恋愛研究家の六波羅ナオトです。

つい先日、ミュージシャンの小室哲哉さんが週刊誌の不倫報道を受けて、会見を開き音楽活動から引退することを発表しました。今回は、この件について考えてみたいと思います。ただし、決して不倫を肯定するわけでなく、小室さんを擁護するものではないことを最初に断っておきます。

世間の反応について

小室哲哉さんと言えば、かつて音楽シーンで一時代を築いた音楽プロデュサーでありミュージシャン。筆者も小室サウンドを聴いて育った世代だけに、衝撃的な出来事でした。小室さんは、会見で不倫相手とされる女性との男女関係については否定しましたが、「不倫」と断定されかねない報道により、責任をとって音楽業界から身を引くと述べました。

皆さんご存じの通り、小室さんには自身もメンバーになっている「globe」のボーカリストのKEIKOさんという妻がいます。かつて、小室さんが詐欺事件を起こした際には、献身的に夫を支えたことは記憶に焼き付いています。その3年後に、KEIKOさんはくも膜下出血で倒れ、脳機能に障害を煩ってしまい、今度は小室さんが看病や介護をしている最中の不倫報道となりました。

世間の反応としては、「病床の妻がいるのにとんでもない」「不倫はダメだと思う」といった否定的な意見から、「疲れていたのでは」「誰かに頼りたかったのかも」などの擁護する意見まで様々です。

不倫を糾弾できるのは当事者だけ

筆者は、本連載において一貫して主張しているのが、「不倫を糾弾できるのは当事者だけ」ということ。たしかに、人づてに知人の不倫を知った際には、色々思うところはあるでしょう。「小さいお子さんがいるのに……」とか、「家庭があるのに不潔な!」などなど。また、女性目線であれば、「あの子、あのオジサンに騙されてるのよ」などの、「不倫は男性が悪い」という先入観で判断されがちです。

ただし、一般人の不倫がバレたとしても、周囲の人に陰口を言われたりする程度で、週刊誌にスッパ抜かれたり、釈明会見を開くことはまずありません。著名人だからこそ、週刊誌が「世間の皆さん、この人はこんなことしてますよー!」と騒ぎ立てられてしまいます。

しかし、コレよく考えてみて下さい。週刊誌が不倫とする根拠は、せいぜい2人きりで一夜を共にした、旅行に行ったという程度で、情事の現場を押さえているわけではありません。つまり、何が言いたいかというと、不倫報道で世間を賑わせ、釈明会見を開かせると言うことは「あんた、アノ人とやったんだろ?」と聞いているようなものです。

一般人の不倫でウワサが流れて、それを聞きつけた下世話な人が「やったの?」と、当事者に聞いてくることをイメージしてみて下さい。とんでもなくゲスな行為と筆者は断じます。当事者にとっては、そんなの答える必要ありませんし、例え不倫が事実だとしても否定して良いと思います。一般人だろうが芸能人だろうが、プライベートを明らかにする義務などありません。

釈明する必要はない、ただし当事者間で後始末は必要

こう書くと、不倫を肯定していると捉えられるかもしれませんが、釈明したり事実を公表しなくていいのは、あくまでも当事者ではない他人に対してです。不倫したことによってダメージを受けるであろう夫や妻、子供なども当事者と言えるので、バレた際は釈明する必要があると考えます。そこで、真実を言うかどうかは不倫をした本人のモラルや、家族との関係にもよりますが、必ず必要になるのは、「今後どうするのか」という後始末です。「妻が許してくれるのであれば不倫相手と清算する」、「妻とはもう終わっているので離婚して不倫相手と結婚する」など、ケースバイケースになると思いますが、後始末だけは絶対に必要です。

ただ、「後始末」と言っても、そうそう割り切れるものではないのが人間です。バレたからといって、不倫相手と別れるという決断も難しいでしょうし、どう謝罪しても妻に許してもらえず、かといって家庭を壊したくないという葛藤に苛まれることと思います。

小室さんのケースでは、どういう経緯をたどったのか想像もつきませんが、自分の人生そのものといっても過言ではない音楽をやめてしまうということは、想像を絶するなにかがあったのでしょう。

雪が降り積もる景色を見ると、つい「どこまでも〜」と口ずさむ、TK世代は多いのです。その才能をよく知っているからこそ、引退に疑問を感じてしまうのです。

その2では、小室さんのケースを例にして、もう少しマスコミの不倫報道のありかたについてと考えてみたいと思います。〜その2〜に続きます。