期待して臨んだ初デートで、アノ話をされてがっかり…。女がモヤモヤした理由とは?
木野瀬凛子、31歳。
デキるオンナとして周囲から一目置かれる凛子は、実は根っからの努力型。
張り詰めた毎日を過ごす凛子には、唯一ほっとできる時間がある。
甘いひとくちをほおばる時間だ。
これは、凛子とスイーツが織りなす人生の物語。
◆これまでのあらすじ
大手広告代理店営業部に勤める木野瀬凛子、31歳。得意先の大手食品メーカー広報部・秋坂の京都転勤の一報を受け動揺した凛子は、秋坂に好印象を抱いている自分にようやく気づくが…。
Vol.8 心が揺れる赤いデザート
「うわあ、美知さん!こんなにたくさんの案を考えてきてくれたのね」
テーブルに広げられた何枚もの紙を見ながら、凛子は6歳下の後輩・美知を褒め称える。
得意先の大手食品メーカーが新発売する予定の、チョコレートスイーツ。
そのバレンタインシーズンに向けた販促案を、美知がたくさん持ってきてくれたのだ。
「この案件は、美知さんと2人で進めていこうと思っているから。頑張ろうね」
「嬉しいです。今までずっと凛子さんのお手伝いみたいな仕事ばかりでしたので、いよいよって感じです」
美知が誇らしげに笑う。
以前ディナーで聞かされたように、美知には頼もしい向上心がある。
だからなんとか美知に大事な仕事を任せられないかと思い、今回スイーツの案件にアサインすることにしたのだ。
あの日美知は、自分のか弱い声のせいで、気弱に見られると言っていた。が、今では、その声には力強さがみなぎっている。
「今日は美知さんの案を吟味して、明後日、定例会で秋坂さんに持っていきましょう」
「私も、定例会に出ていいんですか」
「もちろんよ。秋坂さんもあと3週間で京都支社に転勤だから、後任を連れてくるって言ってたし。挨拶してね」
美知は「わかりました」と目を輝かせた。
いままで凛子は、美知のことをふわっとした控えめな子だと思っていた。
声質で印象を決めて、重い仕事を任せることを勝手に躊躇していた自分を、今さらながら恥じる。
― 若くて可能性のある子には、どんどん経験をさせないと!それが上司の務めなのに。
そのとき美知が突然、力強く凛子を見つめた。
「そうだ、凛子さん。言わなきゃいけないことがあるんです」
「先日は、変な愚痴を言ってしまい、すみません」
「ああ、アプリで恋人探ししてる話よね。全然問題ないよ」
「それで…私、恋人探しはしばらくお休みすることにしたんです」
聞けば、恋愛は一旦脇に置いて、仕事に全力投球したくなったのだという。
「へえ、いい判断だと思うよ」
― だって、仕事はめったに裏切らないからね。
昌文に浮気された結果、思ったのだ。
仕事は努力に比例してうまくいく。なら、恋愛より仕事に熱量を注ぐほうが、ずっとコストパフォーマンスがいい。
― …でも。
最近、恋愛について考えると、いつも秋坂の顔が浮かぶ。
振り払うように凛子は、会議を進めた。
◆
― 休日に秋坂さんと会うなんて、なんか緊張する。
翌週の土曜。
凛子は秋坂と2人で、『レストラン ローブ』に来ている。
思わず背筋が伸びるようなおしゃれな雰囲気に、気分があがる。
「とっても素敵なお店ですね」
秋坂からディナーの誘いを受けたのは、先週の定例会のあとだった。
初めて美知を連れて定例会に行き、無事に秋坂の後任になる担当者との挨拶を済ませた日。
帰社したタイミングで、1本の電話を受けた。
「木野瀬さん、来週末よかったら食事しませんか。仕事の一環…ではなくて、2人で」
「…はい、しましょう」
「本当ですか!いいんですか!」
秋坂は、電話口でとても嬉しそうに言った。
あの電話で聞いた、秋坂のはしゃぐ声。思い出すとなんだか口元がゆるむ。
― 子どもっぽいところがあって、そこが秋坂さんのかわいいところよね。
今秋坂は、グラスをじっと見ている。少し緊張しているみたいだが、その緊張を自分で解くかのように秋坂は言った。
「このお店、スイーツまですべて美味しいんですよ。甘いもの好きの凛子さんに、最後まで楽しんでもらえるかと思います」
「へえ。楽しみです」
凛子の頭のなかには「これってデートなのか、友達として飲んでるのか、どっち?」という疑問が渦巻いている。
その疑問は、最初は淡いドキドキだった。
しかしコースも終盤になる頃には、モヤモヤへと変わっていた──。
― 今夜は、どんな雰囲気になるんだろうってワクワクしてたけれど…。
最高に美味しいメイン料理を堪能しながらも、ふと考えてしまう。
秋坂は電話口で「仕事の一環…ではなく」と言いながら誘ってきた。
だから凛子も、仕事では着ないようなワンピースに身を包み、めかしこんでやって来たのだ。
が、気づけば秋坂は仕事の話ばかりしている。
― これじゃ、まるでいつもの定例会だわ。
凛子は、秋坂を見つめる。
今夜、特別な関係になれるような気がして期待していた。でもこの雰囲気のまま終わったら、ただの「仲良しな仕事仲間」になってしまう予感がする。
そのとき、デザートが運ばれてきた。
「おいしそう」
小さなショートケーキに、フレッシュな苺と、爽やかなソルベ。
ぱっと見ただけでも、手が込んでいることがわかる。
うっとりしながら一口味わう。
「はあ…すっごい美味しい」
「美味しいですね」
その瞬間、秋坂へのモヤモヤは飛んでいってしまった。
「私、幸せです。最高の料理を食べて、こんなに美味しいデザートまで食べられて」
「よかった。凛子さん、本当にうれしそうな顔になるから」
秋坂が、凛子をじっと見つめる。その目に熱がこもっているのがわかり、凛子は急に赤面した。
そこから徐々に雰囲気が変わり、仕事の話は封印。
凛子は聞かれるがままに、自分の少ない恋愛経験についてや、昌文との馴れ初め、別れた理由までを詳細に話した。
休日に会って、恋の話をする2人。凛子の鼓動が高まる。
コースが終わってしまうと、秋坂はお会計を頼み、とても紳士的にお店にお礼を言ってくれた。
2人してお店を出る。シンとした夜風が肌にあたる。
「ごちそうさまでした。今日は楽しかったです」
「僕もです」
楽しく過ごせてほっとしたけれど、話し足りなくて残念でもある。入り組んだ気持ちのまま、凛子は桜田通りを見た。
ちょうど、空車のランプを灯したタクシーが走ってくるところだった。
「秋坂さん、タクシー乗りますか」
手を挙げる準備をしながら聞くと、秋坂は「いや…」と言った。
「木野瀬さん、ごめんなさい」
「え?」
「今日、本当はもっといろんな話をしたかったんです。でも、つい緊張してしまって、終盤までずっと仕事の話ばかりして。すみません」
まっすぐに謝られると、どうしていいか分からず笑ってしまう。
「あの、木野瀬さん。まだ時間大丈夫ですか?それと、まだお腹入りますか?」
「…少しなら」
すると秋坂は、ぱっと笑顔になった。
「よかったら、今から凛子さんを連れていきたいところがあるんです」
「連れていきたいところ…?」
首を傾げる凛子をよそに、秋坂は勢いよく手を上げてタクシーを止める。
「先にお乗りください」
仕事でタクシーに同乗するときにいつも凛子が秋坂に言っているセリフを、今日は秋坂が言う。
「え、どこに行くんですか」
「お楽しみです」
秋坂が、これまで見たことのないようないたずらな表情で笑った。
秋坂に従って、奥の席へと乗り込む。
凛子は浮かれるような、照れるような不思議な気分で、流れ始める景色を見つめた。
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▶1話目はこちら:金曜日の夜。社内随一のデキ女が独り訪れたのは…
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2人を乗せたタクシーは一体どこへ?