「私、小学校から大学までずっと同じ学校なの」

周囲からうらやまれることの多い、名門一貫校出身者。

彼らは、大人になり子どもを持つと、必ずこんな声をかけられる。

「お子さんも、同じ学校に入れるんでしょう?」「合格間違いなしでいいね」

しかし今、小学校受験は様変わりしている。縁故も、古いしきたりも、もう通用しない。

これは、令和のお受験に挑む二世受験生親子の物語。

親の七光りは、吉か凶か―?

◆これまでのあらすじ
名門一貫校・啓祥学園出身の果奈は、息子の翼を小学校から同じ学校に入れたいと考えている。いよいよ迎えた受験期。神奈川の学校の合格を手にした翼は、いよいよ第一志望の啓祥学園の入試に挑むが…。

▶前回:仕事をセーブし、息子の小学校受験に邁進するワーママ。本番当日の朝、予期せぬ事態に…




Vol.12 合格発表


果奈が一礼して校長室に入ると、そこには優しいまなざしの恩師がいた。

果奈の後から入ってきた光弘の足音が、心なしか大きい気がして、果奈の緊張はピークに達する。

「よろしくお願いいたします」

― 思ったより私の声、落ち着いているわ。

そんなことをぼんやりと考えている間に、次々と質問が繰り出される。

あっという間に質疑応答は終わり、果奈は気がついたら校長室の外に出ていた。

「果奈、もうすぐ翼が戻ってくるよ」

光弘にそう声をかけられるまで、自分が何をしていたのか果奈はほとんど覚えていない。

考査を終えて戻ってきた翼を出迎え、光弘に促されるままにバスに乗り、ぼんやりしているうちに吉祥寺の実家に戻ってきていた。

母が入れてくれたお茶がのどを通る。

胸のあたりが温まってくるのを感じると、一気に気が抜けてしまう。

「…僕が、先に入らないといけなかったんです」

母がダイニングテーブルに座ると、突然光弘がしゃべりだした。

「なんのこと?」

果奈が驚いて光弘を見ると、額に玉のような汗をかいている。

「面接の時は、父親が先に入室って模試で習ったのに、僕、果奈を先に歩かせてしまったんです」

― そういえば、そんなことも言われたわね。

果奈は直前の模試でのコメントを思い出すが、今更そんなことを議論する気にもなれない。

「あらあら、近頃のお受験は、そんなことまで気にしないといけないの?もう終わってしまったことだし、たい焼きでもいかが?」

母が能天気に言うと、買っておいてくれた天音の羽根つきたい焼きを勧めてくれる。

「そうそう、母親が先に入ったとしても、それがうちのスタイルなんだから、それでいいじゃない。もう、終わったことをあれこれ言うのはやめよう」

― お母さん、ありがとう。

果奈は、母の気遣いに感謝しながら、たい焼きにかぶりついた。




数日後、果奈と光弘は、自宅リビングでラップトップの前に正座していた。

今日は、啓祥学園小の合格発表日なのだ。

「あと、1分で発表になるのね」

手伝いに来てくれている果奈の母も、フローリングの床に正座してコーヒーテーブルに置かれたラップトップの画面を見つめている。

「今まで頑張ってきたこと、無駄なことなんて1つもない。どんな結果になっても、笑って『お疲れさま』って言おう」

果奈が努めて明るく言うが、その声は震えていた。

実は幼児教室から勧められて慶應義塾幼稚舎と暁星小を受験したが、当然のごとく落ちた。

しかし翼は、神奈川の学校にも、青桜小学校にも合格している。

― だから、緊張することはないわ。

果奈は、自分に言い聞かせるが、指が震えて動かない。

「やったー!マリオカート勝ったよー!」

啓祥学園の考査が終わったご褒美に、母がプレゼントしてくれたNintendo Switchのコントローラーを振り回しながら、翼が果奈の背中に抱きついてきた。

「あっ、翼、今はやめて…」

抱きつかれた衝撃で、果奈は発表ページをクリックしてしまう。

「あっ」

画面が合格者一覧を表示し、翼以外の全員が、息をのんだ。




「あ、あ…あったー!」

光弘が、いち早く翼の受験番号を見つけ、歓声を上げる。

「ほ、ほんとだ…!」

果奈の目から、思わず涙がこぼれ落ちる。

「やったー!」

果奈の母も、思わず中腰になり、叫び声を上げた。

「翼、合格!啓祥学園からお呼ばれしたよ!おめでとう!」

果奈が泣きながら声をかけると、翼はきょとんとした表情で言った。

「ぼくは、絶対にお呼ばれすると思っていたよ」

「翼…。本当にお疲れさま」

果奈が感動で声を震わせる。

「これでお受験は終わり。よかったわね」

すると翼はまたきょとんとした顔で言う。

「まだ終わりじゃないよ。僕、全部の試験行くよ。全部の学校の先生とお話したい」

― え…。こんなにしっかり自分の考えを持っているなんて。

しかし残る学校は、お茶の水女子大附属小。国立の対策を今からやるのは大変なことだ。

果奈は迷いながら光弘を見つめる。すると光弘は、ゆっくりうなずいた。

「翼がそうしたいなら、お茶の水も全力で受けようよ。最後までやり抜くのは、翼にとっていいことだろう。

最終的にどの学校に行くのかは、翼が選べばいい」

「そうね。お母さんはどう思う?…って、大丈夫?」

果奈が母を見ると、中腰の体勢のまま、固まっている。

「お母さん、どうしたの?」

「果奈…お母さんもぎっくり腰みたい」

母のささやきに、光弘が慌てて母に肩を貸す。

果奈は自分がぎっくり腰になった時にもお世話になった病院に電話をし、慌てて急患の予約を入れた。

「果奈、光弘さん、ごめんなさいね。翼くんのお受験は、まだ終わっていないみたいなのに」

「謝らないでよ、お母さん」

母が、病院に向かうタクシーに乗り込みながら無念そうに言うので、果奈は思わず母の手を握った。




車いすの母が病院の診察室に入っていくと、果奈は待合室の椅子に座った。

― まさか翼が、全部の学校を受験したいって言うとは。

国立大附属小学校の志願者は、毎年1,000人を超え、最も熾烈な戦いとなる。

さらに、2回の抽選を挟むため、実力だけでは突破できない。

― でも翼の希望だもんね。お母さんもこうなった今、ここからは、私たちだけで頑張るしかないわ。

アンも受験を予定しているが、女子の倍率はさらに上がり、日本一の難関校のひとつと称されている。

― アンちゃんたち、どうなったかしら。

果奈は彩香にLINEをしようかと考えたが、連絡するのはすべてが終わった後にしようと、スマホをバッグにしまった。

「果奈。お母さん、これ以上手伝えないわ。ごめんね…」

「何言っているの、お母さん。ここまで助けてくれてありがとう。治ったら温泉行こうね」

診察室から出てきた母が、悲しそうに謝ったので、果奈は慌てて言った。

幸い、痛み止めがよく効き、安静にしていれば数週間で良くなるらしい。

― 今度は私がお母さんを助ける番だわ。

果奈は、母を吉祥寺の実家に送ったタイミングで、切り出した。


「私、お母さんの身の回りの世話をするために、実家にしばらく泊まろうと思う」

出迎えてくれた父があっけにとられている。

「果奈…。それは1人で暴走しすぎよ。だって、まだ国立も受けるんでしょう」

母もか細い声で果奈をたしなめた。

「果奈は、翼くんのことに集中しなさい。国立を受けさせるからには全力でやるべきだよ」

父が静かな声で言う。

「国立の学校からも合格を勝ち取って、その上でどちらに進むか選べばいい。そうしたら、翼のことを誰も『二世』だなんて言わなくなるぞ」

父の口から出た『二世』という言葉を聞いて、果奈の心にさっと影が落ちた。

― 本当は、せっかく受かったんだし、このまま母校に入学を決めたい気持ちはあるけれど…。

葛藤はあるが、親の希望で翼の人生を決めつけたくはない。

引き続き全力で翼をサポートしようと果奈は決意した。



11月下旬。

― 一次抽選に落ちたら私の責任よね。

お茶の水女子大学附属小の抽選会場に向かう果奈の気持ちは重く沈んでいた。




― 彩香さんと会えるかしら?

淡い期待を抱くが、会場には大勢の保護者がいて、彩香の姿は見つけられない。

― 神様、どうか翼が選ばれますように…!

果奈は緊張のあまり胃がせりあがってくるのを感じながら、抽選会場に入った。

抽選は、淡々と進んでいく。

一次抽選で、ほとんどの受験生が振り落とされるお茶の水女子大附属小は、ここが正念場と言っても過言ではないだろう。

― うそでしょ!?

果奈は、翼の受験番号を見つけ、思わず立ち上がった。

ふと見渡すと、その場で涙を流す人や、思わず「わっ」と声を出す人、抽選会場には様々な感情が渦巻き、異様な雰囲気になっていた。

大急ぎで能力考査に申し込むと、果奈は、その足で幼児教室へ向かう。

国立小の能力考査対策講座に申し込むためだ。

通いなれた幼児教室の扉をくぐると、果奈はようやく気持ちが落ち着いてくるのを感じた。




「果奈さん!」

受付で申し込みをしていると、聞き覚えのある声が果奈を呼んだ。

振り返ると、笑顔の彩香が立っている。

「彩香さん、ここにいるっていうことは…」

「アン、一次抽選に受かった!」

思わず手を取り合って、お互いの強運をたたえ合う。

「あと少し、お互いに頑張ろうね!」

彩香の言葉に、果奈もうなずいた。

「うん。私の父からも合格しろって言われているから、がんばらないと。そうしたら、誰も翼のことを二世だなんて言わないから」

果奈の言葉に、彩香が眉をひそめる。

「果奈さん、また自分を見失ってる。これは翼くんのためのお受験でしょ!翼くんは自分が二世かどうかなんて気にしていないよ!」

彩香に肩を揺さぶられ、果奈ははっとした。

― 最後の最後で、私、また惑わされていた。

「その通りだよね。彩香さん、本当にありがとう」

泣いても笑っても、お受験はあと1校を残すのみ。

果奈は、自分自身の弱さとの戦いに、ようやく打ち勝った気がした。

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▶1話目はこちら:「この子を、同じ学校に入れたい…」名門校を卒業したワーママの苦悩

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国立小の合否発表。翼の決断は?そしてママ友・彩香の行く末は?