別れた元彼からのプレゼント。家に届いた小包の中に入っていたのは…
愛おしい人といるときは、何気ない時間が特別なものに変わる。
そして、2人の時間をよりスペシャルなものにしてくれるのが、ワインだ。
ワインには、香りと舌の記憶とともに一瞬を永遠に留めてくれる不思議な力がある。
今宵も、ボトルの前に男と女がいる。
長い年月を経て、このテーブルに辿り着いたこのワインのように、とっておきの物語が紡がれる。
▶前回:「仕事して疲れてるのは、自分だけって思ってるんだね」夫は、妻が不機嫌な理由がわからなくて…
Vol.19『誕生日のサプライズ』西畑由樹(27歳)
フリーランスのWEBデザイナーをしている西畑由樹は、クライアントと打ち合わせを終えた帰りに、偶然、彼氏の時田圭太郎を見かけた。
由樹は広尾駅へ向かっていて、一方の圭太郎は車道を挟んで向こう岸の歩道を歩いている。
その日は由樹の27歳の誕生日で、夜には圭太郎とディナーの約束があった。
― それなのにバッタリ出くわすなんて、やっぱり私たちって運命的…!
脳内がお花畑になっていると自覚しながらも嬉しくなってしまう。
時計を確認すると、まだ13時。次の打ち合わせまで時間的余裕があったから、由樹はなんとなく、圭太郎のあとを追うことにした。
タイミングを見計らって声をかけ、圭太郎を驚かすつもりだった。
由樹が見ているとも知らず、圭太郎は通りを曲がって路地へ入り、ワインショップに足を踏み入れた。
続けて由樹も入店し、棚に隠れながら彼を観察する。
すると圭太郎は『シャトー・ラトゥール』を購入したのだ。
― えっ、あのワインって…。
由樹は思い出す。
いつかのデートで別のワインショップへ入ったときに、『シャトー・ラトゥール』を見て「いつか、こういう高いワインを飲んでみたいな〜」と由樹は漏らしたことがあった。
圭太郎は、それを覚えていてくれて、誕生日だから買ってくれたのかもしれない。
― もしかして、私へのサプライズプレゼント?
由樹は、勝手に想像を膨らませて、幸せを噛み締める。
― どんなタイミングで、どんな言葉で、プレゼントしてくれるのかな…。
ただでさえお花畑だった由樹の脳内に、どんどん花が咲き誇っていく。
圭太郎がサプライズを用意してくれている以上、由樹もちゃんと何も知らないフリして喜ばないといけない。
だから由樹は、声をかけることはやめ、そそくさとワインショップを出て、次の打ち合わせ場所へ向かった。
今夜のことを想像すると心が躍る。
由樹は、打ち合わせのあと、待ち合わせの恵比寿のレストランへと向かった。
しかし、その夜『シャトー・ラトゥール』を由樹が飲むことがなかった。
最初は、圭太郎が誕生日ディナーとして予約してくれた恵比寿のレストランで、『シャトー・ラトゥール』がサプライズで出てくるのだと予想した。
が、店は持ち込み禁止だったのか、そんなことは起きなかった。
それどころかサプライズのバースデーケーキとかデザートプレートのような類も出てこなかった。
とはいえ圭太郎の自宅へ一緒に帰れば、そこで『シャトー・ラトゥール』とともにサプライズでお祝いしてくれるのだろうと、由樹は信じていた。
しかし、レストランを出た後、圭太郎は信じられないことを言った。
「明日は仕事で早いから、今日は一人で帰るね」
レストランを出ると、圭太郎は脇目も振らずにタクシーを呼んでひとりで帰って行った。
由樹は、ひとり取り残される。
― えっ、どういうこと…!?なんなの…!?
由樹は、悲しいと同時に、怒りが込み上げきた。
「今夜は私の誕生日なんだよ!?わかってる!?」
圭太郎を追いかけて、文句を言ってやりたくなるが、由樹はしなかった。
「不平不満があっても、その場ですぐに言葉で伝えない」というのは、彼女が作った恋愛のルールだ。
その場で、怒りを伝えても相手は逃げる。それよりも相手を温かく包み込む。すると本人が自然に気づいてくれる。
『北風と太陽』の童話でいうところの、太陽になりたいと思っていたからだ。
― ここで、怒りをぶちまけたり、圭太郎を責めたりしちゃいけない。その方がいい関係が築けるはず。
由樹はそう信じていた。
だが由樹が、祐天寺にある自宅マンションに帰ってくると、状況は一変した。
携帯電話に圭太郎からのメールが届いて、そこには「別れたい」と綴られていたのだ。
『今夜は、由樹の誕生日を忘れたような態度を取ったけど、もちろんちゃんと覚えていたよ。
でも「別れよう」と言いたくて…でも言えないままで…ずっと葛藤して、結局こんな形で伝えることになってしまいました。
本当にごめんなさい』
由樹は頭が真っ白になる。
文字どおり世界から色が消えていく。もはやお花畑がどうこうの話ではない。
― どうして別れたいの?
― どうして、よりによって誕生日にそんなこと言うの?
― どうして…どうして…どうして?
思い返せば別れの予兆はあった。
デートの回数も、同じベッドで寝る頻度も、目に見えて減っていた。
旅行の予定を立てることも、未来を語り合うことも、減っていた。
圭太郎もフリーランスのWEBデザイナーで同業者であったが、それまで四六時中していた仕事の話をすることも減っていた。
でもLINEのやりとりや、一緒にいるときに圭太郎が笑っている時間も、減っていた気がする。
― そっか。そういうことだったんだ…。
由樹は圭太郎を問い詰めたかったが、やめた。
「不平不満があっても、その場ですぐに言葉で伝えない」
それが由樹のルールだから。
「わかった。元気でね」とだけ返信して、携帯電話を閉じた。
由樹は心のどこかで、圭太郎が「やっぱり別れたくない」と言ってくることを期待していた。
― 太陽みたいに彼を包み込めば、いつか私の良さをわかってくれるはず…。
しかし、圭太郎から連絡がくることはなく、2年続いた交際はあっけなく終わった。
― 15年後 ―
由樹は42歳の誕生日を迎えていた。
同じ業界で働く圭太郎とは、いつかどこかで偶然、顔を合わすかと思っていた。
あのときの広尾で見かけたように。
でも、それは起きなかった。
27歳の誕生日以来、圭太郎と会っていない。
突然の破局を乗り越えた由樹は、28歳で新たな彼氏ができた。
それが現在の夫・尚哉だ。
圭太郎と別れるまで培ってきた恋愛のルールを大いに反省した由樹は、尚哉にはどんな些細なことでも想いを伝えるべきだと考え、過ごしてきた。
それはおそらく上手くいっている。
30歳で結婚し、3人の子どもにも恵まれ――上から10歳・8歳・5歳の全員が男の子――幸せに暮らしている。
そして本日は42歳の誕生日。
突然、武蔵小山の自宅マンションに由樹宛ての小包が届く。
送りはなんと、圭太郎だった。
荷物には圭太郎直筆の手紙が添えられていた。
『いきなり贈り物をして申し訳ございません』
謝罪の言葉で始まった手紙には――
さらには同じ業界で働く共通の知人を通じて由紀の自宅を知ったこと。
15年前の別れについて、圭太郎自身がとても幼く浅はかな選択をして反省と後悔をしたこと。
それを糧に今は自分も結婚して幸せであること。
――などが丁寧な言葉で綴られていた。
『自分たちはもう会うことは難しいけれど、せめてこれを贈りたいと思いました』
包まれていたのは、あの日、圭太郎が広尾で買っていたワイン『シャトー・ラトゥール』。
それは15年越しの誕生日プレゼント。
『この赤ワインは力強いので、製造から15年を経過した以降が飲み頃だと言われています』
つまりまさに今、飲み頃なのだ。
『栓を開けて、ワインを空気に少し触れさせてから飲むと、花が開くように美味しく感じるそうです』
3人の息子たちが寝静まった22時。
夫の尚哉とともに、由樹は『シャトー・ラトゥール』を飲むことにした。
圭太郎の存在は以前より、正直にすべて話している。
もちろん今回、突然に贈り物が届いたことも、手紙が添えられたことも正直に伝えた。
「へえ〜」
圭太郎の手紙を見せても、尚哉は興味があるのかないのかわからないような返事をした。
しかし、『シャトー・ラトゥール』を一口飲んだ瞬間、驚きの声をあげた。
「なにこれ…」
由樹も続く。
「うっそ…おいしい…」
至高の味がする。
ワインに詳しいわけでもない夫婦でも、15年も寝かしていた『シャトー・ラトゥール』が格別であることは明らかに理解できた。
「元カレさんは15年間もずっと大切に保管してたのかな」
尚哉が初めて圭太郎に興味を示す。
「たぶん、そうだと思うよ。ロマンチックな人だったから。15年ぶりのサプライズにキュンとしちゃった〜」
悪びれることなく由樹は答えた。
すると尚哉の顔が明らかに嫉妬している顔に変わった。
「ふふふ」
夫が可愛く見えて、由樹は思わず笑ってしまう。
「なんだよ」
「それで尚哉からのサプライズプレゼントは何だろうな〜?」
「待ってろ!今持ってくる!」
尚哉は急いで書斎に向かう。そこにプレゼントを用意してくれているのだろう。
由樹は幸せだ。
15年前、あのときの心の傷は一生消えない、と思っていた。
実際に消えていない。
けれど、それは今の幸せを手にするためには必要不可欠な傷だった。
ワインが気づかせてくれた。
Fin.
【今宵のワイン】
『シャトー・ラトゥール』
メドック格付け第一級、5大シャトーのひとつ。
ラトゥールのワインは、5大シャトーの中で「最も力強く男性的、晩熟で長命」といわれている。果実の凝縮感は素晴らしく、圧倒されるほど。
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