東大卒のエリート弁護士と結婚した女の苦悩。夫婦ゲンカの原因はいつも…
エリートと結婚して優秀な遺伝子を残したい。
そう願う婚活女子は多い。そのなかでも、日本が誇る最高学府にこだわる女がいた。
― 結婚相手は、最高でも東大。最低でも東大。
彼女の名は、竜崎桜子(26)。これは『ミス・東大生ハンター』と呼ばれる女の物語である。
◆これまでのあらすじ
東大卒と結婚することを夢見る桜子。ある女性との出会いで、これまでの自分から変わりたいと模索中。婚活を小休止するも、以前デートした“イカ東”の加藤から連絡がきて…。
2回目のデートは、またも意外な場所で…
「くしゅん」
12月の休日、昼下がり。
すっきり晴れた日だったが、空気がひんやりしていたせいか、体が冷えてついくしゃみが出た。
「大丈夫ですか?すみません、やっぱり外にずっといるのは寒いですね」
「いえいえ…!実は私も来てみたかったんですよ、多磨霊園」
隣に立つ“イカ東”の加藤が申し訳なさそうな顔をするので、桜子は慌てて笑顔をつくる。とっさの言い訳だったが、加藤は「それならよかった」とホッとしたような表情で双眼鏡に視線を戻した。
先週、LINEで急に多磨霊園のURLが送られてきたときは驚いたが、ここは野鳥観察の名所らしい。東大でバードウォッチングサークルに所属していた加藤は、うきうきとご機嫌だ。
「今は“ルリビタキ”を観察するのに、最も良いシーズンなんです!僕は年に1度、必ず年末にあの青い鳥を見るって決めてまして。そうすると、翌年がいい1年になる気がするので」
「幸せの青い鳥ってことですね。なんか素敵!私にもいいことありますように〜」
加藤から借りた双眼鏡で遠くのルリビタキを観察しつつ、桜子も調子を合わせる。
― 慶一郎に『気軽に男に会ってみたら』って言われて会うことにしたけど、実際この人とのデートは楽しいのよねえ…。
そんなことを考えていると、隣の加藤が、双眼鏡を覗き込んだままさらりとつぶやく。
「なんか、こうして桜子さんと一緒にいる時間、僕は好きですね。楽しくて」
“イカ東”の加藤からの意味深発言に、桜子は…?
― え、ええ?それって私のこと、好きって意味…!?
突然の好意を含ませた発言に、桜子は動揺してしまった。
「わ、私も加藤さんといると楽しい…かも…?いや、“かも”じゃなくて楽しい…なんて」
もごもごとつぶやいていると、加藤が「あっ」と声を上げた。
「メジロも来ましたね。ふふ、この絶妙に渋みのある黄緑色がたまらない」
恍惚とした表情の横顔に、桜子はがっくりと肩を落とす。
― 特に深い意味はないのね…。
しかし、不思議と嫌な気はしない。夢中になって小鳥を目で追っている加藤を眺めていると、桜子はなんともいえず微笑ましい気分になるのだった。
「そういえば加藤さんって、食品メーカーで働いてるんですよね。どうして今の会社に決めたんですか?」
「僕はもともと、バイオ分野に興味があったんです。学生時代は、遺伝子組み換え食品の研究をしていて…」
多磨霊園から帰宅する電車の中で、桜子は、加藤と初めて個人的な話をした。これまで2人の間の会話は動物の話が中心で、あまり立ち入った話をしてこなかったのだ。
「じゃあ、『東大でバイオテクノロジーを学ぶ』って決めた高校生の時から、今のキャリアへの道は始まってたってことですね。すごいなぁ…私は、将来のことなんて、全然考えてなかったから」
桜子はため息をつく。正確には、「東大卒との結婚」“以外”の何も考えていなかったわけだが、さすがにそれは伏せた。
「そんな大層なものじゃないですよ。正直、今の仕事にも満足はしていないというか…もっとアカデミックを極めたいという気持ちもあって。実は今…」
そこまで話したところで、電車は荻窪駅に到着した。すると加藤は「あ、もう荻窪ですか?」と急に慌て始める。
― えっ?もしかしてここで降りる感じ?新宿くらいまでは、一緒だと思ったのに。
ガッカリしている桜子をよそに、加藤は「僕、昔から、荻窪からは丸ノ内線の男なんです」などと言いながら立ち上がった。
「今日もありがとうございました。動物に興味を持ってくれる方があまりいなくて。またぜひ、どこか行きましょう」
「あ…はい、ぜひ」
扉が開き、加藤が立ち上がる。電車から降りる間際、桜子の方を振り返り会釈する加藤。ドアがきっちりとしまった瞬間、桜子はぽつりとつぶやいた。
「また、食事に誘われなかった…。ていうか、自分で誘えばよかった」
加藤は、やはり自分のことをただの動物好きな女だと思っているのだろうか――そんなことを考えながら、移りゆく窓の外の景色を眺めていた。
東大卒との結婚も、ラクじゃない?
「ただいま〜。って、お姉ちゃん、遊びに来てたの?」
「あら、桜子!おかえりなさーい。遊びに来たんじゃないの、夫と喧嘩して家出してきたのよ!」
武蔵小杉の家に着くと、姉の百合子が出迎えてくれた。リビングでは、彼女の3歳の息子がおもちゃで遊んでいる。
「お姉ちゃんたちが喧嘩なんて珍しいね。ミスター東大も完璧じゃない、ってこと?」
姉の夫は正真正銘のミスターコン優勝者。開成出身で帰国子女のイケメン弁護士、それに優しくてリーダーシップもある。「完璧」以外の言葉が見つからないのだ。
「完璧な人なんていないわよ〜」
「そういうものなのねぇ…」
百合子の話が気になり、そそくさとコートを脱いで手を洗い、急いでソファに腰掛けた。
「喧嘩の理由はなに?」
姉が買ってきたという『ルコント』の、さくらんぼやクランベリーがぎっしり詰まったパウンドケーキに手を伸ばしながら、桜子は尋ねた。
百合子は「うーん」と腕を組む。
「いろいろあるんだけど…」
家を飛び出してしまった百合子。その言い分とは…?
「『お受験をさせるかどうか』でもめてね。私は、中学受験派で、小学校は学区の区立臨川小学校に通わせればいいかなって思うんだけど」
「広尾だったら、公立でもレベル高そうだもんね」
「私もそう思ったの。臨川はママ友の評判も良いし…。でもね、彼が『たしかにこの地域はジェントリフィケーションが完成されているけれど、だからって公立は…』って言うのよ。自分が小学校の間ずっとロンドンにいて、中高は開成だから、日本の公立教育に懐疑的みたい」
「ジェントリ…?」と首をかしげている桜子に気づかず、百合子は深いため息をつく。今日はそれが発端で口喧嘩になり、頭を冷やしに実家に帰ってきたらしい。
「今日に限らず、教育のことで悩むと、考えがぶれることが時々あるのよね。すると彼、『百合子はコンシステンシーがない』って頭ごなしに言うの。まずは冷静に話を聞いて、一緒に考えてほしいのに。それで私も怒っちゃう」
「そっか…。でもお姉ちゃん、すごいね。私だったら、東大卒の弁護士から理路整然と言われたら、何も言い返せないと思う」
桜子は感嘆の声を漏らした。義兄のような完璧な人を前にして、自分が対等に意見を主張する姿が想像つかなかったのだ。
「あら、桜子。自分の考えはちゃんと伝えたほうがいいわよ。そうじゃないと、相手だって『自分は間違ってない』って思いこんじゃうじゃない?東大卒男性は、ただでさえ自信がある人は多いんだから」
「東大卒と結婚したって、バラ色の未来じゃないってことね…」
「そうよ〜。でも、やっぱり彼らすごく理解力があるから、きちんと話せば聞いてくれるわ。うちの夫が『今は聞く』と決めた時の傾聴力については、すごいと思ってる」
「まあ、聞いてくれる態勢になるまでが長いんだけどね…」と百合子は、苦笑しながら付け加えた。
「なるほど…。その積み重ねで、今の2人があるのね」
「まあ私たち、付き合いも長いからね」
百合子はドライに返すが、まんざらでもなさそうだ。
「素直に喜びなさいよ〜。お義兄さん、きっとそろそろ心配して迎えに来るんじゃない?」
そう言った瞬間、ピンポーン、とチャイムが鳴る。インターホンのモニターを覗き込むと、しゅんと眉を下げたかつてのミスター東大がたたずんでいた。
「やっぱり。結局ラブラブなんじゃないの」
桜子があきれながら突っ込むと、百合子は「お騒がせしました」と笑う。
― お姉ちゃんも帰ったし…。少しのんびりしようかなあ?
姉家族の帰宅後、桜子は自室のソファに座り、一息つく。今日は朝から遠出してバードウォッチングに出かけたせいで、若干眠気があった。
― てか、そうよ。バードウォッチングといえば…加藤さん。あの人、一体私のこと、どう思って誘ってくるんだろう。ああ、もう本人に聞いちゃいたい。
「言いたいことは、言った方がいい」という姉の言葉が頭をよぎる。
直接確認したい衝動にかられるが「2回しかデートしてないのに、前のめりすぎるかも」と考え直した。
― 美由紀に相談してみよっと。お食事会、セッティングしてくれたし。
そう決めると、まずは美由紀に現状を報告することにした。
『桜子:やっほ〜。この前はお食事会、ありがとうね。おかげさまで、加藤さんと何度か会ってる!』
しばらくすると、『えー!!』とハイテンションな返事が返ってきた。
『美由紀:加藤さんか、いいねいいね!でも、留学で遠距離になるのは、桜子的にOKってこと?』
無邪気なスタンプとともに送られてきた文章に、桜子は目を疑った。当然、加藤からそんな話は一切聞いていない。
― 留学…?いつから?どれくらい?
スマホを握りしめたまま、桜子は動くことができなかった。
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加藤の留学を知り、桜子が取った行動は…。