男に誘われて、モテると勘違いする29歳女。でも、絶対に本命彼女になれないワケ
オトナの男女なら、一度や二度はあるだろう。
友達や恋人には言えない“あの夜”が…。
寂しかったから、お酒に酔っていたから、魔が差して…。
そうやって自分に言い訳をしながら、人は一夜の過ちを犯す。
これは、オトナの男女の「誰にも言えないあの夜」のストーリー。
Vol.1 『実らなかった恋』未来(29)
「未来(みく)、今夜のことは絶対に香澄に言うなよ」
「…わかってるよ」
午前2時。まだ外は暗いのに、さっきまで抱き合っていた男は、そそくさと帰る準備をしている。
私は、カーディガンを羽織りながら、玄関に向かう彼の後をついていく。
「あ!私、今週も来週もいつでも空いてるから」
思わず出たダサすぎる本音が、自分を苦しめる。
「そんなに焦らなくても、また来るよ」
「……」
「香澄にバレないようにうまくやろうな。それじゃ」
― はぁ…。
どうしてこんな展開になってしまったのだろうか。
この男とは、もう会わないようにしようと、1年前に自分に誓ったはずなのに…。
◆
7時間前。
私は高校時代からの友人である香澄と、恵比寿西口にあるイタリアンレストランにいた。
「ねぇ、未来。彼氏も近くにいるみたいなんだけど、呼んでもいい?」
― えっ…今日は女ふたりでとことん飲むんじゃないの?
香澄に新しい彼氏ができたのは3ヶ月前。彼はフリーでWebデザインの仕事をしていて、年齢は私たちと同じ29歳らしい。
忙しくてなかなか会えないけど大好きなの、と香澄から聞かされていたのだが、まさか対面することになるとは…。
香澄は、悪気ない様子で、スマホを見ながらニコニコしている。
「構わないけど…私が人見知りなの、知ってるよね?」
「大丈夫、大丈夫。彼すごく社交的で楽しい人だから、きっと未来も気に入るよ」
― なにそれ、どんな自信よ。
香澄は天然でマイペースなところがあり、たまにイライラすることがある。
それでも、友達をやめないのは、香澄といると安心するからだ。
私は大手飲料水メーカーで働いているが、香澄は商社の子会社勤務。
それに彼女は、愛嬌こそあるものの、特別顔が可愛いわけでもない。家がお金持ちだとか、料理が上手だとか、ファッションセンスがいいとかでもない。
つまり、香澄は、ごくごくフツーの平均的な女なのだ。
私は、彼女と一緒にいると、自分を卑下したりしなくて済むし、何なら自分に自信を持てるし、漠然とした焦燥感に駆られずに済む。
だから、時々距離を取ったりしながらも、彼女とは付かず離れずの関係が続いている。
「あ、来た!」
香澄はそう言って、店の入り口に体を向けた。
私は目線だけ、同じ方向へ移動させる。
― うそでしょ……。ヒロキ!?
いきなり、世界がスローモーションになった。
自分の心臓の音だけがトクトクと聞こえ、手のひらが急に汗ばんでくる。
「どうも、おじゃましてすみません〜」
「…いえ」
私は、香澄の彼氏の目を見ることなく答えた。
「未来、こちらヒロキくん。私の彼氏…って、口にすると恥ずかしいね」
「なんで恥ずかしがるんだよ、急に呼ばれて緊張してるのはこっちなのに」
「だってぇ〜」
ふたりの会話が、全く頭に入ってこない。私は、なんとかバッグを持って立ち上がった。
「ちょっと、メイク直してくるね」
私は、化粧室に行くために席をはずした。
鏡の前で呼吸を整えながら、ポーチからリップを取り出し丁寧に唇に塗る。
もう会うことはないと思っていた男と遭遇すると、人はこんなに動揺してしまうものなのだろうか。
先月、29歳になった私。世間的にも、立派な大人なはずなのに、中身は全然大人じゃない。
最後にもう一度鏡の前で自分の顔を確認し、意を決して席に戻ろうと思ったその時、スマホが小刻みに震えた。
― あっ、ヒロキから?
『ヒロキ:久しぶり。笑』
ヒロキからのメッセージに、胸が高鳴る。ちゃんと覚えてくれていたんだ、と嬉しくなってしまう自分に呆れながら、私はメッセージを送る。
私が送ったメッセージの宛先はヒロキではなく、香澄だった。
『未来:彼は、やめておいた方がいいよ』
…ヒロキとは、1年前にマッチングアプリで知り合った。男女の関係だったなんて、香澄には絶対言えない。
それに、ヒロキは平凡な香澄の手に負えるような男ではないのだ。
女友達が異常に多く、その人たちとの距離感も理解できないほど近いし、息をするように嘘をつく。
私でさえ彼女になれずに、2ヶ月で関係を絶った。
『香澄:どうして?もしかして、ヒロキと知り合いなの?』
『未来:香澄が傷つくのを見たくないから。ごめん、今日は帰るね』
私は、そのまま店を出た。
認めたくなかったのだ。私は彼女になれなかったのに、香澄はヒロキと付き合えている事実を。
恵比寿の西口からタクシーに乗ると、またヒロキからメッセージが来ていた。
『ヒロキ:なんで帰ったの?』
『未来:いやいや、気まずいからだよ』
『ヒロキ:そっか。なんかごめんね』
そのまま返事をせずにいると、再びスマホが震える。
『ヒロキ:まだ池尻に住んでるよね?1時間後に行ってもいい?』
◆
1時間後、ヒロキは、本当に私の家にやって来た。
「香澄は?」
「なんだかすごく酔ってたからタクシーで帰したよ」
「一緒にいなくていいの?」
「うん。いつでも会えるし」
久しぶりに聞く彼の声や変わらない匂いに、なんだか泣きそうになる。
「ワインあるけど飲む?それともビール?」
私が聞くと、彼は首を振った。
「水くれる?」
― なんでヒロキは家に来たんだろう、なんで私は家にあげたんだろう。
そんな頭の中の声を必死に掻き消し、水の入ったグラスを片手にヒロキが座っているソファに腰を下ろす。
「未来、可愛くなったね。痩せたでしょ」
ヒロキの大きな手が私の頭を撫でる。
彼は、私に恋人がいるのかなんて聞かない。
わざわざ池尻大橋まで来るくせに、そこに住んでいる女の男関係に興味はないのだ。
「ベッド行く?」
彼に抱き寄せられ、私は自分から誘ってしまった。
「いいよ」
◆
そして午前2時。
ヒロキは、私とベッドで過ごしたあと、朝を迎えることなく「帰る」と言い出した。
もしかしたら、香澄じゃなく私を選んでくれるかもだなんて、ちょっとでも期待してしまった自分が情けない。
「あ!私、今週も来週もいつでも空いてるから」
必死になってしまった自分が惨めだ。
「そんなに焦らなくても、また来るよ」
そう言い残して私の家を出たが、私たちが頻繁に会うことは、もうきっとない。
ヒロキは、私とたまたま再会したドラマのような展開が、面白かっただけなのだろう。
私にとっては非日常でも、ヒロキにとっては、よくあること。
彼の匂いが残ったシーツの上に再び寝転ぶと、香澄からメッセージが来ていた。
『香澄:未来、ヒロキと連絡取れないんだけど何か知ってる?』
― 香澄…。
私は、迷いに迷って、彼女に本当のことを伝えることにした。
『未来:ごめん。実は、以前から彼のこと知っていて、昨夜、少し話してた』
これで、香澄との友情は終わるかもしれないし、ヒロキにも会えなくなるだろう。
気づくと、涙が頬を伝っていた。
私はヒロキのことが好きで、あの2ヶ月間は本気で恋愛していた。
だから、今日だって、ヒロキが私のところに戻ってきてくれるんじゃないかって、心のどこかで期待していた。
本気じゃなきゃ、友達の彼氏に手は出さない。でも、最低なことをしたのは私。私が2人から離れるべきなのだ。
私は、心の中で香澄に謝りながら、ヒロキのLINEをブロックした。
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