元・おニャン子クラブの内海和子さんは40代になった頃、パニック障害の診断を受け、発作が起きるたびに死を意識したと言います。家族の支えで乗り越えたものの、介護が必要な義母と同居することになり、パニック障害が再発して── 。(全5回中の3回)

【写真】「眼鏡美人!」パニック障害を乗り越えた内海和子さん(57)の近影‌ ほか(全16枚)

「あなたは子どもの頃からずっとストレスを抱えている」

ライブの様子。圧倒的な歌唱力は今でも健在

── パニック障害の診断を受けた経緯を教えていただけますでしょうか。

内海さん:15年くらい前、私が40代初めの頃なんですけど、何か息苦しくて「心臓が悪いのかな?」思っていたんです。身内に心臓血管外科の医師がいるので相談しましたが、心臓が悪いわけではなさそうと。でも息苦しさが治らず、当時のママ友に相談したら「心臓ではなく、心療内科に行ってみたら?パニック障害なのでは?」と言われたんです。当時まだ「心療内科」と聞くと病院に行くこと自体ハードルが高い印象があり「そもそも、心理的なストレスなどもないのに?」という感覚でした。でも、そのママ友が「自分のわからないストレスがあるのかも」って背中を押してくれて。病院でカウンセリングを受けると「パニック障害です」と診断されて、それを聞いたときは「えっ?」と驚きましたね。

「あなたは子どもの頃からずっとストレスを抱えている。子どもができてもいろいろな対人関係でストレスがあるようだ」と。たしかに潔癖症で、完璧主義なところがあるんですが、自分ではだらしないところが多いと思っているから気づかなかったんです。先生からは「子どもや家族など、誰かのために動いているからきっと本人は気づきにくいけど、蓄積されて症状に出ているんですよ」と。たしかに、「やらなきゃ」とか「完璧でいなくちゃ」とか、そういう強迫観念を持っていたのかもしれません。

── 主にどういった症状があったのでしょうか?

内海さん:私の場合、朝方になると息が苦しい症状が出てくるんです。そのたび「私はこのまま息ができなくなってしまう、怖い」と思っていました。いつも発作が起きると「私、死ぬの?」と言う私に、夫が「死なないから、死なないから」って背中をさすって声をかけてくれました。「大丈夫」とか「頑張れ」とかそういう言葉ではないんですけど、この言葉に助けられました。

発作が起きると、救急搬送されたり、娘や夫に何度も病院に連れて行ってもらっていました。その後も、私は息が苦しくなるとその場所から逃げて、夜中だろうが雪だろうが、雨だろうが家を飛び出し、外に出ることを繰り返していました。危ないからと夫が後ろからついてきてくれることも。先生からは「紙袋を用意して発作が起きたらゆっくり吸いなさい」と言われたんですけど、私には余計に苦しくて…口の周りを覆う感じがムリだったんですよね。

でも部屋を出ることは自分が見つけたひとつの解決方法で、発作が起きても夜中に外の玄関に座ったり、ベランダのテラスの椅子に座ったり、近所の公園に行ったり、コンビニに行って何か買って気を紛らしたりして、やり過ごすこともできるようになりました。10年くらい薬を飲んでそういうことを繰り返しながらですが、症状も次第に落ち着いていきました。

「出て行け!」義母との同居介護で再発し

眼鏡姿もかわいい!(Instagramより)

── 快方に向かっていたパニック障害が再発したそうですが、何があったのでしょうか?

内海さん:新しい原因が重なって再発し、数日入院しました。それは義母との同居と介護なんです。介護といっても重度ではなくて認知機能の障害、運動症状や自律神経症状、睡眠障害のある認知症のひとつ「レビー小体型認知症」で、義母の場合はネガティブな感情になりやすく、周囲に感情的にあたったり、筋肉がこわばり体が思うようには動かなくなってきたりする症状で、生活のお世話をする必要があり、義父が亡くなり家を建て替えることになったタイミングで2022年頃から同居が始まりました。

すでに同居していた私の母とも一緒に生活することになったわけなのですが、母と義母は86歳と同い年で。なのにまったく違うんですよ。母はキャリアウーマンみたいな人で、朝はメイクをしてバシッと動き回るポジティブの典型のようなタイプ。いっぽう、義母はネガティブの典型で、私がやることなすことネガティブにとらえるんです。次第に私ともぶつかることが多くなっていって。

同居するまで義母との関係は良好でとても仲がよかったのに、一緒に生活すると大きな差があって「こんなに違うのか」と。私は家族なんだから義母も母も同じ扱いなんですよ。でも生活していくと細かな違いが積もって亀裂が入り、ストレスが増え「出ていけ!」と言ったことがあるくらい。義母は「だったら私が出て行けばいいんですよね?」という感じで応戦してくる(笑)。

── たとえば、どんなことがぶつかる原因になったりするのですか?

内海さん:義父が亡くなり食生活が乱れていた義母に、よかれと思って、オーガニック野菜などをそろえ、決まった時間に手の込んだご飯を作ったんです。けれど「和子さんの作るものは全部、材料が高いから」と言われて。ショックを受けました。義母の体にいいものをと思って出しているのに、義母にしてみたら高いものを選ぶ私への不満でしかない。その価値観の違い。「あー、そうとらえるんだ」って発見して、本当に勉強になりますよ。そこからもう何を買っても「買うものがすべて高い」と言われるんです。普通のスーパーで買ったものでも、ですよ。これが夫だったら離婚するなと思うくらい。でもこれだけは言いたい。義母は同居を始めてフィジカル面では家族で誰よりも元気になりました(笑)。

お料理上手な内海さんの食卓(Instagramより)

── 摩擦はあれどもお義母さんのことを放ってはおけない状況かと思いますが、ご自身の体のことも考えないといけないですよね。パニック障害とはどのように向き合っているのでしょうか?

内海さん:私ができないときは母が老々介護で義母に尽くしてくれました。ただ、そんな高齢の母のフォローもしなくてはいけない。繰り返していると、精神的なダメージがやはりあって、パニック障害でまた数日入院したことがありました。先生から「完璧にやるのは大事だけど、息抜きも必要」と言われて、義母を半分ショートステイに出すことにしました。先生に「それは罪悪感じゃないよ。お義母さんのためにもやらなきゃいけないことだよ」と言ってもらえて、心がラクになりました。



義母は、長年住んでいた熱海の家と東京は勝手が違いますから、外に出なくなるんです。一日中ベッドに座ってテレビ見ているばかりで、筋力が衰え歩けなくなってきて。地元の熱海でショートステイをしてメリハリのある生活にしようということになり、今はお互いいい距離感を保つことができています。義母にとっても、私にとっても、息抜きと生活のメリハリは大事だなと思っているところです。

PROFILE 内海和子さん

うつみ・かずこ。1967年生まれ。東京都出身。子役時代を経て、1985年4月にテレビ番組「夕やけニャンニャン」のおニャン子クラブのメンバーとしてオーディションに合格し2年半活動。卒業後は芸能活動の傍らカーレーサーとしても活躍。芸能活動を一区切りさせ結婚・出産。愛娘・ゆりあんぬはライブアイドルとして活躍中。近年はパニック障害で闘病した経験も公表。娘や家族との日々の様子をSNSやブログで発信している。

取材・文/加藤文惠 写真提供/内海和子