「はい、あげる」と、赤坂のタワマンをくれた15歳年上の彼。ある日突然、音信不通になり…
モノが溢れているこの時代に、あえて“モノ”をプレゼントしなくてもいいんじゃない?と言う人もいるかもしれないけど…。
自分のために、あれこれ考えてくれた時間も含めて、やっぱり嬉しい。
プレゼントには、人と人の距離を縮める不思議な効果がある。
あなたは、大切な人に何をプレゼントしますか?
▶前回:大親友の彼氏と結婚した女。「略奪したわけじゃない」と言い訳しつつも、合わせる顔がなく…
綾乃(34)「絶対に、自立した女にならなくちゃ…」
青山通りのポルシェのショールームの角を裏手に入り、歩くこと3分。
地中海建築を連想させる真っ白いモルタルの塗り壁に、青い瓦屋根。築40年を超える壁には緑の蔦が絡まり、品の良いヴィンテージ感を演出している。
「嬉しい…ついにここにお店を開けるんだ!」
4階建てのそのビルの1階、40坪程度の小さな区画の中央で、私は思わずため息を漏らした。
35歳の誕生日に、私はここで自分の店を開く。オーガニック石鹸をメインに、肌に優しいスキンケア製品を扱う自社ブランドショップだ。
サロン経営の傍ら、数年前に店に置き始めたオリジナル商品がSNSでヒットし、南青山にショップを持てるまでに成長した。
― ここに来るまで、長かったなぁ。
20歳の時に茨城から上京して、15年になる。
あの時は、自分がいつか南青山の1階に店舗を持つようになるだなんて思いもしなかった。
高校卒業後、なんとなく“手に職”を持ちたくて地元の会計系の専門学校に通った。
でも、自分の肌には合わなかった。
卒業生たちの進路といえば、地元の中小企業や公益法人の事務など、手堅いけれど一見地味な仕事ばかり。若かった私には、物足りなく思えたのだ。
「もっと華やかな仕事がしたい」
勢いで専門学校を中退し、「とりあえず東京に行こう」と、深い考えもナシに上京。
親は反対したが、社会人の姉が保証人になってくれて、北千住に1Kの部屋を借りた。
ほどなくして、より稼げる仕事を求めてラウンジで働くようになった時は、自分が一体何をしに東京へ来たのかが分からなくなり、まるで迷子になったような気がしたっけ。
でも、私が“彼”と出会ったのは…ほかでもない、そのラウンジだったのだ。
当時、私はちょうど20歳。
はじめは上野のガールズバーで働いていたが、常連客だった男の口利きで、西麻布のラウンジで働くことになったのだった。
「ここに入れるのは、ものすごく特別なことなんだよ」
男の言う通り、その店は“特別”だった。
働いている子の半分は、慶應や青学、立教など、有名大学の女子大生。ミスコンに出るような女の子もいたらしい。
皆、卒業までのお小遣い稼ぎのために働いていた。面接で会ったオーナーは、私の“専門学校中退”という経歴に不服そうではあったが、「ちょうど4年生も卒業しちゃったし、仕方ないか」の一言で採用がきまった。
とにかく、その店で私は“彼”──ユウジに出会ったのだ。
「女の子は25歳までに、自分の足で立てるようにならなければいけないよ」
そんな持論を語る彼は、おそらく30代後半、経歴・本名は不詳の男だった。
オーナーの古い知り合いで、とにかく羽振りが良いらしい。窪塚洋介似の品のあるイケメン、紳士的な態度も相まって、女性スタッフの中で「逆指名したい」と話が出るほど人気があった。
けれど彼は、毎回なぜか私を指名した。
キラキラした女子大生の中で、北関東から出てきてバイトで身を立てている私が物珍しく見えたようだ。毎回高価な酒を注文し、あれこれと私の話を聞きたがったが、ある日ポンと“鍵”を机の上に置いた。
「それ、プレゼント。普段使わないから、住んでていいよ」
赤坂のタワマン、夜景が見える高層階の一室。
それが、彼からの初めての贈り物だった。
「25歳までに、自分の足で立てるようにならなければいけない」
ユウジと出会って2年経つと、折に触れて彼が繰り返すその言葉は、いつのまにか私の中にしっかりと刻み込まれていた。
実際、店の中を見渡しても、25歳以上の女の子はほぼいない。女子大生たちは大学4年で卒業していくし、少数いる大学院生も、24歳でこの店を去る。すると学生でない人間も、24歳をこえると居心地が悪くなり、他の店へ移っていく。
そのサイクルを目の当たりにして、私は自分の夢について真剣に考えるようになっていた。
以前からサロン経営に興味があったから、昼間は派遣社員として大手エステサロンの店舗で働く生活を始めた。
接客は自分に向いている。お金を貯めて、いつか自分の店を持ちたいと夢見るようになった。
そんな目標を彼に語ると、「いいね、野心があって」と肯定的な反応だった。どこで得た知識なのか、事業に関するアドバイスもしてくれた。
ユウジは相変わらず私を指名し続けていて、例のタワマンで時々夜を共にすることもあったが、結構さっぱりした関係だったと思う。私は彼を客と割り切っていたし、彼もまたそうだった。
けれど彼は、いつだって私のよき理解者であり、サポーターだった。
初めての店も、彼のおかげで出店できたようなものだ。開業資金はなんとか自分で工面できたけれど、店の場所を借りる際に、物件所有者から「連帯保証人としてきちんとした会社を立ててくれ」と言われてしまったのだ。
「俺の会社の名前、使っていいよ」
なんでもない口調でユウジは言った。そこで初めて、彼が港区の大地主の後継ぎで、親から受け継いだ不動産会社の代表であることを知ったのだ。
25歳の誕生日。私はユウジの会社の名前を借りて、初めての店をオープンさせた。
それ以来、彼には会っていない。最初の店は幸い軌道に乗り、以降に出店した店は彼の力を借りずとも大きくすることができたのだが…。
私が自分の足で歩き始めたのを見届け終えたかのように、彼から連絡が来ることはパタリとなくなってしまった。
「25歳までに自分の足で立つ」ことを目標にしてきたため、当然、タワマンの部屋も返していた。
現在
あれから、もう10年の時が経つ。
南青山の店を契約してすぐ、内装工事がスタートした。着々と進む工事にあわせて、看板や植栽、ファニチャーも確定しなければならない。管理会社や内装業者と打ち合わせする日々が続いている。
その日は工事の打ち合わせで、管理会社の担当である伊藤さんが、乃木坂にある私の事務所に来ていた。
伊藤さんは私と同年代の女性で、杓子定規でなく柔軟に対応してくれる人だ。契約の過程で予定外のことも色々起きたが、彼女のおかげでなんとかなっていた。
「あら、このテーブル、すっごく素敵ですね。お店に置かれるんですか?」
お茶を出す間、テーブルに広げっぱなしになっていたファニチャーのカタログを見て、伊藤さんが弾んだ声を上げる。
「残念ながら、在庫がちょうど売れてしまったみたいで。似たようなテイストの別のテーブルを探しているんですけど、なかなか…」
それは、だれもが知る一流車メーカー・ランボルギーニグループのオーナーが手掛けるファニチャーブランドのダイニングテーブルだった。
マーブル柄の天板とウッドの組み合わせが斬新で目を引く。モダンな内装デザインにしっくりとはまり、ディスプレイの良さを引き出してくれるだろう。しかし、タッチの差で売れてしまったらしい。
「そうですか…早くかわりのものが見つかると良いですね」
伊藤さんが神妙な顔をするのも無理はない。開店までもう1ヶ月を切っている。そろそろ本腰を入れて、かわりの物を見つけなければならない時期に来ていた。
◆
伊藤さんとの打ち合わせから一週間。
午前11時。電話をかけてきた彼女は、開口一番に「お店のテーブルって、もう決められました?」と言う。
「いえ、バタバタしていてまだ…」
「なるほど、わかりました。実はあのビルのオーナーから、贈り物を預かっています。お店の方にお送りしますね」
そこまで言うと、伊藤さんは「すみません、電車が来たので!」と電話を切ってしまった。
― どういうこと…?オーナーから贈り物だなんて。
しかし数時間後、現場の方に届いたという写真が送られてきて、私は息を呑む。
「あのテーブルだ…!」
慌てて南青山の店に向かうと、喉から手が出るほど欲しかったランボルギーニのテーブルそのものだった。
完成しつつある内装とも調和し、まるではじめからそこにあったかのような佇まいだ。
「よかった、無事に届いて。急遽軽トラを手配したんです」
入り口からひょっこりと顔を出したのは、伊藤さんだった。
「オーナーから手紙を預かっています」
夢見心地で受け取った手紙…というか、折りたたまれたメモ用紙には、たった一行、『10周年おめでとう』と書かれていた。
少し離れて書かれた『祐司』という差出人名を見て、私ははっとする。
― どうして、気づかなかったんだろう。
賃貸借契約書を見返すと、ビル所有会社の代表者名は、確かに祐司──ユウジだった。
10年前に連帯保証人になってもらった時と、会社の名前だけでなく、彼の名字までもが変わっていたので気づかなかったのだ。
そういえば、風の噂で聞いたことがある。ユウジが結婚して、自分の会社を起こした、という話を。
結婚したのなら、なおさら私の方から連絡を取るわけにはいかない。そう思って、ユウジのことはより一層、記憶の奥にしまい込んでいた。
伊藤さんが、バツが悪そうに言う。
「今日の午前中、オーナーさんのお宅に伺ったら、打ち合わせ中にこのテーブルが届いたんです。思わず、『テナントさんが欲しがってたものと同じだ』って言ってしまって。そうしたら、贈りたいと強く希望されたので…勝手に進めてしまってすみません」
「いえ…すごく嬉しいです。本当にありがとうございます」
頭を下げつつ、『10周年おめでとう』という走り書きのメモを、もう一度眺める。
この店をオープンするのは来月、私の35歳の誕生日。
ユウジは、覚えてくれていたのだ。
25歳、私が初めて自分の足で歩き始めた時のことを。
それから、10年が経つということを。
自分以外の誰も知らないと思っていた記念日。彼が記憶してくれていたことに、胸が熱くなった。
ふと、分かったような気がした。
「25歳で自立」という言葉が、どうしてこれほどまでに胸に刻まれたのか。経営者として、どうしてここまで愚直に踏ん張りつづけてきたのか。
それは全て…ユウジに認めてもらいたい。たったそれだけの目的のためだったような気がした。
あいにく、「自立」がすっかり自分自身のポリシーとして刻まれてしまった今の私には、もう一度ユウジとどうにかなる、という選択肢はない。向こうにとっても、それは望まない選択肢のはずだ。
でも、それでも…。
このテーブルが私の城にあるということは、これ以上ないほどに心強く感じる。離れていても、いつだって、ユウジが見守っていてくれるように思える。
― 女ひとりの力で自立しているつもりだけど、このテーブルを心の拠りどころにするくらいは、許してくれるよね…?
密かにそう願いながら、私はそっと真新しいテーブルの天板を撫でる。
そして、自分自身だけに聞こえるくらいの小さな声でつぶやいた。
「この場所で、必ず成功する。…見ててね」
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