「彼氏いるの?」男をその気にさせた、25歳女の絶妙な回答とは
自由気ままなバツイチ独身生活を楽しんでいた滝口(38)。
しかし、“ある女”の登場で生活が一変……。
これは東京に住む男が、男としての「第二の人生」を見つめ直す奮闘記である―。
◆これまでのあらすじ
エレンとの2人暮らしが始まり、年下恋人雛子とまともにデートすらできなくなった滝口。一方、雛子は時間を持て余し、友達から食事会に誘われ、つい承諾してしまう。
▶前回:年上男性との恋に溺れる25歳女子。だが一夜のある瞬間、彼の“お父さん的言動”が気になり始め…
Vol.4:会えない彼氏と付き合う意味
女友達の和香に指定された恵比寿のレストランに雛子が着いたのは、約束の20時を少し回っていた。
案内されたテーブルに向かって歩いていると、和香が雛子に気づき手を振る。同じ席にいる2人の男性も、ビールを片手に雛子のほうを振り返った。
― こういう感じ、久しぶりかも。
滝口と付き合い始めてから1年。雛子は、年上の恋人にのめり込むあまり、食事会やマッチングアプリとは無縁の生活を送ってきた。
「はじめまして。遅れちゃってすみません」
雛子が空いている席に座ると、真向かいの男性がドリンクメニューを差し出してきた。
「何飲む?つまみは適当に頼んじゃってるけど、食べられないものとかない?」
雛子は「じゃ、ビールをグラスで」と言いながらも、目の前の2人が期待していた以上だったことに、心なしか気分が上がる。
― 私より年上だよね?2人とも素敵なんですけど…。
和香によると、2人とも3つ年上の28歳で、大手代理店勤務。
和香の向かいに座っている彼は、彼女が狙っていると聞いていたから“ナシ”だ。
だとしても、雛子の向かいに座っている彼、遠藤の外見、服装や、その声から醸す雰囲気は嫌いじゃない。
飲みながら話しているうちに打ち解け、それぞれの過去の恋バナで盛り上がり始めた。
「じゃあ、雛子ちゃん、今は付き合っている彼いないの?」
遠藤からの唐突な問いに、雛子は思わず動きを止めた。正直に話すべきか、とりあえず「いない」と言うべきか。
ためらったものの、素直に話すことにした。
「いるような、いないような…」
雛子の中途半端な返答に、和香が横から口を挟む。
彼氏のことを聞かれて返答に困る雛子。その時、目の前の男性が言った一言
「雛子は、付き合っている人いるんですよ。でもその彼が、最近……ねっ?」
想定外の和香からの振りに、雛子は仕方なく口を開く。
「実は付き合っている人はいます。でも最近、離婚した元妻との間にできた娘さんと一緒に暮らすことになって…。今までみたいに頻繁に会えなくなっちゃったんです」
「え?じゃあ、その彼シングルファザーってこと?」
遠藤の言う「シングルファザー」という言葉に、雛子自身ちょっと驚いた。
― そっか。トオルさんってシングルファザーみたいなものなのか…。
「付き合ってるような、付き合ってないようなっていうことは、子どもがいるから会えないとか?」
しゅんとした雛子に気づいた遠藤が言う。
「まあ、そういう感じです」
雛子は、そう言いながら小さくため息をついた。
「そりゃ寂しいよね。じゃあさ、時間ある時はこうやって飲んだり、ゴハン食べたりしようよ」
深入りせずに話を終えてくれた心遣いに、雛子の中の好感度が上がる。
「ありがとうございます。ぜひ」
そのやりとりを見ながら、和香が口を挟んだ。
「でもさ、雛子これからどうするの?だって娘預かるのって、1ヶ月だけとかじゃないんでしょ?」
そこなのだ。雛子が最近悩んでいるのは。
「そうなのよね。少なくとも1年は…。今までみたいに夜飲みにいったりできないし、会うのは学校がある昼間のランチくらい。もう無理なのかな、って思う時もあるんだ」
雛子は、思わず本音を打ち明ける。
◆
その会は大いに盛り上がり、雛子は心地よくタクシーの座席に身を預けた。
「飲みすぎたー」
隣には、自宅の方角が同じ遠藤が座っている。
「さっきの話だけどさ…」
遠藤が言った。
「娘さんがいて、子育てしながら恋愛ってなかなか難しいよね。雛子ちゃんは、彼が好きなの?」
雛子にとって、“滝口のことを好きかどうか”は、もはや問題ではなかった。
“会えるか、会えないか”が大事なのだ。雛子の場合、会える前提があっての「好き」なのだと、最近思うようになった。
「それが最近わからなくなりました。お嬢さんを引き取ってから、“父親”の一面が見えちゃって…」
酔いもあり、雛子は饒舌になる。
「楽しかったんだけどなぁ」
彼女がつぶやく様子を、遠藤は興味深そうに見ている。
「ふーん。楽しかったんだけど、ってすでに過去形だね」
遠藤の言葉に、雛子はハッとする。
「じゃあ、友達からでいいから、次カレの候補に俺を入れてよ。今のカレみたいにセレブじゃないけど、全力で楽しませるからさ」
タクシーに道を説明しながら、さりげなくそんなことを言われると、思わずキュンとなってしまう。
どう答えようか迷っているうちに、車は三軒茶屋駅を過ぎたあたりで路肩に止まった。
「じゃ、うちこの辺だから先降りるね。アプリで料金払うから、雛子ちゃんは好きなところで降りて」
そう言って遠藤は車を降りた。
― エスコートも口説き方も自然で素敵かも。それに三茶だったら、私が住んでいる駒沢にも近いし!
滝口との関係では、一緒にいる安心感のようなものがあった。それから、どんなワガママを言っても受け止めてくれる鷹揚さを感じることができた。
それに加え、服やバッグなど、欲しいものはたいがい買い与えられ、物理的な充足感を味わうことができた。
しかし、娘と一緒に暮らすようになった今、雛子がワガママを言う隙はなく、ひたすら我慢を強いられる毎日だ。
それに対して、今日知り合ったばかりの遠藤との間には、同世代ならではの気楽さがある。
ふと手首のアップルウォッチがブルっと震え、LINEの着信を知らせる。バッグからスマホを取り出し、メッセージを確認する。
『遠藤:早速だけど、来週ご飯でも行かない?』
雛子は、クスッと笑い『はい』と短く返信をした。
と、その時、もう一度手首に振動を感じLINEの通知が届く。
― え?トオルさん?
本来は嬉しいはずのLINEだが…。滝口と遠藤の間で雛子は揺れ…
年下恋人との距離
滝口は自室のソファに腰を下ろし、コーヒーを口に含むとほっと一息ついた。エレンは夕食後、宿題を終わらせるため自室にこもっている。
雛子に電話をしてみようかと、滝口はスマホを手に取った。
― いや、電話の前に、LINEにするか…。
思い直して、LINEに「元気?」とだけ打ち込んで送信ボタンを押した。
すぐに既読になり、「元気です」と吹き出しがついたウサギのスタンプが送られてきた。滝口は、雛子に電話をかけてみる。
「トオルさん、久しぶり」
彼女の声を聞くのは、1週間ぶりくらいだ。
だが、なぜだろう。以前とは違う、微妙な距離感を滝口は感じた。
「娘をね、個別指導の塾に入れたんだ。だから、週に3日。3、4時間ほどだけど、夜に少し自由な時間ができそうだよ」
滝口が申し訳なさそうに言う。
これまで、彼は渋谷界隈の中学受験塾を隈なくあたった。だが、どこも枠が埋まっていて、通塾経験のない小学校6年生を入塾させてくれるところなんてなかった。
しかし、その中で「個別なら入れますよ」と言う塾があり、1対1の個別指導を受けさせることにしたのだ。
「個別だけで中学受験なんて、すごいね。昔、苦手な理科だけ個別指導に通ってたけど、ママは高い、高いって文句ばっか言ってたわ」
雛子は感心している様子だが、滝口は塾代の相場すらわかっていなかった。
週に3日、受験に必要な4科目のサポートを1対1の個別指導で相談したところ、初めは週3日ほどから始めてみては、と提案された。4教科の1ヶ月の費用は約20万ほど。
― 薦められるがままに申し込んでしまったが、確かに、割高だったかもな。
「娘が、どうしても私立の中学校に行きたいって言うんだよ。まぁ、私立だと、母親がアメリカから戻ってきた時に転校させないで済むから、それもいいかなって」
元妻と娘がこれまで住んでいたのは鎌倉。横浜方面の中学校なら渋谷からも鎌倉からも通学圏だと気づき、滝口は娘の希望どおり受験を承諾したのだった。
電話の向こうから、車のウィンカーの音が漏れ聞こえてきた。
「雛子、移動中?」
「うん、そう。タクシーに乗っているの。友達とちょっと飲みに行った帰りなの」
それを聞いて、滝口はふとつぶやいた。
「いいなぁ。僕も久しぶりに飲みに行きたいよ」
ところが、雛子はそれに対して、何も返そうとはしなかった。電話の向こうからタクシーのドアが閉まる音が聞こえた。
「雛子?どうしたの?」
滝口が問いかける。すると、雛子がようやく口を開いた。
「トオルさん、何もわかってないね。僕も久しぶりに飲みに行きたい?私の気持ちも知らないで、よくそういうこと言えるね?」
いきなり食ってかかられ、滝口は呆然となった。
「ごめんね、雛子。僕は君に我慢ばかり強いているのに…」
滝口はすぐに失言に気づき、誠意を持って詫びた。すると雛子も我に返り、「こちらこそ、カッとなっちゃってごめんなさい」と謝ってきた。
「ちゃんと話をしたいの」
雛子が改まった口調で言う。
「明後日も、塾があるから22時まで娘がいないんだ。どこかで食事でもしない?」
滝口が提案すると、雛子も素直に応じてくれた。
― 雛子の好きな『フロリレージュ』でも予約しようかな。
大好きな料理とワインで機嫌は直るだろう、と滝口は思っていた。雛子の中では、滝口が思いもよらない決心が出来上がっていることも知らずに。
▶前回:年上男性との恋に溺れる25歳女子。だが一夜のある瞬間、彼の“お父さん的言動”が気になり始め…
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