オトナの男女なら、一度や二度はあるだろう。

友達や恋人には言えない“あの夜”が…。

寂しかったから、お酒に酔っていたから、魔が差して…。

そうやって自分に言い訳をしながら、人は一夜の過ちを犯す。

これは、オトナの男女の「誰にも言えないあの夜」のストーリー。

▶前回:男に誘われて、モテると勘違いする29歳女。本命彼女になれないワケ




Vol.2 『元カノと再会した夜』和也(32)


― は?先週からまた、1万人も増えてんのかよ。

僕は、元カノのInstagramのアカウントを見て、固まった。

半年前まで、2.1千人だったフォロワーが、今は15万人にまで増加している。

最近は、PR案件の投稿も増えて、すっかりインフルエンサー…いや、有名人気取りだ。

大手の広告代理店に勤める僕でさえ、行ったことのない予約困難店がストーリーズに上がっている。

それだけじゃなく、着ている服もバッグも、付き合う人たちも、確実にレベルアップしているのだ。

― どこにでもいそうな女だったのに…。

ちょっと前まで、元カノ・環の笑顔は、僕に向けられたものだった。

環は、重すぎるくらいに僕のことが大好きだったし、尽くしてくれた。

― こんなにいい女になるのなら、あの時、手放さなければよかった。

僕は、いてもたってもいられず、彼女に再び接近することを決心した。





「…やっぱり嫌だよね」

それはまだ、僕が環の彼氏だったころ。

話があると環に呼ばれ、僕は彼女の家に出向いた。

27歳の彼女と付き合って2年。いつもは手料理で出迎えてくれるのに、この日はお茶しか出てこなかった。

不思議に思っていたら、案の定よくない話だった。

「嫌に決まってんだろ。恋愛リアリティー番組に出演するなんて、テレビに出た後のこと考えているのか?」

「だよね。和也にそう言われるのは、わかってたよ」

― じゃあ、やめろよ。

そう言おうとしたが、環の意志は固い。

「次が最終のオーディションなんだけど、彼氏がいない人を優先するって言われているの」

「なんだよ、それ」

「…ごめん」

環とは結局、別れることになってしまったが、僕はそこまで落ち込んではいなかった。

彼女はいい子で、顔もまあまあ可愛いけど、それだけ。そんな子は、東京にゴマンといる。だから、僕の恋人は環じゃなくてもいいのだ、そう自分に言い聞かせた。

それに、恋愛リアリティー番組なんかに出たら、プライベートは丸裸になり、不自由が増える。誹謗中傷だってあるかもしれない。

プラスになるのはSNSのフォロワーが多少増加するくらい。圧倒的にマイナスの方が多いはずだ。

頭の弱い環は、そんなことも想像できないのだろうか。

「もう、連絡してくるなよ」

僕はそのまま環の家を出て、近くのラーメン屋でビールと餃子とチャーシュー麺を注文し、10分そこらで店を出た。

それから1年後。

環は、僕の予想を遥かに超えて、女性の憧れのアイコンとしてSNSを賑わせていた。






『和也:環、久しぶり。なんかめちゃくちゃ人気者になってんじゃん!笑』

僕は、悩みに悩んで、そんなメッセージを環に送った。

InstagramのDMでは埋もれるから、あえてLINEにしたのは正解だった。

すぐに既読がついたので、僕は続けてメッセージを送った。

『和也:元気?』

しかし、既読がついたにもかかわらず、半日待っても環からの返信はなかったのだ。

― 無視するなら、既読つけるなよ。

環から連絡が返ってきたのは、翌日になってからだった。

『環:元気だよ』

僕は、そのメッセージを受け取ってすぐ、通話のアイコンをタップした。

そして、なんとか彼女と会う約束をしたのだった。


待ち合わせをしたのは、西麻布の交差点近くの高級焼肉店。席は、もちろん個室だ。

付き合った頃は、こんな高い店に環を連れてきたことはなかったが、今の彼女はあの頃のどこにでもいる女とは違う。

― こんなに可愛かったっけ…?

思わず見惚れてしまうほど、環は美しくなっていた。

メイクがナチュラルだからか、肌の綺麗さが際立ち、体は無駄な脂肪が一切なく引き締まっている。




「環!ごめんな、無理に来てもらって」

「ううん、大丈夫。それで、私が和也の家に忘れていったものって?」

環が僕に聞く。

「あっ、悪ぃ。肝心のそれ、家に忘れてきたわ。化粧品だったんだけど…」

― 嘘だ。本当は、そんなものはない。あったとしても処分してしまっている。

「…え、そうなの?じゃあ捨てていいよ」

環は、グラスシャンパンを飲みながら答えた。




梅酒しか飲めないと言っていたくせに、いつのまにそんな洒落たものを飲むようになったのだろう。

「いやいや、今度また持ってくるよ。本当ごめん」

環は少し呆れたようだったが、ユッケが運ばれてくると、笑顔が戻った。

「これ好きなんだよね〜!」
「あ、来たことあった?」
「うん」

― だよな…。

もう、僕の知る環ではないのだ。だからこそ、もう一度欲しくなった。

「環、やり直さないか?今なら環のこと、ちゃんと大事にするから」

しかし、期待した通りにはいかなかった。

「…ごめん、それはできない」
「そんなこと言うなよ〜。このあとうち来るだろ?」
「いやいや、無理だって」

頑なに環が拒むので、つい嫌味を言ってしまう。

「はぁ。変わっちゃったな、環は。有名人になったから?こんなやつ相手にしたくない、ってか?」

「…和也」

環を振ってしまったことへの後悔と、自分への苛立ちのせいで、どんどん強い言葉が出てくる。

「フォロワーが多いことが、インフルエンサーなことが、そんなに偉いのかね。私生活を晒して金もらって、楽しい?」

僕はそう言い放ってから、グラスに残っていた酒を飲み干した。

環は、顔色ひとつ変えずに僕を見ている。その態度が無性に腹立たしい。

だから、言いたいことを全て言ってやった。

しかし、黙って聞いていた環も、さすがに限界がきたのだろう。

「あのさ、和也」

彼女は、シメの冷麺を待つことなく、立ち上がった。

「気づいてないの?私、番組に応募する前から別れること決めてたんだよ。和也は、女性を軽視しすぎ。もう限界だったの」
「え?」
「久しぶりに会いたいって言われたから、和也も変わったかなと思ったけど、何も変わってないね。帰るわ、バイバイ」
「ちょっと、待って!!」

僕は慌てて会計を済ませ、急いで店を出た。

道の反対側にいる環を見つけ、安堵する。

もしかして、僕を待っていたのだろうか。などと思ってみたが、僅かな希望はすぐに打ち砕かれた。

彼女は、目の前に停まった黒のカイエンの方へ歩いて行く。

「あれ…誰だっけ」

運転席から降りてきた男の顔に見覚えがある。しかし、すぐには名前が出てこなかった。

男は、助手席のドアを開けて、環を乗せた。

その自然すぎる紳士的な行動は、すぐに真似できるレベルのものではないとわかる。

その男が僕の存在に気づいているのか、いないのかわからないが、「そんなことはどうでもいい」と背中が語っていた。

だから僕は、環がカイエンに乗り込むまでの一部始終を、ただただ見守るしかなかった。




― はぁ……帰ろ。

なんとなく六本木まで歩き、そこから日比谷線で自宅がある広尾駅で降りた。

『和也:今日は、ごめん。こんなつもりじゃなくて、本当に環のこと…』

家に着いてから作成したメッセージを、僕は全消去した。

― 無理だ…。

環を迎えにきたのは、朝の情報番組でコメンテーターもしている、有名な起業家だと気づいた。

そんな人に、僕が勝てるはずもない。

付き合っていた頃は大事にしなかったのに、環が有名人になった途端また欲しくなった。

どうして、彼女の気持ちを取り戻せると過信していたのだろうか。

みんなに自慢してやろうと思っていたのに、笑い話にすることもできない最大の恥となってしまった。

今夜のことは、誰にも言えない。

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同僚に勝つために女の武器を使った夜