東京に行って、誰もがうらやむ幸せを手に入れる。

双子の姉・倉本桜は、そんな小さな野望を抱いて大学進学とともに東京に出てきたが、うまくいかない東京生活に疲れ切ってしまい…。

対して双子の妹・倉本葵は、生まれてからずっと静岡県浜松市暮らし。でもなんだか最近、地方の生活がとても窮屈に感じてしまうのだ。

そんなふたりは、お互いに人生をリセットするために「交換生活」を始めることに。

暮らしを変えるとどんな景色が見えるのだろう?

29歳の桜と葵が、選ぶ人生の道とは――。

◆これまでのあらすじ

東京での生活は、残りわずか。葵は、同性の友達を作るために料理教室に行くが、そこで仲良くなったのは生徒ではなく、イケメン先生で…。

▶前回:地元で広まったら面倒…「誰にも言わないで」深夜の個室居酒屋で、女が元カレに念押ししたこと




Episode12:倉本葵@東京。好きな男の生活を支える女の正体


「ごめんね、葵ちゃん!すぐ帰ってくるから」
「うん。行ってらっしゃい」

浜松に帰るまで2週間を切った、ある日の正午。

平野涼平は、家に来たばかりの私を部屋に残し、オリーブオイルを買いに行ってしまった。

「料理教室の先生と生徒」という関係で出会った私たち。

初めて食事に行った日から急速に仲が深まり、今では2日に一度の頻度で会っている。

私は東京で仕事をしていないから基本的に暇で、涼平も月4回の料理教室だけだから、割と時間があるようだった。

涼平の住んでいるマンションは、恵比寿駅東口から徒歩5分程度のところにある。

東京に詳しくない私でも、ここが高級マンションなのだということはわかる。

― 週に一度の料理教室の売り上げで、こんなにいいところに住めるの…?

一度疑問に思うと、考えるのをやめられなかった。


私が前回払った料理教室のレッスン代は、材料費込みで7,000円。生徒はMAXでも8人。

ざっと計算しても、月20万円ほどの売り上げだ。

場所代と材料費を引いたら、ここの家賃代は払えないような気がする。




食材にだって結構こだわりがあるようだったし、調味料も高価なものをそろえている印象だった。

― でも、まぁ…きっと他に収入があるんだろう。

投資とかYouTubeとか。親が不動産を持っていることも考えられる。

涼平は独特な雰囲気があってどこか変わっているし、そういうのがあっても納得できる。

そう自分自身を納得させ、ソファでスマホをいじっていると玄関のドアが開く音がした。

― あれ?帰ってくるの、早いなぁ。忘れ物かな。

「おかえりなさい。早かったね」

そう声をかけた次の瞬間、目の前に見知らぬ女性が立っていた。

「!!!?」
「わぁ。びっくりした」

私よりも先に、その女性が低い声を出した。

― 誰?この人。

強盗や不審者じゃないことはわかるが、私の心臓はバクバク音を立てていた。

彼女の年齢は40歳ぐらいだろうか。

いや、もしかしたらもうちょっと上かもしれない。




その女性は、私を頭のてっぺんから足の爪先まで舐めるように見ると、そのあと「フン」と鼻で笑った。

「はぁ〜。この家に女を連れ込むのは、ルール違反だって、警告したんだけどなぁ」

彼女は冷蔵庫の中から勝手にモエのシャンパンボトルを取り出し、グラスに注いで飲み始めた。

― なんなの、この人…。

「涼平…。ホテル代が払えないから、仕方なく部屋に連れて来てるのかしらね」

私にそう嫌味を言う女からは、キツイ香水の匂いがする。

「あの…どちら様ですか?」

私は、今にも殴りかかってきそうな雰囲気の女に恐る恐る聞いた。

テーブルの上に乱暴に置かれたボルドーのバーキン。ネックレスとピアスとリングには、大粒のダイヤ。

田舎育ちの私を圧倒するには十分なアイテムを、彼女は装備している。

「どちら様って…。そのセリフ、そっくりあなたに返したいんだけれど。それに何者かなんて軽々しく教えないわよ」

女はそう言って、フルートグラスでシャンパンを飲み続けた。

「で、でも!失礼じゃないですか。涼平さんがいないのに勝手に家に入ってきて」

「はぁ〜〜。あのね、お嬢ちゃん。涼平は私がいないと生きていけないの。そもそもこの部屋、私のだから」

女は手で自らを指差して言った。

― えっ…。


さっきまで私が抱いていた疑問と、この女が言っていること。

その2つが見事に合致してしまい、血の気が引いた。

「最近全然連絡が返ってこないと思ったら、やっぱり小娘につかまってたのね」
「小娘って…」

私は、そう返すのが精いっぱいだった。

「今仕事が忙しくて、すっごくストレス溜まってるの!だから涼平で発散させたいのよ。だから、あなたは今すぐ帰ってくれると助かるんだけど!」




女は吐き捨てるように言うと、私は頭が真っ白になった。

「信じられないですけど、…本当に涼平さんの彼女ですか?」

私が尋ねると、女は爆笑した。

― この人は、他人をばかにするプロだ…気分悪くて吐きそう。

「彼女?そんな安っぽいもんじゃないわよ。ていうか、別に彼女になんかなりたくないし」
「……」

私は強く言い返したいのに、女の存在感と話し方が強烈で、何も言えなかった。

「とにかく、涼平が戻ってくる前にあんたは帰ったほうがいいと思うけど」

女がそういった瞬間、ガチャリと玄関のドアが開く。

「あ〜ぁ。あんたがモタモタしてるから、帰ってきちゃったじゃない」

そう言いながら私をリビングに残して、女は玄関に行ってしまった。




廊下から涼平のうなだれる声が聞こえる。

私は、リビングのドアの前に立ち、ふたりの会話に聞き耳を立てた。

「ちょっと理子さん、困りますって…今日は約束してませんよね」
「私に、そんな口の利き方をしていいと思ってるの?」
「すみません」
「とりあえず涼平はシャワーでも浴びてきて。私はあの小娘を帰しとくから。大丈夫。タクシー代でも多めに払えば喜んで消えるでしょ」

― ひどい…!

今日は、涼平が私にパスタを振る舞ってくれる約束だった。

それを楽しみに、お気に入りのベージュのワンピースを着てきたし、メイクもうまくいった。

― 東京でようやく手に入れようとしている穏やかで楽しい日々を、こんな形で失ってしまうの?

悔しくて、つらくて、泣きたくなった。だって、私が東京で新たな行動すればするほど、失敗していくのだから。

私はバッグを持って玄関に向かった。

「帰るね」

涼平は、私を引き止めず、ただ、申し訳なさそうにこちらを見ていただけだった。




私はマンションを後にし、なんとなく、恵比寿ガーデンプレイスを散歩する。

ひとりでランチでもして気を紛らそうとしたのだが、そんな元気は残っていなかった。

― はぁ…。ガーデンプレイスってなんでこんなにキラキラしているんだろう…。

幸せそうなカップルや、犬を連れている余裕のある人ばかりが目につく。

私は中目黒の家まで歩いて帰り、空腹を紛らわせた。



涼平から連絡が来たのは、その日の23時を過ぎた頃だった。

『涼平:葵ちゃん、今日は本当にごめんね。説明したいから時間作れるかな』

私はそのメッセージにすぐ返信することができなかった。

なぜなら、涼平とその女性の関係は、バカな私でも簡単に想像ができたからだ。

涼平には女性を惹きつける魅力がある。

だから、教室の生徒にもモテていたし、きっとあの女だって涼平のことが好きなはずだ。

好きじゃなかったら、自分の部屋にタダで住ませるなんてことしないだろう。

― あ、タダじゃないのかな。

私は思わず、自分にツッコミをいれて笑った。

私が帰った後、2人はそういうことになったのだろうか。想像しただけでも気持ち悪い。

こんな時、姉の桜だったらどうするだろう。

『葵:そろそろ交換生活も終わりだね。最近どう?』

今すぐにでも桜に相談したかったけど、一通のLINEだけ送って返事を待った。

『涼平:葵ちゃん!お願いだから連絡ください』
『涼平:明日会える?』
『涼平:埋め合わせしたいよ』

涼平からのメッセージは、翌朝まで既読をつけず放置した。それは、今私ができる精いっぱいの抵抗だった。

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