「美人すぎる看護師さん」が芸能界に足を踏み入れて、人生が激変!?
人生には、決断をしなければならない瞬間がある。
どちらの道を選ぶのかで、その後の人生が大きく変わることもあり得るだろう。
美女たちは、これまでどんな選択をしてきたのか、心のうちを覗いてみよう。
ふんわりとしたマシュマロボディーと、美しいショートヘア。
今年4月に行われた那須川天心のプロボクシングデビュー戦でリングガールを務め、一躍「かわいすぎる!」と脚光を浴びた謎の美女の魅力に迫る。
写真をクリックすると、新 唯さん撮りおろしフォトグラビアが多数ご覧いただけます!
私、元看護師です
新 唯(あらた ゆい)さん、25歳。
柔らかい雰囲気と抜群のプロポーションが目を引く美女だ。
透明感がありすぎる
現在グラビアを中心に活動する唯さんは、栃木県・那須塩原市生まれ。
「実家の周辺は、田んぼや畑ばかりでした(笑)。肥料をまくためのヘリコプターが常に上空を飛んでいるような田舎で育ちました」
幼少期から内気な性格で、小学3年生に上がる頃までほとんど友達もいなかったという。
そんな性格がガラリと変わったきっかけは、小学4年生から習い始めたバレーボール。
「バレーボールのおかげで、積極的に自分を出せるようになりました。誰にも負けないくらい大きな声で、毎日『声出し』をしていましたね」
当時から高身長だったという唯さんのポジションは、レフトのアタッカー。
入部後、すぐに戦力になる。
たまたま唯さんのお母さんが、バレーボール部の顧問だったそうだ。
「『自分の子どもだからといって甘やかさない』と思ってくれていたんでしょうね。母の指導は結構、厳しかったです(笑)」
最初はやりづらかったという唯さん。
しかし、高学年に上がった頃には、家庭にいる時とバレーボールの練習をする時でスイッチを切り替えることができるようになったという。
中学校に進むと、今度は卓球に夢中になる。
努力家の彼女は朝から晩まで練習にのめり込み、中学3年生の時には県大会に出場できるほどの腕前になった。
「ほろ苦い思い出もあります。夏場に夢中で練習しすぎて、県大会前日に熱中症で倒れてしまったんです。
自分だけならまだしも、ダブルスを組む予定だった相方に迷惑をかけてしまいました」
結局、試合当日までに体調は回復せず、最後の試合は棄権してしまったという。
しかし、バレーボールや卓球などのスポーツを通じて、根性が鍛え上げられた。
スタイル抜群だ
看護師を目指したきっかけは、TVドラマ!
高校進学後は、商業科に通い簿記などを学んだ。
「勉強は好きで、成績は良かったです。その頃、将来は税理士になりたいと思っていました」
ところが高校2年生の時、唯さんに転機がおとずれる。
その頃、フジテレビ系で『コード・ブルー』などの医療ドラマが放送されていた。
医療系の作品を観ているうちに、「人の命を救う医療の仕事に就きたい」と思うようになったそうだ。
そこからは看護学校に進学するため、猛勉強の日々が始まった。
「最初は模擬試験でも赤点ばかりとって、周囲に心配されました。でも、高校3年生になった頃から全力で試験勉強に熱中しました」
無事に志望校に合格することができた唯さん。
そこからは、看護学生としての日々が始まる。
「老人ホームや保育園に実習に行きました。最初に実習で担当した患者さんのことは、今でもはっきり覚えています。
中年の男性だったのですが、最初はまったく私に心を開いてくれなくて、不安でしたね」
しかし、そこで唯さんは諦めなかった。
その患者さんが将棋を好きだということを人づてに聞き、独学で将棋を学んだのだ。
「少しでも、患者さんと共通の話題があるといいなと思ったんです」
彼女の努力が功を奏し、最終的には患者さんや、その家族とも仲を深めることができたという。
看護学校を卒業後、外科系のナースとして働き始めた彼女。
「新人ナース時代は、とにかく忙しかったです。小さなミスが大きな事故に繋がる仕事ですから、些細な作業でも気が抜けません。
身体の自由がきかない患者さんをお風呂に入れたり、洗髪したり、『オペ出し』といって施術前にオペ室に連れて行ったりしていました。
仕事はハードでしたが、病気を抱えた方の力に、少しでも役に立てたら良いなという気持ちで頑張ることができました。
患者さんに『担当があなたで良かった』と少しでも思ってもらえたら嬉しいなと思って仕事に向き合っていました」
運命を変えた日の出来事
癒やされる雰囲気
多忙な日々を過ごしながらも仕事に邁進していた唯さん。
22歳の頃、運命を変える出来事があった。それは、休日に友人と原宿を歩いていた時のこと。
芸能事務所からスカウトの声がかかった。
「まさか声をかけてくださるなんて驚きました。でも、正直に言えば、高校時代からずっと芸能活動に憧れはあったんです」
やり甲斐のあるナースの仕事を続けるべきか。
スカウトに応じ、芸能界に足を踏み入れるべきか。
悩んだ末に彼女が選んだのは、「思い切って新しい道に挑戦する」ことだった。
人生が変わる大きな決断だが、当の本人は楽観的にとらえていた。
「まだ20代前半でしたし、目の前のことしか考えていなかったですね。勢いで決めました(笑)」
黒い衣装もよく似合う
芸能事務所に所属すると、当時のマネージャーから「どんな仕事に挑戦したいか」問われた。
「高校時代、東京ガールズコレクションで中条あやみさんのランウェイを見て憧れたこともあって、『モデルがやりたいです!』と答えました」
しかし、唯さんの物語は意外な方向に進んでいく。
まずは、レースクイーンをやってみないかと提案されたのだ。
当時レースについての知識は乏しかったが、すぐにその提案を受け入れた。
実は唯さん、看護師時代から車が大好き。
愛車はマツダのスポーツカー・ロードスターだというから驚きである。
「新人看護師時代は、勤務先に愛車で通勤していました。目立たないように、少し遠い駐車場に駐車していましたが(笑)。
レースクイーンのお話をいただいた時、レースではどのような車種が出ているのか気になったんです」
サーキットに足を運んだ彼女はすぐに夢中になり、本格的にレースクイーンとしてデビューすることになった。
ところが、試練が待ち受けていた。
SNSで自撮りを投稿し続けて……
美脚だ……!
満を持して芸能活動を始めた瞬間、世間がコロナ禍に突入してしまったのだ。
「デビュー後すぐにレースが中止になったり、マスクでの活動が余儀なくされたりしました」
そんなとき彼女は、新しい挑戦をする。
自身のInstagramを開設し、そこで積極的にレースクイーンとして発信をしてみることにしたのだ。
「看護師時代は、SNSをしていなかったので、最初は自撮りを投稿することに抵抗がありましたね」
苦手意識がなくなったのは、ファンからの優しいメッセージのおかげだという。
「SNSに写真を投稿するたびに『かわいいね』『がんばって』など応援コメントをくださる方がいて励まされました。
あと、ライブ配信もしました。毎回必ず配信を見てくれる方がいて嬉しかったですね」
ときには水着での撮影会にも参加し、ファンと交流を深めた。
「自撮りに慣れ始めた頃、撮影会でファンの方とお話をする機会がありました。
その時、あるファンの方が『唯ちゃんは、写真より本物のほうがかわいい。写真の撮られ方をもっと研究したら』と言ってくださったんです。
その一言で、『そうか!もっと研究しなきゃ』って思いました」
そこからは自撮り写真も自然体を心がけて、アプリなどで加工しすぎないようにしたそうだ。
その眼差しにキュン
レースクイーンとしての活動を積み重ねてきた唯さん。
前述の通り、今年からは格闘技の試合を彩るラウンドガールの仕事にも挑戦している。
今年4月に行われた“那須川天心のボクシングデビュー戦”では、華々しくリングに上がった。
「あくまで試合の主役は選手の方々なので、なるべく目立たないようにと思いながら務めさせていただきました。
でも、試合が終了直後からたくさんの友達から『試合、見たよ』と連絡をもらい、SNSのフォロワーさんが一晩にして2万人以上増えて!
新聞やラジオ、メディアからたくさん取材してもらい、改めて『すごいことだな』と思いました。
今後は、グラビアやバラエティ、演技など幅広く活動していきたいです」
強運さを武器に、看護師からのセカンドキャリアを着々と築いている唯さん。
努力家の彼女の、今後の活躍に期待したい!
<今週の美女>
新 唯さん
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公式プロフィール
<カメラマン>
佐野 円香
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