バツイチ女に訪れた久しぶりの恋愛チャンス。浮かれるあまり、やらかしてしまったコトとは
レストランを予約してその予定を書き込むとき、私たちの心は一気に華やぐ。
なぜならその瞬間、あなただけの大切なストーリーが始まるから。
これは東京のレストランを舞台にした、大人の男女のストーリー。
▶前回：付き合って半年、会う回数が激減。仕事が忙しい男に不安を覚えた女は思わず…
Vol.19 愛海（まなみ）（32歳）バツイチの苦悩
「ママ〜！すごい、気持ちいい！」
夏の終わりの日曜日、私たちは伊豆下田の海に来ていた。
6歳になる娘の咲乃（さきの）は、初めて乗る小型船に興奮しはしゃいでいる。
数日前、普段あまりワガママを言わない咲乃が、珍しく海に行きたいとごねた。
その話をすると透が、ツテで小型船を出せるからと、彼の地元の下田まで来ないか、と誘ってくれたのだ。
― 側から見れば、私たち3人は仲の良い家族に見えるのかな？
でも、咲乃と透が会うのは、今日が初めてだった。
透とは、1年ほど前に仕事を通じて知り合った。
私は、大手建設会社で建築物の図面を起こす仕事をしている。
彼は、店舗デザインの会社を経営している33歳。業界では名の知れた人物だ。
都内のレストラン設計の打ち合わせで、彼と初めて会った。
彼の第一印象は、 話しやすくてエクボが可愛い人、だった。
何度か仕事でやり取りしているうちに、仲良くなり彼から食事に誘ってきたのだ。
最初、私はバツイチ子持ちだから、食事に行く時間は取れないとやんわりと断った。
でも、お互いの会社が外苑前と表参道という近い距離にあるので「仕事の合間のランチでも」と、彼が熱心に誘ってくれた。
それ以来、何度かランチデートをするようになった。そして、出会ってから半年ほどたったとき。
「最初は、1人で子育てしている君のことをなんだか放っておけないって思ってたけど、1人の女性として君のことが好きだ」
そう顔を赤らめながら、真っすぐに伝えてくれた彼に、私も心を動かされたのだった。
今は、月1回、休日に咲乃を同居している私の両親に見てもらい、透とデートをする関係が続いている。
透との将来のことも考え始めた私は、今日初めて彼を「ママの友達」として娘に紹介したのだ。
◆
海を満喫した咲乃は、帰りの車では、はしゃぎ疲れて寝てしまった。
透は運転席からバックミラーで咲乃を優しい笑顔で見ている。
「咲乃ちゃんの喜ぶ顔を見ていると自分が父親になったような気持ちになるよ。なんだか嬉しかったな。僕はそんな未来がいいなと思う」
― これって、もしかして……間接的なプロポーズ…？
もう2度と、恋愛も結婚もするものかと思っていた3年前。
まさか自分にこんな未来が訪れるなんて想像もしていなかった。
― 私も、幸せになってもいいのかな…。
私は、満ち足りた気持ちになっていた。
◆
その日の夜、リビングで、咲乃はホットミルクを飲みながら私につぶやいた。
「今日、楽しかったなあ」
咲乃が楽しんでくれたこと、そして透と打ち解けていたことが嬉しくて、私はつい聞いた。
「……ねぇ、咲乃は、パパがいなくて寂しい？」
その瞬間のことだった。
『ガシャン！！！』
咲乃のマグカップが、床に落ちて割れた。
「咲乃、ケガない！？動かないでね、片付けるから」
私が、雑巾とホウキを取りに行こうとすると、咲乃は泣きべそをかいて言った。
「カップ、割っちゃってごめんなさい」
そして、さらに小さな声で言った。
「パパ、いらない……」
その瞬間、私はハッとして、あることを思い出した。
元夫は、経営していた会社の業績不振によるストレスから、家にいるときはお酒に逃げるようになっていたこと。
そして、彼が酒に酔って、マグカップを私と咲乃に向かって投げた瞬間に、私が離婚を決意したことを。
幸いケガはなかったが、3歳だった咲乃の脳裏にその光景が、焼き付いているのかもしれない。
― 私、1人で透とのことで舞い上がって、最低だ…。
数日後、仕事終わりに透からLINEが届いた。
『約束してる来月の日曜日、もしよければ、咲乃ちゃんも一緒にランチしない？』
そのメッセージは嬉しかったが、咲乃のことを考えると、何と返事をしていいのか迷ってしまう。
咲乃が通う英会話教室へお迎えに行った帰りに、私は恐る恐る聞いた。
「この前、海に一緒に行った透お兄さんが、来月一緒にご飯に行かない？って言っているんだけど、どうかな？」
「透お兄さん？うん！いいよ〜！」
咲乃の返事に安心したものの、私は、複雑な思いを抱えながら、透に「ありがとう。ぜひ、3人でランチしよう」とLINEを返した。
約束の日。
透は、「行きたいお店がある」と言い、私たちを車で表参道まで連れて行ってくれた。
そして、向かったお店は…。
仕事仲間のあいだで“素敵なお店“と評判のフレンチレストラン『NéMo』だった。
半地下だけれど、木漏れ日が差し、温もりを感じられる店内。
高級レストランの独特な張り詰めた空気感というよりも、「ただいま」と言いたくなる雰囲気に、私も咲乃も、自然とテンションが上がる。
私たちは、子どももOKな個室に案内された。
「愛海、お酒強いし、ランチだけどワインペアリング頼んだら？」
透にそう言われて、さらに気持ちが高ぶった。
確かに、私はかなりお酒が好きだし強い。でも車で送ってくれた透を前に、1人お酒を頼むのは気が引ける。
そんな私の心情を察してか、彼は笑いながら言った。
「ここ、ティーペアリングでも有名だから、僕は今日、それを楽しみたくて」
そんな自然な気遣いに、心が踊る。
「確かにママ、家でもお酒飲みながら分厚い本読んだりしてるもんね」
「ちょっと、咲乃！」
そんなやりとりをしながら、来店時間に合わせて焼き上げたという香ばしいパンや、魚をメインにした美しい前菜が何品も運ばれてきて、私たちは自然と笑顔になる。
その日の魚のメイン、“ウメイロ”が登場し、思わず息をのむ。
「これがお魚なの？きれーい！」
咲乃が、言った通り、美しい火入れだった。
「このお店、シェフが釣り好きで、下田や全国の海で漁師さんと混ざって釣りをするほどの腕前らしいんだ。だから、どうしても2人を連れて来たくて」
「そっか、あの綺麗な海から、お魚さんたちが来ているんだね」
見よう見まねで、ナイフとフォークを使いながら「食」と向き合い、空間に心を動かされている咲乃を見て、私は、なんだか胸が熱くなる。
『美味しい記憶がたくさん残りますように』そんなお店のコンセプトを、私たちは体感していた。
◆
「ごちそうさまでした」
私と咲乃は、透にご馳走になり、さらに帰りも車で送ってもらった。
「楽しかったね」
2人で、そう言いながら、家の中に入る。
― 子連れでレストランに食事に行って、美味しいと楽しいが共存するなんて思ってもみなかったな…。
「ねえ？」
咲乃が靴をそろえながら、私の顔を見て言った。
「パパがいて、ママが泣いてるのが嫌だったの。ママが笑ってるなら、パパ欲しい」
その言葉を聞いた瞬間、私は咲乃を抱きしめた。
複雑な家庭環境だからこそ、咲乃は年齢の割に大人びているところがある。
今日のレストランでの時間の延長線上に、3人で過ごす未来の食卓があるように思えた。
「ねえ、ママ。なんで笑いながら泣いてるの？」
この大好きな3人なら、また新しい家庭が築けるんじゃないかな。
そう確信に近い感情を、私は抱いていた。
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