感染症の流行により、私たちの生活は一変してしまった。

自粛生活、ソーシャルディスタンス、リモートワーク。

東京で生きる人々の価値観と意識は、どう変化していったのだろうか?

これは”今”を生きる男女の、あるストーリー。

▶前回:「在宅勤務はもう限界!」バツイチ女の悲痛な叫び。元夫にシッターを頼んでみたら、意外にも…?




Act9. 本当のワタシって?


『#女子会 #女子会コーデ #20代女子 #20代ファッション #モテコーデ #リオン私服 #fashion #秋コーデ #アフタヌーンティー #シャングリ・ラ ホテル東京 #かわいこちゃんと一緒…』

半休を取って友達と来た、シャングリ・ラ ホテル東京の『ザ・ロビーラウンジ』でのアフタヌーンティーパーティーの帰り道。

莉音はいくつものハッシュタグを並べ、自分が一番かわいく見えるショットを厳選&加工し、今日もInstagramに投稿する。

「あ、早速反応が……」

5分にも満たない時間で、何十もつくイイネ。莉音は安心と満足で微笑んだ。

画面の中の彼女は美しい仲間たちに囲まれ、キラキラ輝く笑顔を見せている。

― 本当は、さほど仲のいい間柄じゃないんだけどね。

帰宅するなり、高校時代に学園祭で作ったヨレヨレのクラスTシャツを着て、6畳間の万年床に寝転ぶ莉音。

彼女は昨年、20代女性に人気のアパレルブランド運営会社に入社したばかりだ。現在は、ブランドのPRアシスタントとしてメディアでの広報活動に携わっている。

ファッション業界のなかでも人気のプレス職に新卒で就けたのは、すべてInstagramのお陰だ。

学生時代から有名なファッショニスタ・リオンとして、Instagramのフォロワーが数万人の彼女。その影響力に業界から声がかかるのは当然だった。



「はい、撮るよー♪目線ちょうだい」

莉音は次の日の夜も、知人とニューオープンした店で会食していた。

案件絡みなので、写真を撮影することがメインの1時間ほどのパーティー。帰路につくタクシーの中で投稿をすると、矢継ぎ早にいくつもコメントが届いた。

『リオンさん、素敵な友達いっぱいいてうらやましい』

『そのコーデ、参考にします!』

『オシャレなリオンさんが憧れです』

同席していた知人たちの自分へのタグ付け通知もひっきりなし。莉音もタグ付け返信してくれた友達に対し、機械的に返信の投稿をする。

どこか、心を無にしながら…。


コロナ禍の自粛生活で、インスタグラマーの莉音は生活が一変する…


2020年5月


緊急事態宣言が発令され、人々は自粛生活を余儀なくされた。

連日、会食やパーティーに出かけていた莉音も例外ではなく、家でひとり過ごす日々が続く。

趣味の読書が捗るなか、数週間経ったところでふと気がついた。

「そういえば、最近インスタの更新してないなぁ…」

どうもこうもネタがないのだ。副業はOKな会社ゆえ、家でもできるPR案件に力を入れようと思いつつも、あまりにもそればかりだとフォロワーが減るし、同僚からの印象もよくないので頻繁には手を出せない。

― そもそも私、センスはない方だし、家は汚いし…。

感度高く見えて実は単に流行を追いかけているだけの自分。所詮、誰かの受け売りなのだ。

莉音自身もこの仕事は正直向いていないと理解している。それでも続けられる原動力は、流行の最先端に自分がいるというモチベーションだけだ。




莉音は東北の山間部にある小さな集落で生まれ育った。

幼い頃は、スウェットやジャージで過ごすファッションとは無縁の生活を送っていた。実は、漫画や小説を書いたり読んだりすることが好きな大人しい性格だ。

高校時代も教室の隅で同志たちと固まっているような、地味な毎日を過ごしていた。

だが、大好きな作家の出身である明治大学文学部に行くため上京したのを機に、それが一変した。

色白ですらりとしたコケティッシュな容貌。雪国では隠れていた美しさが、東京では目を引いたのだ。

「私って、実は、カワイかったの?」

表参道を歩いていると、芸能事務所から声がかかることが多々あった。

田舎者が思いあがるのも無理ない。テレビや漫画のなかの遠い世界だった、キラキラとした日常が目の前にあるのだから。

かわいい友達に囲まれ、精いっぱい背伸びをする日々。バイトをせずとも、指先ひとつで報酬が得られる特別な自分に酔いしれる。

そうこうしている間に、そんな夢のような世界が日常になってしまった。

昔を思い出しながら莉音は、何か投稿しなければと焦ってInstagramを開く。

すると、ある知人のストーリーズに手が止まった。

いつもパーティーや会食をしているメンツが、リモート飲みの画面を投稿していたのだ。

『自粛生活でも結局いつメン』

笑顔の知人たちと、そのキャプションが、心に重く響いた。

― 私は、“いつメン”じゃなかったんだ…。

うすうす気づいていた。SNSのバトンも、自分にはほぼ回ってこない。

あからさまに可視化されると辛かった。だが、もし誘われたとしても、果たして自分がその場で楽しめるのかと自問自答してみる。

すると、必ずしもそうではないという結論に行きついた。

思い返せば莉音が心から腹を割って話せる友人は、上京後1人も居ない。

正直、話すのは苦手なのだ。方言のせいもあるだろう。過去に交際した男性からも「話が小難しいし、内容が聞きづらい」と言われたことがある。

結局のところ、自分は、知人のなかで映えるアクセサリーの1つにしか過ぎなかったのだ。


孤独を目の前に突きつけられた莉音。彼女の胸によぎる想いとは…


「…まぁ、いいか」

莉音はベッドにそのままごろんと寝ころぶ。

「正直、疲れていたんだよなぁ…」

報酬は惜しいが、無駄なパーティーの無い自粛生活の方が、実は有難かった。

「ん?なにこれ」

そんなとき何気なくスマホを見ると、たまったLINEのなかに地元の高校の同級生・マユミから連絡があったことに気づいた。

『5日の20時Zoomで、例の4人組でリモのみしますー♪』

“例の4人組”とは、高校時代、小さな教室の隅にいた友達の集まり。地元に帰った時しか会っていないのに、連絡をくれたことが嬉しかった。

「…って、今始まってる!」

時間は指定された日のちょうど20時を回ったところだった。莉音は慌ててURLをタップした。

「あ、莉音だ!ひさしぶり〜」

「インスタ見てるよ!本当に来てくれると思わなかった」

「だね。もう、全然違う世界の人だからさ」

口々に喜びの声を上げる画面の中の友は、高校時代と変わらないすっぴんの普段着であった。莉音自身もそう。普段、人前に出る際は1時間かけて化粧をしたり、コーデを考えたりしているのに。

「ええ。寂しいこと言わないでよ。例の4人組は永遠!」

莉音がそう言うと、皆、嬉しそうにはしゃいだ声を上げ、改めて乾杯をした。それから、深夜まで近況や最近読んだ漫画や小説、地元の話、そして好きなアイドルの話など、他愛もない話で盛り上がった。

忘れかけていた地元の言葉も混じり、まったくオシャレとは程遠い時間。インスタ用に画面をキャプるのも忘れていた。キャプっても、誰にも見せられないほどの絵面であったが…。




そして、明け方。

楽しいリモート飲みの〆に入ろうとしたとき、マユミからこんなことを言われた。

「ねえ、莉音。小説はまだ書いているの?」

軽い口調で「もう書いてないよ」と濁したが、飲み会が終わってベッドの中に潜っても、その言葉は莉音の頭から離れなかった。

莉音は高校の頃、小説家を目指していた。日々の生活に忙殺され、その夢は心の奥にしまわれていたが。

考えてみれば、Instagramで偽りの投稿していても満足感があったのは、どこかで架空の女の子『リオン』の日記を小説のように執筆している感覚があったからだ。

― もう一度、やってみようかな。

莉音はそのままパソコンに向かい、文章を打ち始める。

『退職願』という名の、A4原稿1枚の短編だ。

今の仕事をしながらでも小説家を目指すことはできる。しかし、莉音は正直なところ、華やかな世界で生きることに疲れていたのだ。


2021年2月


『インスタグラマー・リオン』はひっそりとこの世から姿を消した。

そのことに気づく者は、誰もいなかった。

「…よし、今日も投稿完了」

会社を退職した莉音は、本屋でアルバイトを始めたのを機に『書店員莉音』という名前で再びInstagramを始めた。

1日にひとつ、おススメの本を紹介するアカウントだ。開設して2週間程度だが、フォロワーも徐々に増加傾向だ。

流行している音声SNSでは、本屋の同僚と最近読んで楽しかった本を語り合うトークルームを開き、徐々に人気も得てきている。

自粛生活でわかった、本当の自分と本当の友達。

莉音の物語は、まだ始まったばかりだ。

▶前回:「在宅勤務はもう限界!」バツイチ女の悲痛な叫び。元夫にシッターを頼んでみたら、意外にも…?

▶Next:12月29日 水曜更新予定
開放感を求め、海に近い古民家で暮らし始めた20代女性。彼女の惨めな末路とは…