披露宴のスピーチを頼まれた27歳女。本番3日前、花嫁にお願いされた“ありえないコト”
人の心は単純ではない。
たとえ友情や恋愛感情によって結ばれている相手でも、時に意見は食い違い、衝突が起きる。
軋轢や確執のなかで、感情は歪められ、別の形を成していく――。
これは、複雑怪奇な人間心理が生み出した、ミステリアスな物語。
▶前回:年上の既婚上司にハマった28歳女。ある日、彼の腹黒い本性が発覚して絶望し…
招かれざる猫【前編】
「うん!すごくいい!これで3日後のスピーチもバッチリだね」
祐奈が原稿を読み終えると、姉の由梨が満足げにそれを讃えた。
「本当?内容も問題なかった?」
「うん。幼馴染みらしいエピソードがあって良かったし、心から祝福しているのが伝わってきた」
花嫁の美憂とは小学校まで同じで、中学になって別々の私立校に通い始めたが、ずっと連絡は取り合っていた。
大学卒業後、祐奈は大手食品メーカー、美憂は医薬品メーカーに就職。頻繁ではないものの交流は続いており、社会人5年目で結婚の報告を受けた。
「でも、仕事も忙しいのに、よく短期間で仕上げたね」
由梨が感心して頷く。
美憂からスピーチの依頼を受けたのは、2週間前のことだった。
もともと依頼していた友人が、急な事情で参列できなくなったそうで「祐奈しかいないの」と代役を頼まれたのだ。
祐奈は戸惑ったが、引き受けたのには理由がある。
美憂の結婚相手は、仕事関係で知り合った若い医師だった。結婚式に参列する新郎側の友人たちは、そうそうたる顔ぶれであることが予想された。
恋人のいない祐奈にとっては、出会いのチャンスとなる。
― 友人代表のスピーチをすれば、絶好のアピールチャンスになるかも。
そんな打算的な思考が働いたのだ。
― もちろん、こんな理由で引き受けたことは、極秘事項だけど…。
そのとき、祐奈のスマートフォンに着信が入った。
「あ、美憂だ」
通話ボタンを押して会話を交わす。
「どうしたの?」
「あのね。お願いしてたスピーチなんだけど、ひとつ伝え忘れていたことがあって…」
美憂は申し訳なさそうな口調で、用件を述べた。
美憂からの電話は、スピーチに少し手を加えてほしいとの申し出だった。
「ええっ?スピーチのなかで猫好きをアピールしてほしい?」
「そうなの。彼のお義母さんが大の猫好きでね。私もそれに合わせて、猫が大好きって伝えてて…」
― 嫁の立場として、夫の母親に取り入りたいっていう気持ちは理解できなくないけど…。
「もっと早く言ってほしかったなぁ…」
「ごめんね。式の準備でとにかく忙しくって、頭から抜けちゃってた。難しかったら『猫カフェに一緒に行ってた』ってだけどこかに入れてくれればいいから。お義母さんには、よくそう話してたから」
美憂は「1文でいいから付け加えて」と言うものの、そう簡単な変更で済むとは思えない。
とはいえ、花嫁の依頼を突っぱねるわけにもいかず、受け入れる姿勢を示して電話を切った。
「どうしたの?美憂ちゃん、なんだって?」
祐奈は、今受けたばかりの依頼の内容を由梨に伝える。
「それは困ったね…」
由梨も渋い表情を浮かべる。
由梨が同情を寄せるのも当然だった。
祐奈が作っていたスピーチの内容が、“犬”のエピソードを軸に構成されていたからだ。
祐奈が小学4年生のとき、犬を飼っている近所の家庭に5匹の子犬が産まれた。美憂と一緒に覗きに行ったところ「譲ってもいい」と飼い主に言われ、どうしても飼いたいという欲求が高まった。
ただ、美憂はマンション住まいで環境が整わず、代わりに祐奈の家に白羽の矢が立つ。
祐奈が両親に切り出すと、初めのうちは難色を示されたものの、美憂とともに頼み込んだところ、承諾を得ることができたのだった。
子犬は『ラスク』と名付けられ、家族の一員に。美憂もたびたび家にやって来て、可愛がっていた。
ラスクはずっと実家で飼われ続けていたが、昨年、16歳でこの世を去った。
葬儀をおこなったところ、美憂も駆けつけ、涙を流してくれたのだ。
…式で披露するスピーチは、このエピソードが多くを占めており、涙を誘う重要なシーンとなっていた。
「ここに猫好きのエピソードを入れるって、どうしたらいいんだろう」
祐奈は原稿を眺めながら、頭を悩ませる。
『猫カフェに一緒に行っていた』の1文を加えるだけでいいとはいえ、どこに挟んでもトーンダウンにつながる。
一貫性に欠け、ブレた内容となり、聞いている参列者たちも戸惑うに違いない。
そのとき由梨が顔を上げ「これはどうかな?」とある打開策を提案する。
「ラスクを、犬じゃなくて猫だったってことにするのは?」
「最初から、うちで飼っていたのは猫だったと?う〜ん…」
暗礁に乗り上げていた事案に、一筋の光が差したようでもある。だが、祐奈にはすんなりとは受け入れられない思いがあった。
◆
結婚式当日。
無事にスピーチを終えて披露宴が終了した。式場に併設されたレストランに場所を移して、2次会が始まる。
もともとスタイルのいい美憂のドレス姿は、メリハリのあるボディラインがいっそう強調され、美しさを際立たせていた。
多くの参列者から「はぁ…」と感嘆のため息が聞こえるほどで、2次会の会場においてもまだその評判が耳に入ってくる。
そしてもうひとつ、祐奈の耳に届くある声があった。
「祐奈さん!」
名前を呼ばれて振り返ると、女性が立っていた。
― 確か、美憂の高校のときの友達だったわよね…。
何度か顔を合わせた記憶がある。
「スピーチすごく良かった!私、泣いちゃった」
女性が、感極まった様子で伝えてきた。
祐奈の読み上げた友人代表のスピーチは好評を博し、注目を集めていた。
なかにはこんな評価も…。
「あのスピーチしてた子、可愛かったな」
男性陣からの声もどこからか聞こえ、祐奈も密かに手ごたえを感じる。
美憂からの電話でスピーチの内容の変更を余儀なくされた祐奈は、悩んだ挙げ句、姉の打開案を採用することにした。
「ラスクを、犬じゃなくて猫だったことにする」
小学生のとき、祐奈は近所で生まれた「子猫」を美憂とともに譲り受けて飼い始め、その「猫」が去年息を引き取ったということにしたのだ。
大幅な変更をせずに済み、主旨の一貫性を保つことができた。
ラスクの顔を思い浮かべながら読み上げることで感情がこもり、多くの聴衆の感動を誘い、盛大な拍手を受けた。
高砂席に着く美憂も、満悦の表情を見せていた。
しかし、気が咎めるところがないとは言えない。
祐奈は根っからの犬好きである。
ラスクが亡くなって悲しみに暮れ、新たに姉妹2人で犬を飼おうと、このたび姉と同居を始めたくらいだ。
― ごめんね。ラスク…。
ラスクに対してどこか後ろめたさを感じ、ふと生前の姿が脳裏をよぎる。
モヤモヤしながらも、スピーチが終わったことにほっとしているとき、祐奈は誰かに見られているような感覚をおぼえた。
男性からの熱い視線…ではなかった。
会場の隅のほうから、背の高いショートカットの女性が冷めたような目で見つめている。
― 誰だったかしら。会ったことあるような…。
美憂から紹介を受けた気もするが、思い出せない。
女性が視線を逸らし、去っていく。
― なに…?ちょっと怖いんだけど…。
周囲から持てはやされている自分に対して、嫉妬を抱いているように感じてしまう。
すると「すみません」と背後から声をかけられた。
今度は明らかに男の声。祐奈は表情を整え「はい」とにこやかに振り返る。
男の姿を目にした途端、ビビビッと体に衝撃が走った。
― ち、ちち…超イケメン!!
まるでファッション誌から飛び出してきたような、抜群のスタイルの男前が立っていた。
「は…はい。なんでしょう…」
思わず狼狽えてしまい、祐奈はまともに相手の顔を見ることができない。
「さっきの披露宴でのスピーチ、とても感動しました!」
「ど、どうも…」
「実は僕も猫が大好きで、自宅で飼っているんですが、感情移入してしまって…。どうしてもこの気持ちを伝えたくて、声をかけてしまいました。突然で申し訳ありません」
やや興奮気味に語る様子から、本当に感動しているのが伝わってくる。
男は『平岡』と名乗った。
新郎の高校時代の友人らしく、現在は総合商社に勤めていると、丁寧な自己紹介を受けた。
― それにしても、なんてイケメンなの…。
会話を続けるものの、つい容姿に見惚れてしまい、話の内容が頭に入ってこない。
しばらくしてその場を離れていく姿を、祐奈は名残惜しく目で追った。
― さすがにあんなイケメンとは、何もないんだろうな…。
会話の流れで連絡先は交換したものの、この状況から距離が縮まっていくとは到底思えなかった。
◆
縁はないだろうと、特に期待は寄せていなかったのだが…。
数日後、風向きが急に変わる。平岡からLINEが届いたのだ。
スマートフォンの画面に名前が表示された途端、「ええ〜!」と祐奈は声を上げてしまった。
― え、なに?食事の誘い?なになに…!?
緊張しながらも期待を抱きつつ、メッセージを覗く。
『平岡:急な出張が入り、猫を預かって頂きたいのですが…』
そんな言葉が目に入り、一気に肩の力が抜けた。落胆しかけたが、すぐさま気持ちを切り替える。
― でも、また会えるってことだよね!
祐奈は、一縷の望みをつないだと前向きに捉え直した。
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