どんなに手を伸ばしても、絶対に届かない相手を想う。

結ばれることのない相手に人生を捧げる、女たちの心情を紐解いていく。

これは、「推し」がいる女たちのストーリー。

▶前回:3回目のデート後、まさかのLINEブロック。猛攻アプローチをうけていた女が、突然切られたワケ




推しの“弟”と繋がりをもった女・幸恵(26)【前編】


『彼がとなりで寝てるなんて……夢みたい。私、こんなに幸せでいいのかな?』

ツイートに添えられた画像には、某有名アイドルと思しき男性の寝顔が写っている。

昨日の深夜からTwitterを騒がせているこの投稿は、男性アイドルと何かしらの方法で“繋がった”ファンの鍵アカウントから流失したものらしい。

― ほんと、ばかばかしい。

こんな写真を撮られるなんて、アイドルの風上にも置けない。何より、それをわざわざSNSに載せるファンの女に嫌悪感を抱いた。

― それに比べて、私の推しは……。

会社のデスクに飾ったブロマイドを眺め、うっとりする。

彼は、男性アイドル「高木國弘」。推し歴はもう5年になる。“くにちゃん”の愛称で親しまれ、芸能界でも品行方正で有名だ。今年で30歳になるが、見た目は若々しく、目鼻立ちがくっきりとした美しいビジュアルだ。

「さて、仕事仕事」

気持ちを切り替え、目の前のPCに向き直る。

私は、都内の制作会社でWebデザイナーをしている。忙しさにはムラがある仕事だが、今は短納期の案件が多く慌ただしい時期だ。

こんな、くだらない炎上騒動にかまけている場合ではないのだが……。

「幸恵、聞いてよ〜。昨日の飲み会にいた男が超面倒で。この人知ってる?2.5次元俳優らしいんだけど」

隣の席に座る梨々花が、スマホの画面をこちらに向けてきた。


思わず幸恵が動揺した、梨々花からの予想外のお誘いとは?


私は「はいはい、仕事、仕事」と、梨々花の肩を小突いた。

「幸恵だって、くにちゃんを眺めてはニヤニヤしてたくせに」

「ニヤニヤはしてない!今日もカッコいいな〜って思ってただけ」

彼女は同じ部署の同期で、公私ともに親しくしている。いわゆる“パリピ”で、学生時代から毎晩港区で飲み歩いているような女だ。

一方の私は、小学生の頃から男性アイドルの追っかけをしているオタク女子。恋人は、3年以上いない。着心地を重視したラフなファッションが多く、モテを意識することもない。

私は人見知りなので、初対面の男性と食事をするときなんかは沈黙してしまう。それに、メッセージのやり取りなんかも面倒だと思ってしまうから、恋愛に不向きな性格だ。

当然、新しい出会いはなく、かといって焦りを感じているわけでもない。私は、楽しく“推し活”ができればそれで十分なのだ。

「梨々花、くれぐれも男性芸能人のプライベート写真をSNSに上げて、炎上したりしないでね。そしたら私、友達やめるから」

「そんなことしないよ〜芸能人なんて西麻布で石を投げれば当たるし、自慢するほどのことじゃないじゃん!あっ、そういえば…」

梨々花がいきなり大きめの声を出したので、私は口元に人差し指をあててシーっとジェスチャーする。梨々花は小声で「ごめんごめん」と謝りつつ、どこか得意げな顔で私を手招きした。

「昨日の飲み会で小耳に挟んだんだけど…くにちゃんの“実の弟”が、恵比寿に会員制バーをオープンするらしいよ」




「……それ、本当?」

“くにちゃん”という名前に一瞬ドキッとしたが、冷静を装い聞き返す。

たしかに、くにちゃんには年の近い弟がいるという話は聞いたことがある。だが、メディアに出てきたことは一度もない。

「大手芸能事務所の社長の話だから、本当だと思う。くにちゃんの弟、中価格帯の飲食店を都内で何店舗か経営してるんだって。若いのに結構やり手らしいよ」

私はいぶかしげな表情をしたが、梨々花はかまわず話を続ける。

「一緒に行ってみようよ。来週プレオープン期間らしくて、その芸能事務所社長が連れて行ってくれるって言ってたから」

熱のこもった瞳を向けられ、思わず顔をそむける。しかし、その視線の先には、くにちゃんのブロマイドがあった。

― くにちゃんの、弟か……。

くにちゃんは、端正な顔立ちとスマートな立ち振る舞いで、日本のみならず世界中のファンを虜にしている。その、世界が認める国宝級イケメンと血を分け合っているのだから、弟もとんでもない美形に違いない。

でも、こんなミーハー心で弟に会いに行くなんて、バカにしていた“推しと繋がろうとするファン”と、私も同類なのではないか、という考えがよぎる。

思い迷う私をよそに、梨々花は「来週の金曜夜でいい〜?」とグイグイ予定を詰めてくる。

― もしかすると、その弟はニセモノの可能性もある。もしそうだったら許せない。私はファンとして、それを確かめに行く義務がある。

結局、ミーハー心に勝てなかった私は、くにちゃんの弟に会うための理由を正当化し、噂のバーへ行くことを決意した。



当日。

私は、柄にもなく黒のタイトワンピースと、華奢なシルバーのアクセサリーを身に着け、髪をゆるく巻いて出社した。一日中クライアントアポがある梨々花とは、現地集合の予定だ。

ひとりで黙々と仕事を片付け、終業時刻の19時ぴったりにオフィスを出た。

私のオフィスは汐留駅にあるので、都営大江戸線と東京メトロ日比谷線を乗り継げば、30分もかからず恵比寿駅に到着する。しかし、はやる気持ちを抑えられなかった私は、タクシーに飛び乗った。

コンクリート打ちっぱなしの外壁がしゃれたビルに到着すると、すでに梨々花の姿があった。そして彼女の隣に、大柄で濃い顔の見知らぬ男性が立っていた。

「あ、はじめまして……」

「どうもどうも。幸恵ちゃんだね。じゃあ、行こうか」

不自然なほど白い歯を見せて笑うこの男性こそ、梨々花が言っていた大手芸能事務所の社長で、吉岡さんというらしい。

「ここの4階なんだって〜」

吉岡さんとの挨拶もそこそこに、ビルの中へ入る。狭いエレベーターの中で、私は自分の高鳴る心臓の音を2人に聞かれていないか、心配していた。

― どうしよう。ついに、ついに……!

あっという間に4階に到着し、黒いドアの前で吉岡さんがインターホンを鳴らす。すると、重厚なドアがゆっくりと開いた。

「いらっしゃいませ!」


“推しの弟”との対面に期待を膨らませる幸恵。だが、まさかの男が待ち受けていた…


― ……ん?

現れたのは、ふくよかで優しそうな雰囲気の男性だった。身長は172cmくらいで、年齢は20代半ばくらいだろうか。黒でまとめた全身コーディネートで、いかにもバーテンダーといった風貌だ。

店内を見回しても、彼以外のスタッフは見あたらない。

「おう、高木。久々だな。お前また太ったんじゃないのか?」

「ははは、コロナ太りってやつですかね」

吉岡さんが、バーテンダーと思しき男性と親しげに話す。

― 高木……?

まさかと思い、私がこっそりと彼の顔を観察していると、梨々花がバーテンダーに話しかけた。

「あ!もしかして高木さんって、あの、くにちゃんの弟さんですか?全然似てないですね!」

初対面の相手に対し、かなり失礼な態度である。一体、そのメンタルの強さはどこから来るのだろうか。

「そうです。僕が“あの”くにちゃんの弟です!」

疑惑が確信へと変わり、私は「ウソでしょ!?」と叫びそうになるのをぐっとこらえ、くにちゃんの弟をじーっと見つめる。

太い眉が印象的で、目は一重で腫れぼったい。唇は分厚く、顔のパーツがそれぞれ中心に寄っている。顔の大きさはお世辞にも小さいとはいえず、あごひげまで生やしている。

やはり、どこからどう見ても、似ても似つかない。こんなに理不尽な神様のイタズラがあっていいのだろうか。

― ありえない……あの、ギリシャ彫刻のように美しいくにちゃんと血がつながっているというのに、こんな……こんな……!

卒倒しそうになるのをなんとか耐えて、案内されたカウンターの席についた。




私たちはおすすめのカクテルをおまかせでオーダーし、ドライフルーツの盛り合わせも注文した。

くにちゃんの弟・高木達弘さんは、手際よくドリンクを作りながら、積極的に私たちに話しかけてくれた。

「僕に近づいてくる女性は、たいてい兄貴目的なんだよね。自分に対しての“好き”じゃないことを知って、毎回ショックで立ち直れなくてさ〜」

達弘さんは、兄と自分を比べる“自虐ネタ”を、バラエティタレント顔負けのトーク力で軽快に披露する。兄に対してコンプレックスを抱いているようにはまったく見えず、自虐ネタを笑って話せるほどのメンタルの強さに驚いた。

「兄貴と似てるところもあるんですよ。ほら、耳の形とか」

そう言って、達弘さんは髪をかきあげながら、耳を見せてきた。

「わかんねえよ!」

吉岡さんがすかさずツッコミを入れて、笑いが起こる。しかし私だけは、「たしかに似てる」と心の中でひとり納得していた。

“耳の形”を含め、どことなくくにちゃんの面影がある達弘さんは、少し太っているというだけで、痩せたらそれなりにカッコいいのだろう。

その後も、他愛無い話で盛り上がり、初対面の人と話をするのが苦手な私も、楽しく会話していた。

「あ、私たちそろそろ」

梨々花が席を立とうとする。時計を見ると、時刻は23時半を過ぎていた。楽しそうに飲みながらも、きちんと時間をチェックしていた梨々花はさすがである。

まだ飲み足りないという吉岡さんを置いて、私たちは達弘さんにお礼を言って、店を出た。

駅のホームで電車を待つ間、『今日はありがとうございました。また遊びに行かせてください』と達弘さんにLINEを送る。

― 私、くにちゃんの弟のLINEをゲットしちゃったんだ……。

マスクの下で、ついにやけてしまう。「お店に通い詰めたら、くにちゃんに会えるかも……」なんて考えが浮かび、ハッとした。

― だめ!そんな、推しと繋がりたがるファンみたいなこと考えちゃ……!

しかし、浮かれた気分はなかなか収まらない。

0時前の山手線の電車内は、周りの人と肩と肩がぶつかるほど混雑している。いつもなら心の中で舌打ちする状況だったが、そんなこと今はどうでもよかった。

そわそわしながら、ひとりで暮らす五反田のマンションに帰宅した。



翌朝。達弘さんからLINEの返事が届いていた。

『こちらこそ、昨日はありがとうございました!幸恵さん、とても素敵な人で緊張しちゃいました!もし良ければ、今度はぜひ2人で食事でも』

ベッドの中で眠い目をこすりながらLINEを開いたが、最後の一文を見た瞬間、カッと目を見開き何度も読み返した。

― しょ、食事!?くにちゃんの弟と……2人で!?

まさかこんなお誘いがくるとは思いもよらず、動揺する。

― いや、これは社交辞令というか、営業の一種なのかも。浮かれちゃダメ。しかも、相手はくにちゃん本人じゃなくて、弟!

何度も自分にそう言い聞かせ、『ありがとうございます。ぜひ』とだけ返事をした。

ここから、私と達弘さんの関係は、予想外の方向へと発展していく……。

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達弘から食事に誘われた幸恵は、彼から驚きの言葉を告げられる…