「合格が1つもない」と震えるママ友…。容赦なく明暗が分かれる、お受験合格発表のリアル
「私、小学校から大学までずっと同じ学校なの」
周囲からうらやまれることの多い、名門一貫校出身者。
彼らは、大人になり子どもを持つと、必ずこんな声をかけられる。
「お子さんも、同じ学校に入れるんでしょう?」「合格間違いなしでいいね」
しかし今、小学校受験は様変わりしている。縁故も、古いしきたりも、もう通用しない。
これは、令和のお受験に挑む二世受験生親子の物語。
親の七光りは、吉か凶か―?
第一志望校の合格を手にした翼。しかし翼の意思で、そのまま国立大付属小のお受験にも挑むことに。ママ友・彩香の子ども、アンも同じ学校の一次抽選を突破。2人は二次検定の準備に入るが…。
▶前回:小学校受験合格を目指し、親子3人で奮闘。結果発表を迎える瞬間、突然のアクシデントが…
Vol.13 未来へ向かって
お茶の水女子大附属小の考査前日。
果奈は、翼を幼児教室に連れて来ていた。
二次検定対策もいよいよ大詰め。同じく対策のために教室に来ていた彩香とアンを見つけ、声をかける。
「彩香さん。いよいよ、明日だね」
母親2人で教室の後ろに座り、翼とアンの様子を見守る。
― アンちゃん、本当に頑張ってるな…。
11月初旬、風邪気味だったアンは、第一志望校の考査中に咳が止まらなくなり、途中退出してしまったという。
もちろんご縁はいただけず、併願校の受験も風邪のせいで実力を発揮できなかったのだ。
それでも、笑顔でアンを励ます彩香。彼女の持つ強さを、果奈は心の底から尊敬していた。
「アンちゃん、絶対に合格しますように!」
果奈が思わず言うと、彩香は笑いながら言った。
「ありがとう、果奈さんがいてくれて良かった。女の子ママたち、みんな殺伐としていて、声かけられないもん」
彩香の言う通りだ。
高校から女子高になるお茶の水女子大附属小は、受験する男子と女子の熱量が微妙に違うのだ。
最後の対策は、あっという間に終わる。
果奈は、彩香に激励の言葉を送りながら手を振った。
「さあ、翼もおうちに帰るよ」
果奈はここのところ毎日、自ら幼児教室への送迎をしている。
フレックス制度や介護休暇を活用することで、時間のやりくりがだいぶ楽になった。
果奈が勤める老舗メーカーには多様な勤務形態が存在している。しかし使いこなしている社員はほとんどいないので、制度について今まで知らなかったのだ。
― でもこんな毎日も、もう明日で終わりなのね。
明日で、小学校受験のすべてが終わる。
果奈は早くも感慨深く思いながら、翼の手を引いて帰路についた。
◆
翌日。
考査が終わり帰ってきた翼の話を聞きながら、果奈は冷静に結果を予想していた。
― 多分、翼はご縁をいただけない。
個別課題と呼ばれる考査は、子どもが1人で先生と向き合って問題に答えるため、親は待合室で待つことしかできない。
だから詳しい様子はわからないが、翼は手ごたえを感じなかったようだ。
実際、国立小の合格対策講座の出来も良いとはいえなかった。それでもあえてはっぱをかけずに考査当日を迎えたので、手ごたえがないのも仕方ないと思う。
「でもよく頑張ったね!ママ、本当に翼のことをすごいなって思うよ」
幼児教室通いを始めた3歳から約3年間、翼は本当によく頑張った。果奈は、心の底からその頑張りをたたえたのだった。
「ねえママ、もしこの学校からお呼ばれしなくても、僕は悲しくないよ」
「そうだね。お呼ばれしても、しなくても、翼は翼。ママの大好きな、大切な子だよ」
トーマスが大好きで、走り回ってばかりいた翼。まだ赤ちゃんの面影を残していた小さな子は、いつの間にか立派な男の子へと成長していた。
果奈は、目頭を熱くしながら翼の柔らかな髪をなでた。
◆
そしていよいよ、お茶の水女子大附属小の二次検定の合否発表日。
ここで合格した子は第三次検定となる抽選に進み、最終的な合格者が決定する。
果奈は、光弘に頼んで翼を保育園に送ってもらうと、1人になったリビングで合格発表のWebサイトを開いた。
― やっぱり。
翼の受験番号はそこにはなかった。
どうやって翼に伝えようか、果奈は一瞬迷ったが、翼はもう結果のことなど気にしていないだろう。
― ありのままを伝えれば良いわよね。
こうして、翼の小学校受験は、幕を閉じた。
果奈は、コーヒーを入れると、ほっとため息をついた。
― あっけない終わり…。今日は休みを取っていたけど、午後から仕事しようかな。
果奈がぼんやりと考えていると、スマホにLINEメッセージが入った。
『彩香:アン、能力考査に合格した!これから抽選に向かいます』
メッセージのすぐあとに、彩香から電話の着信があった。
「果奈さん、どうしよう。緊張で震えが止まらない」
「大丈夫、大丈夫」
果奈はそう声をかけたが、他に何を言えば良いのかわからなかった。
私立校からはご縁をいただけなかったアンにとって、この抽選が最後のチャンスとなる。
しかも、こんな時に彩香の夫ウィリアムとアンは、感染症にかかってしまい、自宅隔離中だというのだ。
「今まで何が起きても笑顔で頑張ってきたけど、もう無理。アンの将来が、家族の未来が、私が引くくじで決まるなんて…」
自宅隔離となってしまった今、アンが私立の二次募集の考査に参加することは難しいだろう。
「ごめんね、こんな話して。でも果奈さんのおかげで少しだけ落ち着いた」
果奈は、大丈夫、大丈夫、と何度も繰り返して電話を切ったが、居ても立ってもいられず、バッグをつかんで外へとかけだした。
― とっさに来ちゃったけれど、どうしよう。
果奈は、居ても立ってもいられず、お茶の水女子大附属小の最寄り駅、茗荷谷駅に来てしまったが、自分が何をしたいのかわからず、駅周辺をぐるぐると歩いた。
迷っているうちに、学校の方からネイビースーツの人々が戻ってくる。
― やっぱりこんなところまで来るなんて、やりすぎだわ。
彩香に見つかる前に、果奈が帰ろうとしたその時、聞き覚えのある声が聞こえた。
「果奈さん?待って!」
果奈が振り返ると、彩香が赤い目をして立っていた。
その表情を見て、果奈はすべてを悟った。
「私…」
彩香が何か話そうとするが、涙が次から次へとあふれてあごを伝う。
果奈は、タクシーを止めると、彩香を連れて自宅へと戻った。
自宅リビングで、彩香をソファに座らせ、熱い紅茶の入ったマグカップを渡す。
砂糖のたっぷり入った紅茶を一口すすると、彩香がぽつりぽつりと話し出した。
「私がいけないんだよね。アンはあんなに頑張ったっていうのに…」
― そんなことないよ。今までやってきたことは無駄じゃない。
果奈が思いつく言葉は、全部きれいごとだ。
「私のわがままでお受験なんてしようと思ったから、こんな結果になったの?」
― 違うよ。最後はアンちゃんのために頑張ってたじゃない。
それも全部きれいごとだ。
「うちにはこの学校しかなかったの。他の学校を受けられる子はそっちに行けばよかったじゃない」
― その通りだよね。
そんなことを言っても、何の気休めにもならないだろう。
「…悔しい」
彩香は振り絞るような声で言う。
今、どんな言葉をかけても、彩香を傷つけるだけだろう。
果奈は、彩香の隣に座って自分のマグカップから上る湯気を見つめることしかできなかった。
彩香は、しばらくの間、無言で涙を流すと、マグカップを置いて立ち上がった。
「もう大丈夫。もう泣かない。これからできることを考える」
そう言って家族の待つ家へと帰る彩香の後ろ姿は、果奈が今まで会った女性の中で、一番強く、美しかった。
◆
4月。
果奈たち家族は、満開の桜並木を歩いていた。
今日は、啓祥学園の入学式だ。
翼は結局、果奈の母校への進学を選んだ。
「お受験、大変だったけど、して良かったな」
隣を歩く光弘が感慨深げに言う。
「そうだね」
お受験をすると決めたその日から、光弘ともたくさん衝突した。
でも、これから何があっても夫婦で乗り越えていけるだろう。
二世のお受験とは何だったのだろうか。
振り返ってみれば、二世という事実に最も惑わされていたのは、果奈自身だった。
― もう二世かどうかなんて気にしない。これからは、強いママでいるからね。
果奈が写真を撮ろうとスマホを取り出すと、彩香からのLINEが入っていた。
『彩香:翼くん、入学おめでとう!うちも今日入学式だったよ』
アンは、あの後、お茶の水女子大附属小に奇跡の繰り上げ合格を果たしたのだ。
彩香は「女子の補欠合格はないと思ってたから、期待もしてなかったのに」と嬉しそうに報告してくれた。
わずか6歳にして経験する栄光と挫折。
翼やアンが手にした栄光の陰で、涙を流した家族がどれほどいるだろう。
果奈は、ぶかぶかの制服を着て桜並木を歩く翼の後ろ姿を見ながら考えた。
― だからこそ、いただいたご縁を大切に過ごしてほしい。
そして、自分もこの学校の卒業生として胸を張って生きていく。
果奈はそう心に刻むと、母校の門をくぐった。
Fin.
▶前回:小学校受験合格を目指し、親子3人で奮闘。結果発表を迎える瞬間、突然のアクシデントが…
▶1話目はこちら:「この子を、同じ学校に入れたい…」名門校を卒業したワーママの苦悩