人は、“繋がり”を求める生き物だ。

幸せになりたくて友を求め、恋をし、家族を作る。

そうして幸福な家庭を築いた者は、次第に自分たちだけでは飽き足らず、よその家族まで求めてしまう。

それが、底なしの沼だとも知らずに...。

マンネリな毎日に飽き飽きしていた海野美希(36)は、夫(38)の提案で、彼の学生時代の友人2家族とランチを共にする

ランチがおおむね和やかなムードだったこともあり、「次回は我が家でBBQを」と山本家と日向家を誘った美希。だが、当日現れた山本の妻は、BBQへの参加を全力で拒むかのような真っ白なワンピースを身にまとっていた。




「海野、今日はありがとな。それにしてもこのパーティールーム、広くていいな」

「だろ?共有施設が充実してるのがやっぱタワマンのいいところだよ」

一人グリルの炭と格闘しながら、誠は汗だくの笑顔を浮かべている。日向達也のお世辞を間に受けて、すっかり気分を良くしているようだ。

約束の正午を迎え3家族が全員集合した海野家のマンションでは、今まさにBBQが始まろうとしていた。

美希は朝から仕込んだ食材を自宅のキッチンから運び終えると、日向家から手土産として渡されたスパークリングワインを人数分のグラスに注いだ。

真っ白なワンピースで現れた律子は、案の定グリルに近づこうともせず、オーニングの作り出した日陰の椅子に座りながらのんびりとした時間を楽しんでいる。

いや、律子だけではない。日向達也こそ子供達が火に近づかないよう目を配っているものの、日向千花も、山本龍太も、どっかりと椅子に腰を下ろしておしゃべりに興じているのだった。

―皆さん、今日は我が家に来ていただいたゲスト…だもんね。少しは手伝って欲しいけど、そういうわけにもいかないか…。

釈然としない気持ちを密かに燻らせながらも、美希はワイングラスをウェイトレスのように配って回る。

夫の誠は、とても手が離せる様子ではない。だが、今が5月であることを忘れてしまうほどじりじりと照りつける太陽の下では、皆の喉の渇きもそろそろ限界だろう。

美希は、僭越な役どころかもしれないことを懸念しながらも、勇気を出して声を張り上げた。

「皆さん。今日はわざわざ来ていただいてありがとうございます。暑いですし、まずは乾杯しましょうか」

しかし、美希が高らかにグラスを持ち上げた途端、割り込むようにして山本龍太が「あっそうだ!」と大きな声を上げる。

そして美希の側に駆け寄ると、高級スーパー・明治屋の紙袋をぐいと突き出したのだ。


美希の乾杯を遮った山本。差し出した紙袋の中身は…


「奥さん、手ぶらでどうぞって言われたけどね。そういうわけにもいかないから!」

グラスを掲げていることなど御構い無しに、山本は美希に紙袋を押し付ける。

「あら…、お気遣いいただいちゃってすみません」

しかたなくグラスをテーブルへと置いた美希は、遠慮の言葉を伝えながら紙袋を受け取った。

とたんに、想像以上の重量が美希の手にズシリと襲いかかる。指に食い込む紙袋の持ち手に耐えながら恐る恐る中をのぞいてみると、中に入っていたのは、2つの、人の頭ほどもある大きな生のパイナップルだった。

「知ってます?ブラジルだとBBQの時に焼いて食べるんですよ。俺それがめちゃめちゃ好きで!奥さん、すいませんけどカットしてきてくださいね」

予想外の手土産に面食らった美希は、麗子の顔を見遣る。だが麗子は、レフ板の役割をこなしている白のワンピースに照らされながら、美しい微笑みを少し傾けただけだった。

―今このタイミングで切ってこいということ?生のパイナップルなんて、どうやって切ればいいの?

美希は必死で戸惑いを隠しながら、「あはは、美味しそう…」と笑顔を作る。朝から包丁を握り続けた右手はすっかり疲弊していた。

だが、面と向かってリクエストされてしまったのでは仕方がない。無下にしてしまっては、あんなに頑張ってグリルに向かっている夫の面子を潰してしまうかもしれないのだ。

美希は笑顔を保ったまま「分かりました!」と返事をすると、自宅キッチンへと戻るべく、重量のある紙袋をぶら下げてエレベーターホールへと向かうことにした。

足早に退出した美希の背後で、パーティールームの扉がゆっくりと閉じていく。

その瞬間、BBQテラスから楽しげな「乾杯!」という声が微かに聞こえた。




慣れない生のパイナップルを、ネットの力を借りながらBBQ仕様に切り終えるのには、30分ほどの時間を要した。

そしてスティック状にカットしたパイナップルは、美希がBBQテラスに戻るやいなや「奥さん、どうも!」という一言とともに山本に奪われたのである。だがその後、今も手付かずのままでテーブルの上に放置されている。

―すぐに焼かないんだったら、今切ってくる意味あったのかな…。

モヤモヤとした感情を抱えながら、美希はさきほど乾杯をしそびれたスパークリングワインのグラスを手に取った。

立ち上ることを諦めてしまった細かな泡達が、ワイングラスの内側に苔のようにびっしりと張り付いている。一口舐めると、太陽に照らされ続けたワインはまるで風呂の残り湯のように生温かい。

だが美希は大人が6人も揃っているこの空間で、そんなワインの愚痴を言う相手すら見つけられずにいた。

時折爆笑が勃発する酒宴の輪の中で、気づいてしまったのだ。

明らかに美希1人だけが、この場から浮いていることに。


受け身でいたのでは親しくなれない。輪の中に飛び込んだ美希を待ち受けていた事態とは


美希がこの場に馴染めていない理由は、乾杯のタイミングを逃してしまったことだけが理由ではない。

美希以外の5人は、夫たちが38歳、律子が40歳、千花が30歳と学年こそ違えども、全員が同じK大学の出身なのだ。

「千花ちゃん知ってる?いつもレジの担当だった学食のオバちゃんいただろ?経済のコバタツ教授ともうずーっと不倫してたの」

「えぇ〜!だからコバタツっていつも学食でしか食事しなかったんですか?」

「そうだよ!千花ちゃんの頃にも続いてたのかよ〜」

美希のことは「奥さん」としか呼ばない山本が、日向の妻である千花のことは「千花ちゃん」と呼ぶのも、同門なればということなのだろう。

先週のウェスティンでのランチでも、時折こうした内輪でしか分からない話題は出ていた。だが、隣に着席していた誠がその都度簡単に解説をしてくれていたため、疎外感を味わうことはなかったのだ。

2家族との唯一の共通点である夫が調理担当として忙しく立ち回っている今、おしゃべりに夢中になっているメンバーの中に美希を気にかけてくれる人はいない。

コバタツとやらの暴露話に沸く輪の中で美希にできることは、愛想笑いを浮かべながらぬるいワインを一気にあおることだけだった。

―私…何やってるんだろう。今日のこの会は、ほかでもない私が自分で開催をきめたのに。

手の中のグラスはもう空だ。ついにやることがなくなってしまった美希は、グラスを握りしめながら自らを奮起させるために視線を上げた。

―こんなことじゃダメだよね。今日は我が家がホストなんだから、受け身でいるんじゃなくて私の方から話しかけないと!

上げた視線の先にいるのは、律子だ。夫である山本と千花が思いの外盛り上がっている様子を、一歩下がった場所でニコニコと見つめている。

今なら、話しかけても大丈夫かもしれない。そう感じた美希は、意を決して律子の側まで歩みを進めた。




「律子さん、お食事足りてます?もしよければ私、何か取って来ますけど」

場違いなほどラグジュアリーなワンピースに身を包んだ律子は、よほど煙に近づきたくないのだろう。食べ物には手を出さず、グリルから離れた場所にあるお酒にばかり手を伸ばしているようだった。

ふいに美希から話しかけられた律子は、少しだけ目を大きく見開くと、またにっこりといつもの優雅な微笑みを浮かべた。

「美希さん、ありがとう。なんだかんだで美希さんにばかり動いていただいちゃって、ごめんなさいね」

「いえいえ、今日は我が家がおもてなしをする番ですから!」

先ほどまで美希の心に立ち込めていた「自分ばかり働いている」という不満が、少し晴れていくのを感じる。

―私ったら、1人でモヤモヤしちゃって…。やっぱり律子さん、礼儀正しくていい人じゃない。私きっと、少し寂しかったんだわ…。

労いの言葉をくれる律子に、何か他意があるわけもないだろう。白いワンピースだって、きっと少し服装を間違えてしまっただけなのだ。

反感を覚えていた自分自身に、恥ずかしさが湧き上がる。

恥じる気持ちを払拭するためにも、律子を心からもてなしたい。そう思った美希は、「じゃあ、お肉とか少し取って来ますね」と律子の皿を受け取ろうとした。

だが律子は、そんな美希の行動をやんわりと静止する。

「美希さんも少しはゆっくりされて。私、自分で頼むから」

そして、クルリと後ろを振り返ると、グリルの前に立つ誠に向かって大きな声で呼びかけた。

「マコちゃ〜ん!マコ!少しくらいこっちにもお肉運んで来なさいよ〜!」


目の前で下僕のように扱われる最愛の夫。ついに美希はある決心をする…


美希の頭を、スタンガンで弾かれたような衝撃が襲った。自分の夫が、人の奥さんにペットのように呼び捨てにされている。あまつさえ、自分の意のままに下働きをさせようとしているのだ。

「マコ!本当にアンタ、昔から気が利かないんだからぁ」

律子になじられたことに気がついた誠は、やれやれ、といった苦笑いを浮かべながら焼けた肉や野菜を運んできた。

「ちょっと律子さん、まだ酒癖治らないんですか」

先週の律子の優雅な姿からは想像もできない態度に、美希は呆然とするしかなかった。そんな美希を見て、誠は頭を掻きながら釈明を試みる。

「律子さん、酒が入ると昔からこうなんだよ。ラグビー部のマネージャーだったから俺らに厳しくて!本当全然変わらないよなぁ」

妻の様子に気づいたのだろう。いつのまにか山本も、美希の側に立っていた。

「奥さん、ウケるでしょ?コイツ酒好きな癖にめちゃくちゃ弱いんですよ。酔っ払うといつも海野のことイジってたんで、その癖が抜けないんでしょうね〜」

「うるさいなぁ、何年経とうがマコはマコでしょ!ねえ美希さん、ちょっと聞いてもいいかしら?正直、こんな頼りないマコのどこが良くて結婚したの?」

「ちょっと律子さん、ヒドイっすよー!」

気安いやりとりに興じる3人は、皆笑顔だ。だが美希には、何が面白いのか分からない。

自分だけK大ではなく女子大の出身だから、このノリが理解出来ないのだろうか?少なくとも美希の友人には、人様の主人を下僕のように扱うような人物は皆無だ。

先ほどから持ち続けていた疎外感に、一しずくの怒りが滴って滲む。

だがここで怒りを露わにしては、せっかく盛り上がっているこの場の空気に水を差してしまうことは、クラクラと混乱した頭でも理解できた。




「あはは…、わ、私、ちょっと子供達の様子を見てきますね」

美希はそう申し開きをすると、テラスから子供達の遊んでいる室内のパーティールームへと向かった。

―何?何?何今の。さすがに失礼じゃない?それとも、ノリについていけない私が悪いの?

眉間を抑えながら室内に入ってきた美希に、「あっママ!」と真奈が駆け寄る。美希は険しくなっていた表情をどうにか押さえつけると、子供たちの輪の中に入っていった。

「3人とも、楽しく遊べてるかな?何をしてるの?」

「真奈たち、このパズルで遊んでるの」

子供たちの真ん中で散らばっているのは、クラシックな木製のパズルだ。美希が子供の頃に母からプレゼントされ真奈に受けついだ、ジョージラックの代表作・「ノアの方舟」。

文字通りノアの方舟を模したこのパズルは、箱舟型のフレームに様々な動物のピースがはめ込まれている。

このパズルで遊びながら、美希の母はよく話を聞かせてくれたものだった。

『狭い箱舟に乗せられた動物たちが、ケンカをしてしまったら大変ね。同じ箱舟に乗っている者同士、種類の違う動物でも仲良くしなくてはいけないの。美希も、どんな人とでも仲良くしましょうね…』

美希自身も娘の真奈に日頃から言い聞かせているこの話が、今、疲弊した美希の心を鉛のように重たくさせる。

―私、もしかしたら、家族ぐるみのお付き合いなんて向いてなかったのかもしれない。今日のこの会を無事に終えたら、今後のお付き合いは少し控えてもいいよね…。

旧友と再び親交を深める誠と、言いつけを守り新しい友達と仲良くする真奈には、罪悪感を禁じ得ない。だが、先週、今週と2回の付き合いを経て、美希はその予想以上の気苦労の多さにすでに辟易しかけていた。

―幸い、次の集まりはまだ決まっていないし…。誠くんに「しばらくは集まりを控えたい」と伝えておけば、きっと大丈夫なはず。

だが、この時すでに美希は機を逃していた。

「後で伝えよう」。そう考えながら子供たちと遊ぶ美希の背後で、ガラリと音を立ててガラス戸が開く。

そして、顔をのぞかせた誠が、弾んだ声で宣言した。

「おい、このメンバーで7月に、ハワイに行くことになったから!」

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気づいた時には、もう遅い。引き返せない家族ぐるみの底なし沼で、美希の見せたささやかな抵抗