湯をさせてもらったりと対策したのですが、生理中は特に大変でした。週1回の銭湯も、生理のときはズラさなければならないし、終わりかけでも施設や周囲の人に迷惑をかけないように細心の注意を払いました。台所で身体を拭くときも、血で汚れたタオルを何度も洗うので、情けない気持ちでいっぱいでしたね。