どうしてあの人は、私のことを好きになってくれない?

恋愛の需要と供給ほど、バランスが崩れているものはないかもしれない。

好きなあの人と付き合えたのに…。もうすぐ結婚できるというのに…。

あの人は、まだ私を見てくれていない。

そんな満たされぬ思いを誤魔化すために、女は自分に嘘をつく。

嘘で人生を固めた先にまっているのは、破滅か、それとも…?

満たされない女と男の、4話完結のショートストーリー。

19話〜22話は『諦めきれない想い』。

◆これまでのあらすじ

元恋人・蘭と密かに会っていた伸介だったが、蘭は既婚者。あるとき、2人はもう会わないようにしようと約束した。それから伸介は、里緒との結婚の話を進めはじめたのだが…。

▶前回:既婚者になった元カノと10年ぶりに再会。時々、食事にいくようになり…




諦めきれない想い(4)


「この部屋は、日当たりも抜群ですし、駅からも近いから便利ですよ」

新居の内覧は楽しかった。

ここは西麻布の2SLDK。Sはサービスルームの意味だと初めて知った。自分では到底借りることのできない部屋だ。

「ここなら仕事部屋も確保できるしいいな〜」
「うん、スーパーは近くにないけど、新築で綺麗だし」

私たちの結婚の準備は、着々と進んでいる。

両家の顔合わせも無事済んだし、式場も押さえてある。入籍の日取りも決まっているし、近しい友人にも一通り紹介した。

「里緒、俺に嫌なとことかあったら言ってね」

伸介の言葉を聞いて、私は驚く。

だって、私たちの関係をよくしていこうなんてニュアンスのことを、これまで彼から言われたことがなかったから。

― いよいよ夫婦になるんだ。

準備が進むにつれ、実感が湧いてくる。

けれど、それと同時にある感情が私の心を侵食する。

それは、喜びの類じゃなかった。

私は、じわじわとやり場のない寂しさに襲われていた。


「里緒ってさ、何が好きなんだっけ?食べ物」
「え…?」

『ピーター・ルーガー・ステーキハウス』で食事をしていると、伸介は唐突に私に聞いてきた。

「好きな食べ物。なに?」
「私、エビが好き」
「エビ!?」
「うん」

伸介は初めて私の好みについて質問をしてきた。

「そっか、そうなんだ…」
「どうしたの急に?」
「いや、知っておかなきゃなって思って」

ナイフとフォークで器用に肉を切り刻みながら、伸介は続ける。

「エビ好きなんだ。知らなかった…」

丁寧に切り分けられた肉を口に運びながら、伸介は興味なさそうにボソリと言い捨てる。

私が、ずっと待ち望んでいたこと。

私に興味をもってほしい。色々と私に聞いてきてほしい。

だって、それが好きっていう何よりもの証拠だから。

「うん…」

ようやく願いが叶ったというのに、全然嬉しくなかった。

むしろ虚しさが募るだけ…。

ずっと心の中で塵積っていた違和感が、どうしても無視できない大きさになっているようだった。

「ねえ、伸介。それ、本当に興味ある?」

はたから聞いたら、ただの会話に聞こえるだろうか。

「え…?」

けれど、このとき私は、ついに核心に触れることを伸介に投げかけた気がした。

「だから…。私がエビが好きって、興味ある?」
「……」

長い、気まずい沈黙が私と伸介を包み込んだ。






自宅に帰ってからも、ずっと伸介との会話を脳内で反芻している。

「当たり前だろ、興味あるから聞いてるんだよ!里緒は俺の奥さんになるんだから」

伸介はそんな言葉でやり過ごした。

その言葉に嘘はないだろうけれど、彼は私に恋してるわけじゃないということは明白だった。

だって、もし私に恋心を抱いていたのなら、どうして付き合って2年も食の好みを聞かずにいれたのか。

狭いワンルームの片隅に置いてある小さなドレッサーに目をやる。

お気に入りのものだけを集めた、私の聖域。その中央には、彼に買ってもらった婚約指輪が鎮座している。

視界に入るのがしんどくて、私は、そっと引き出しの中にしまった。




「好きな人と幸せな結婚をする」

幼いころからずっと夢見ていたこと。誰にでも訪れる幸運だって、幼いころは信じていた。

けれど、大人になって、それがとんでもなく難しいことだと知った。

それでも、私はその幸運を掴んだのだ。

大好きな人と、みんなが羨むような人と、私はもうすぐ結婚する。

それなのに…。

こんなにも心がざわざわするなんて、全然幸せじゃない展開が待ち受けているなんて、夢にも思っていなかった。




わだかまりを心に抱えているものの、結婚式の準備は進んでいく。

私は、ウエディングドレスの試着に訪れた。

憧れのウエディングドレスに身を包むと、今まで抱えていたモヤモヤが一瞬にして吹き飛ぶ気がする。

鏡越しに伸介と目が合って、ほほ笑み合う。

「綺麗じゃん」

この時ばかりは、伸介も本心で言ってくれた気がした。

「ありがとう。これにしようかな」
「うん、いいと思う」

幸せなひとときだった。

本当に幸せな瞬間だった。そこに嘘はない。




だけど、やっぱり無理だった。

もう1着ウエディングドレスを試着したとき、伸介はどこか遠い目をして私を見つめたのだ。

「伸介…?」
「…」

何を考えているのか、すぐにわかってしまった。

私のウエディングドレス姿に、誰の姿を重ねているのか。その目は、誰を見つめているのか―。

「伸介…」
「あ…、ごめん。綺麗だね。それもいいね」

心がそこにない、言葉の羅列。褒め言葉ではあるけれど、私の胸をずたずたに切り裂いた。

「……」
「里緒…?」

気づいたら、頬に涙が伝っていた。

「……」
「里緒、どうしたの?嬉しいの?」

この期に及んで、私の涙の理由さえわかっていない伸介。わけがわからず狼狽える彼をじっと見つめる。

「ねぇ、蘭って誰?」
「えっ?」

考えるより先に、言葉が口をついて出てきた。きっと遊びなんだろうから目をつぶろうと決めていたはずなのに…。もう、我慢できなかったみたいだ。

「蘭って人のこと、どう思ってるの?」
「……」

フリーズする伸介に、私は言葉を重ねる。勇気を出して切り出したというより、ほとんど衝動的だった。

けれど、伸介は明確に答えなかった。

長く気まずい沈黙が、ウエディングドレスを身にまとった、人生で一番綺麗なはずの私をこれでもかというほどに傷つけた。




それから長い長い話し合いを経て、私たちは別れることになった。

付き合う前も後も、ずっと私が伸介を追っていたのに、いざ別れ話となると伸介の方が粘った。

「これからは里緒を大切にして生きてくって決めてるんだ…」

伸介はそんなことを言った。

これからは―。

彼にとっては私を引き留めるために使った言葉だったのだろうが、それって裏を返すと、今までは大切にしていなかったともとれる。彼と話し合いを重ねるほどに、私の決意は固まっていった。

伸介のことが大好きだった。

でも、大好きだったからこそ、耐えられなくなってしまったのだ。私と付き合いながらも、実は別の女に本気で心惹かれていたという事実に。

蘭と伸介は成就しない関係だとわかっても、彼が本気で思っている人は別にいる。その事実を受け入れ、片思いのまま関係を続けることは、どうしてもできなかった。

自分の中に残っていたプライドの欠片みたいなものが、これでもかというほど悲鳴を上げたのだ。

言葉にすると、なんて愚かなんだろうって自分でも思う。

だけど、人生設計とか、今後の生活とか、周囲からの目とか、それらすべてを一気に吹き飛ばしてしまうだけの威力が、欠片には秘められていた。



別れ際、私は最後の言葉を伸介に送った。

「大好きだったよ、本当に」

“幸せになってね”なんて、大人みたいなこと言えなかった。だって、本当は私が一緒に伸介と幸せになりたかったんだから。

今はまだ、伸介が私以外の人と一緒になって幸せになる、ことを願うなんてできない。

でも、ただただ伸介のことが心から好きだった。その事実だけは、最後までちゃんと伝えたかった。




恋愛感情は、いつか消える。

けれど、恋をしたという事実は、いつまでも消えることはない。想った相手の残像もきっと、いつまでも脳裏に焼き付いたまま。

本気で恋した相手っていうのは、きっといつまでも特別な存在なのだ。

自分の人生を諦められなかった私は、特別な人の特別になれないことがどうしても許せなかった。

それって、贅沢なことなのだろうか。私の判断は、正しかったのだろうか。

答えはでないけれど、私は自分の気持ちに“嘘”をつき続けることはできなかった。

― これでよかったんだよね。

まだまだ癒えそうにない傷を抱えながら、私は自分に言い聞かせる。

Fin.

▶前回:既婚者になった元カノと10年ぶりに再会。時々、食事にいくようになり…

▶1話目はこちら:「恋愛の傷は、他の男で癒す…」26歳・恋愛ジプシー女のリアル