口説く気満々で誘った2軒目のバー。29歳女の“ある発言”で、男は急にアプローチする気が失せ…
◆これまでのあらすじ
高校の頃に顔の印象だけで選んだダメ男と、10年もの付き合いを経て別れた杏奈。高校時代モテモテだった彼女は、振った同級生がエリートになっていることを同窓会で知りビックリ。逃した魚を再び捕まえるべく、杏奈の心に火がつくのだった。
▶前回:高校の同窓会。さえなかった男たちのハイスペ化を見た29歳女は…
Vol.2 成長する男、停滞する女
「楽しかったね、今日は久しぶりに杏奈と会えてよかった」
帝国ホテルロビーの『ランデブーラウンジ・バー』。
先ほどまでこのホテルで恩師の退職パーティーが行われていた。他の参加者はみな別の店へ移動してしまったため、ふたりだけで二次会をしているのだ。
「私も…。みんなに会えてよかった」
共に行かなかったのは、参加者が男性ばかりで気後れしたということもある。だが一番の理由は、女同士でしたい話が山ほどあったからだ。
例えば、参加した同級生たちの、あの変貌ぶり…。
「それにしても、あの地味なタンクが商社勤務なんて…人は変わるものね」
何気なく杏奈が呟くと、麻沙美の眉毛がピクリと動く。その“地味なタンク”を夫に選んだ本人なのだから、当然のことだ。
「当たり前でしょう10年も経ったんだから。人は成長するのよ」
その言葉に、杏奈はしばし口をつぐんだ。
「成長…」
ふと、直人を思い出してしまった。なぜなら彼は10年間、まったく成長しなかった人だったから。
「ん?突然暗くなってなによ。さっきまでモテモテで上機嫌だったのに」
確かに、パーティーでは多くの同級生男子と連絡先の交換をした。スマホを開くと、すでに何件ものLINEが届いている。元カレを思い出している場合ではない。
「そうだよね。新しい恋をここから始めないと」
「その意気!エリート揃いで、素性も知っていて、お互い成長していて…こんないい出会いの機会ってそうそうってないもの。だって私もね…」
麻沙美は、タンクへのアプローチから結婚までを武勇伝のように語り始めた。タンクとの再会は、地元の成人式。無口で堅物だった彼が、浪人を経て東大に進学したエリートになっていると知った麻沙美は、タンクを攻略するために手をかえ品をかえ、様々な作戦で奮闘したのだという。
「私も頑張る!」
「恋愛相談なら喜んで乗るよ。杏奈ならすぐ次が見つかるって」
麻沙美の言葉に希望が湧いてくる。落ち込んでいる時ほど、素直で率直な言葉が響くものだ。
その時…。
「杏奈さん!?」
背後から覚えのある声が聞こえてきた。
ロビーに佇む、身長180cmを超える男性。高級感あるスーツを着こなし、ホテルロビーの雑然とした雰囲気の中でも際立った存在感を放っている。
― でも、誰だっけ…。
首をかしげていると、麻沙美が声を上げた。
「高濱くん!なんで今いるの?私もいるよ、鹿戸麻沙美」
その名前ですぐに思いだした。声に覚えがあったのは、直人の高校時代の友人だったからだ。
高濱大吾くん。
その大きな体躯ゆえに、劉生高校のダルビッシュと呼ばれていた生徒だった。彼自身はハンドボール部だったにもかかわらず。
「仕事で遅くなってさ。その調子じゃもう終わっているみたいだね」
「でも男子たちは、この近くのビアパブに移動したみたいよ」
二次会に行っている夫に連絡を取るため、麻沙美がスマホを取り出す。しかし、高濱はそれを制した。
「そっちの席、いい?僕はむしろおふたりさんと話したい」
そう言って自然な雰囲気で近づき、隣の空席に座った高濱。その強引さに、杏奈はにわかにときめきを感じてしまった。
― え、これって…?
「杏奈さんと麻沙美さん、全然変わらないね」
至近距離になると、整った顔とがっしりとした体つき、そして身に着けたもののセンスの良さが、否が応でも目に入る。
彼の腕に光るのはヴァシュロンのオーヴァーシーズ。普段使いのバッグにボッテガのアルコトートを選ぶところもいかにも洗練された男性という感じで、先ほどのパーティーで再会した同級生の誰よりも光り輝いて見えた。
「…じゃあ、私は失礼するね。久しぶりのお酒で眠くなっちゃった」
麻沙美はサッと席を立って、杏奈を見て微笑んだ。どうやら杏奈の目が輝いていたのに、気づいていたようだ。
「もしかして、邪魔しちゃったかな」
高濱は麻沙美の背中を見送りながら、申し訳なさそうな表情で謝罪する。杏奈は首を振りながら、その律儀な態度に胸が熱くなっていた。
軽く飲みたい気分だという高濱の提案で店を移動し、杏奈たちはコリドーの裏路地にあるバーに入ることになった。
高校卒業後、京都の同志社大学へ進学した高濱とは、二人きりで話すのは初めてだ。
高濱はほとんどの高校時代の同級生とは疎遠になったけれど、直人とは地元に帰るたびに会っており、“カノジョ”の話は聞いていたという。
「杏奈さんとサシで飲めるなんて、あの頃の自分では考えられないよ」
カウンターの席につくなり、高濱は照れくさそうに頭をかく。
その笑顔で、杏奈は完全に彼の記憶をよみがえらせた。目立つ直人の隣で、穏やかに佇む当時の彼の姿を…。
陰に隠れていたが、確かに素敵な男の子だった。
「友達の彼女とは言えど、実は結構憧れていたんだよね」
真剣に自分を見つめる高濱の瞳に、杏奈は吸い込まれそうになった。
― 調子いいな、とは思ってる。けど…。
柔らかな強引さ、さりげないエスコート。元々持っていたポテンシャルがしっかりと磨かれたルックスは、大人の渋さも加わり輝きを増している。10年という歳月は、確かに人を成長させるようだ。そのことを実感する。
高濱は現在、飲食事業を展開し、いくつもの店のオーナーであるという。経営する店の中には、なんと杏奈の自宅近くにあるダイニングバーもあった。
「じゃあ、今度杏奈さんが来店したらサービスするよう、スタッフに言っておくよ」
そう言って高濱は名刺を差し出した。裏にはLINE IDが記載されている。そのまま連絡先を交換していると、ふいに杏奈のスマホ画面に、パーティーで再会した同級生からのメッセージが通知された。
「さすがモテモテ、杏奈さん」
「いや…別に。みんな挨拶程度だよ」
「今、直人と別れてフリーなんだよね。そりゃ、群がってくるって」
直人か、それとも同級生の誰かから聞いたのだろうか──高濱はなぜか、すでにそのことを知っていた。
しかしそれ以上に引っかかったのは、その口調がどこか他人事なことだった。
自分に憧れてくれていたなら、ゴシップを扱うような笑顔で「さすがモテモテ」とか「群がってくるって」などと言うのではなく、もっと前のめりに嫉妬してほしかったのだ。
「返事、しないの?」
高濱はテーブルの上で何度も振動する杏奈のスマホを気遣った。
「だって面倒だもん。ひとり送るとキリがないし」
いじけたようにスマホをしまうと彼は呆れたような苦笑いをした。
― あ…。
その表情で、杏奈は自分が言葉の選択を間違えたことを察した。
「で、でも、高濱くんからの連絡は即レスします!」
「はは、ありがとう」
バーの中に、彼の乾いた笑い声が響く。それはざわめきに紛れる程度の小さな声だったが、杏奈の耳の奥にずっと残りつづけた。
◆
結局その夜は、そのままお開きとなった。
バーの重い扉を開いて入店した時には、さらに“この後”のことを想像している自分がおり、高濱の方もまたその流れに相応しいアプローチをしてくれていたように思う。
2杯目のマッカランが空になり、杏奈があの失言をするまでは…。
― あの言葉で、適当で冷たい女だって思ったよね。幻滅されたはず…。
結局、収穫は名刺だけ。社交辞令程度のセリフでも、次に繋がる誘いはなかった。
帰りのタクシーの中で高濱にお礼のメールをしたが、帰宅しても、ひと晩じゅう待っても、その返事が来ることはなかった。
◆
『え、脈があるかどうかって?そんなのわからないよ』
翌日。
杏奈が麻沙美に昨晩の報告と、『高濱くんは脈ありか、アプローチをどうかけるか』という相談のLINEを送ると、返事は速攻で返ってきた。
『とにかく、バーには誘われたから少しは脈あるよね!?次デート誘われると思う?来月恋愛運最高だし、それまでに何とか約束を取り付けたいと思っているんだけど、追いLINEすべき?』
勢いあまって長文でまくし立てると、麻沙美から、ポカンとした熊さんのスタンプが返ってきた。
『ちょっと待って。なんだか女子高生の相談うけてるみたい』
麻沙美のメッセージに杏奈はカチンときて、咄嗟に反論をしようとする。
けれど、引っかかる部分もあり送信の寸前で指をとめた。
― う、うーん…確かに脈ありとか、占いとか、幼稚かな…?
考えてみれば、10年近くひとりの男との付き合いに甘んじていて、恋愛の戦場には出ていなかったのだ。
対して麻沙美は、現在の夫を勝ち取るまでには色々な苦労があったのだという。一度別れた時に婚活をしてみたり、相当実戦で経験を積んできたと言っていた。
そんな恋愛猛者たちに比べたら、自分は高校生、いや赤ちゃんのようなもの…。
恋のかけひきはおろか、そもそも交際への発展の仕方も、正直よくわからない。
直人と付き合い始めた時も、向こうから言い寄られて即交際しただけだ。
だから失敗したのだけれど…。
『じゃあ、どうしたらいい?』
結局杏奈は、それしか返信することができなかった。
麻沙美からはサムズアップしたデフォルトキャラのスタンプとともに、意味深なメッセージが送られてくる。
『お姫様には、ちょっと荒療治が必要みたいね』
― あ、荒療治…?
戸惑う杏奈のスマホの向こう側で、麻沙美がニヤリと微笑んでいるのが見えるようだった。
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恋愛の仕方をすっかり忘れてしまった杏奈に、麻沙美は…