「どう?」ウエディングドレスを試着して、後ろを振り返ったら…。婚約者の態度に驚愕…!
どうしてあの人は、私のことを好きになってくれない?
恋愛の需要と供給ほど、バランスが崩れているものはないかもしれない。
好きなあの人と付き合えたのに…。もうすぐ結婚できるというのに…。
あの人は、まだ私を見てくれていない。
そんな満たされぬ思いを誤魔化すために、女は自分に嘘をつく。
嘘で人生を固めた先にまっているのは、破滅か、それとも…?
満たされない女と男の、4話完結のショートストーリー。
◆これまでのあらすじ
元恋人・蘭と密かに会っていた伸介だったが、蘭は既婚者。あるとき、2人はもう会わないようにしようと約束した。それから伸介は、里緒との結婚の話を進めはじめたのだが…。
▶前回:既婚者になった元カノと10年ぶりに再会。時々、食事にいくようになり…
諦めきれない想い(4)
「この部屋は、日当たりも抜群ですし、駅からも近いから便利ですよ」
新居の内覧は楽しかった。
ここは西麻布の2SLDK。Sはサービスルームの意味だと初めて知った。自分では到底借りることのできない部屋だ。
「ここなら仕事部屋も確保できるしいいな〜」
「うん、スーパーは近くにないけど、新築で綺麗だし」
私たちの結婚の準備は、着々と進んでいる。
両家の顔合わせも無事済んだし、式場も押さえてある。入籍の日取りも決まっているし、近しい友人にも一通り紹介した。
「里緒、俺に嫌なとことかあったら言ってね」
伸介の言葉を聞いて、私は驚く。
だって、私たちの関係をよくしていこうなんてニュアンスのことを、これまで彼から言われたことがなかったから。
― いよいよ夫婦になるんだ。
準備が進むにつれ、実感が湧いてくる。
けれど、それと同時にある感情が私の心を侵食する。
それは、喜びの類じゃなかった。
私は、じわじわとやり場のない寂しさに襲われていた。
「里緒ってさ、何が好きなんだっけ?食べ物」
「え…?」
『ピーター・ルーガー・ステーキハウス』で食事をしていると、伸介は唐突に私に聞いてきた。
「好きな食べ物。なに?」
「私、エビが好き」
「エビ!?」
「うん」
伸介は初めて私の好みについて質問をしてきた。
「そっか、そうなんだ…」
「どうしたの急に?」
「いや、知っておかなきゃなって思って」
ナイフとフォークで器用に肉を切り刻みながら、伸介は続ける。
「エビ好きなんだ。知らなかった…」
丁寧に切り分けられた肉を口に運びながら、伸介は興味なさそうにボソリと言い捨てる。
私が、ずっと待ち望んでいたこと。
私に興味をもってほしい。色々と私に聞いてきてほしい。
だって、それが好きっていう何よりもの証拠だから。
「うん…」
ようやく願いが叶ったというのに、全然嬉しくなかった。
むしろ虚しさが募るだけ…。
ずっと心の中で塵積っていた違和感が、どうしても無視できない大きさになっているようだった。
「ねえ、伸介。それ、本当に興味ある?」
はたから聞いたら、ただの会話に聞こえるだろうか。
「え…?」
けれど、このとき私は、ついに核心に触れることを伸介に投げかけた気がした。
「だから…。私がエビが好きって、興味ある?」
「……」
長い、気まずい沈黙が私と伸介を包み込んだ。
◆
自宅に帰ってからも、ずっと伸介との会話を脳内で反芻している。
「当たり前だろ、興味あるから聞いてるんだよ!里緒は俺の奥さんになるんだから」
伸介はそんな言葉でやり過ごした。
その言葉に嘘はないだろうけれど、彼は私に恋してるわけじゃないということは明白だった。
だって、もし私に恋心を抱いていたのなら、どうして付き合って2年も食の好みを聞かずにいれたのか。
狭いワンルームの片隅に置いてある小さなドレッサーに目をやる。
お気に入りのものだけを集めた、私の聖域。その中央には、彼に買ってもらった婚約指輪が鎮座している。
視界に入るのがしんどくて、私は、そっと引き出しの中にしまった。
「好きな人と幸せな結婚をする」
幼いころからずっと夢見ていたこと。誰にでも訪れる幸運だって、幼いころは信じていた。
けれど、大人になって、それがとんでもなく難しいことだと知った。
それでも、私はその幸運を掴んだのだ。
大好きな人と、みんなが羨むような人と、私はもうすぐ結婚する。
それなのに…。
こんなにも心がざわざわするなんて、全然幸せじゃない展開が待ち受けているなんて、夢にも思っていなかった。
◆
わだかまりを心に抱えているものの、結婚式の準備は進んでいく。
私は、ウエディングドレスの試着に訪れた。
憧れのウエディングドレスに身を包むと、今まで抱えていたモヤモヤが一瞬にして吹き飛ぶ気がする。
鏡越しに伸介と目が合って、ほほ笑み合う。
「綺麗じゃん」
この時ばかりは、伸介も本心で言ってくれた気がした。
「ありがとう。これにしようかな」
「うん、いいと思う」
幸せなひとときだった。
本当に幸せな瞬間だった。そこに嘘はない。
だけど、やっぱり無理だった。
もう1着ウエディングドレスを試着したとき、伸介はどこか遠い目をして私を見つめたのだ。
「伸介…?」
「…」
何を考えているのか、すぐにわかってしまった。
私のウエディングドレス姿に、誰の姿を重ねているのか。その目は、誰を見つめているのか―。
「伸介…」
「あ…、ごめん。綺麗だね。それもいいね」
心がそこにない、言葉の羅列。褒め言葉ではあるけれど、私の胸をずたずたに切り裂いた。
「……」
「里緒…?」
気づいたら、頬に涙が伝っていた。
「……」
「里緒、どうしたの?嬉しいの?」
この期に及んで、私の涙の理由さえわかっていない伸介。わけがわからず狼狽える彼をじっと見つめる。
「ねぇ、蘭って誰?」
「えっ?」
考えるより先に、言葉が口をついて出てきた。きっと遊びなんだろうから目をつぶろうと決めていたはずなのに…。もう、我慢できなかったみたいだ。
「蘭って人のこと、どう思ってるの?」
「……」
フリーズする伸介に、私は言葉を重ねる。勇気を出して切り出したというより、ほとんど衝動的だった。
けれど、伸介は明確に答えなかった。
長く気まずい沈黙が、ウエディングドレスを身にまとった、人生で一番綺麗なはずの私をこれでもかというほどに傷つけた。
それから長い長い話し合いを経て、私たちは別れることになった。
付き合う前も後も、ずっと私が伸介を追っていたのに、いざ別れ話となると伸介の方が粘った。
「これからは里緒を大切にして生きてくって決めてるんだ…」
伸介はそんなことを言った。
これからは―。
彼にとっては私を引き留めるために使った言葉だったのだろうが、それって裏を返すと、今までは大切にしていなかったともとれる。彼と話し合いを重ねるほどに、私の決意は固まっていった。
伸介のことが大好きだった。
でも、大好きだったからこそ、耐えられなくなってしまったのだ。私と付き合いながらも、実は別の女に本気で心惹かれていたという事実に。
蘭と伸介は成就しない関係だとわかっても、彼が本気で思っている人は別にいる。その事実を受け入れ、片思いのまま関係を続けることは、どうしてもできなかった。
自分の中に残っていたプライドの欠片みたいなものが、これでもかというほど悲鳴を上げたのだ。
言葉にすると、なんて愚かなんだろうって自分でも思う。
だけど、人生設計とか、今後の生活とか、周囲からの目とか、それらすべてを一気に吹き飛ばしてしまうだけの威力が、欠片には秘められていた。
◆
別れ際、私は最後の言葉を伸介に送った。
「大好きだったよ、本当に」
“幸せになってね”なんて、大人みたいなこと言えなかった。だって、本当は私が一緒に伸介と幸せになりたかったんだから。
今はまだ、伸介が私以外の人と一緒になって幸せになる、ことを願うなんてできない。
でも、ただただ伸介のことが心から好きだった。その事実だけは、最後までちゃんと伝えたかった。
恋愛感情は、いつか消える。
けれど、恋をしたという事実は、いつまでも消えることはない。想った相手の残像もきっと、いつまでも脳裏に焼き付いたまま。
本気で恋した相手っていうのは、きっといつまでも特別な存在なのだ。
自分の人生を諦められなかった私は、特別な人の特別になれないことがどうしても許せなかった。
それって、贅沢なことなのだろうか。私の判断は、正しかったのだろうか。
答えはでないけれど、私は自分の気持ちに“嘘”をつき続けることはできなかった。
― これでよかったんだよね。
まだまだ癒えそうにない傷を抱えながら、私は自分に言い聞かせる。
Fin.
▶前回:既婚者になった元カノと10年ぶりに再会。時々、食事にいくようになり…
▶1話目はこちら:「恋愛の傷は、他の男で癒す…」26歳・恋愛ジプシー女のリアル