― 【ご報告】―

SNSやメールでたびたび見るこの言葉に、心がざわついた経験はないだろうか?

人生において、新たなステージに入った【ご報告】をする人。

受ける側は【ご報告】されることによって、相手との関係性を見直したり、自らの人生や現在地を振り返ることになるだろう。

この文字を目にした人は、誰もが違う明日を迎える。

これは【ご報告】からはじまるストーリー。

▶前回:昨日まで優しかった彼が、突然モラハラ男に豹変。絶望した女は悲しみのあまり、ある決断をして…




Vol.13 <ご報告:再婚いたしました>


『並行して進めていた女性と、この度成婚することになりました──』

新宿にある『ファンゴーダイニング』の、歩道に面した窓際の席。ランチ中に届いた知らせに、堀内奈々は表情をこわばらせた。

「嘘でしょ…」

「どうしたの?」

長年の友人であり、同じ大手不動産会社に勤務する上坂藍が、心配そうに顔を覗きこむ。

「アプリの男性にお断りされた。今年に入って、5件目よ。やっぱり、私がバツイチだから…」

「そんなことないって。たかだか一度だけの離婚歴でしょ」

藍はランチセットの明太子クリームのパスタを食べながらフォローする。

「でも…」

一方奈々は、運ばれてきた皿に手を付ける気力もないほど落ち込み、肩を落とす。

たった一度だけの離婚。

その、“たった一度だけ”の傷は、他人が想像するよりも、大きく、深いものなのだ。



奈々が結婚したのは、今から6年前の27歳の時。相手は2歳年上の、戸塚修だ。

出会いは、藍の紹介。彼は、藍の夫の大学同窓生だった。

早稲田大学を卒業し、大手新聞社の記者である修。初対面では優しく、真面目な印象を持った。

誠実な人柄を感じ、ともに未来を歩んでいけると信じて、交際から1年足らずで籍を入れた。

だが、そこで待っていたのは地獄のような結婚生活だった。


うまくいっていたのは最初だけ。

同居してからは、次々とボロが出始めてきた。

深夜の泥酔での帰宅。見せてくれない通帳。女の匂い──。

不規則な仕事ということもあり、当初は目をつぶっていた。だが、彼は給料全てをギャンブルと酒、そしてキャバクラ等につぎ込んでいだのだ。



ストレスの末だという言い訳なんて、信じられなかった。

話し合いをしようとしても、強い語気で反論され、どうしようもなかった。

結局、結婚生活は1年ほどで破綻を迎えた。



「アプリの彼も、私といるときは楽しそうだったのに。男って本当に…」

そうつぶやいて奈々は、断ち切るようにアプリの彼の連絡先を消す。

その時――

件の前夫からメールが届いていることに気づいた。

<久しぶりです。この度、再婚することになりました>

「えっ!」

連絡先の変更も兼ねた事務的連絡であったが、文面には幸せ感が満ち溢れていた。

「――どうしたの?」

「修が、結婚するって…」

「あぁ…その話」

修と藍の夫はそもそも親友同士。この件は密かに知っており、相手と会ったこともあるという。

「相手の人、可哀そ…アイツ、また口先とステイタスで騙したんでしょ」

投げやりに奈々は呟く。彼には恋愛感情も残っていない上に、やり直したいとも感じていない。

だけど、いまだ過去の傷に苦しむ自分を差し置いて、幸せになることが許せなかった。

藍は彼を紹介した負い目があるからか、奈々の口から溢れ出る愚痴に、否定も肯定もせず黙って頷いていた。



― …なんで、私だけが独りぼっちなの。

残業の仕事帰り、ひとり夜道で寂しさにふける。

古い傷は新規の恋で忘れるのがいちばんと思いながらも、新しい恋はなかなかやってこない。

意欲はあるが、不安でどうしても慎重になってしまうのだ。

昔から卑屈で疑り深い性格なのは確かだが、離婚後はさらにそれが加速した。

初対面で深い探りを入れてしまったり、些細な相手の行動で心のシャッターを閉じてしまったり…これが後遺症、あるいはトラウマというものなのだろう。

ひとりで住む冷たい部屋に帰宅した奈々は、わずかに残っていた修の残骸を完全に処分することにした。

以前住んでいた家から持ってきた、時計や小型家電、そして食器など。惰性で使い続けていたものを、マンションのゴミ捨て場に運ぶ。

しかし整理していく中で、存在をすっかり忘れていた、あるものを発見する。

ルビーの石がはめられた、アンティークの指輪だ。




これは、結婚後すぐ亡くなった修の母親が、病床で託してくれたもの。

― 『修をよろしくね、幸せになってね』と、渡されたんだよね。

だが、彼は幸せどころか、ひとりの女を不幸のどん底に導いた。

今から思えば「よろしく」という言葉は、彼のダメさを知ってのことだったのではと勘繰ってしまう。彼女は天国から息子の所業を見てどう思うのだろうか。

そして今ふたたび、自分と同じように不幸な女を増やそうとしている。

奈々にある使命感が湧いてきた。

「彼の本性、教えてあげなきゃ…」


新緑のまぶしい、ある休日のランチ時。

奈々は藍を通じて、彼の新妻を呼び出すことにした。

修の新居に近いというウォーターズ竹芝の『パッパガッロ』を指定し、その女性の登場を待つ。

誘った口実は他でもない、彼の亡き義母から受け取った指輪を渡すこと。

藍はその理由ならと渋々受け入れてくれたが、トラブルが起こる可能性を心配し、同席することとなった。

― どうせ、店の女か、チャラチャラした年下の女性なんでしょう。

奈々は藍と先に店に入り、勢い付けにシャンパンを飲んで待ちながらその登場を待つ。

半ば胸を躍らせていると、ほどなくして女がテーブルの前に立った。

「藍さん、お待たせ」




修の妻だ。

派手好きの彼の好みとはかけ離れた地味さ。しかも年齢は明らかに自分よりも上で、奈々は驚きを隠せなかった。

「芙美さん。今日はありがとう。彼女が、修さんの……」

「前妻の堀内奈々と申します」

「戸塚芙美です…」

頭を下げて、彼女は奈々の向かいに座った。その控えめな様子に、奈々はどこか納得した。

― なるほど。好き勝手やっても我慢してくれそうな雰囲気ね。

優越感を抱いた奈々は、すぐに本題に入った。

「こちら、彼の亡くなったお母様から渡された指輪です。すぐにでも手放したかったのですが、彼とは連絡を取るのも嫌だったので、なかなか。知ってます?彼が私にしたこと──」

「はい…申し訳ありません。相当ひどいことをしたと、聞いています」

「え」

実は、自分のことを話しているとは思ってもみなかった。豆鉄砲を食らったような表情の奈々を見て、藍が口を挟んだ。

「芙美さんは、みんな知ってるよ」

曰く、修と芙美の出会いは職場だという。

離婚の罪悪感とショックに苦しんでいた彼の相談相手となっていたのが、新聞社のバックオフィスで派遣社員をしていた彼女だったそう。

「彼の性格は十分知っていますし、離婚理由もあって、交際する気は一切ありませんでした。でも、離婚を機にお酒もギャンブルもやめた、と。息子のこともちゃんと考えてくださって、3年考えて交際を始めました」

「芙美さん、死別した旦那さんとの間にお子さんがいるんだよ」

藍の言葉に、奈々はさらに青ざめた。

自分との結婚時、子どもは要らないと言っていた修。単純に「子どもが嫌い」という理由だったのに…。

「まさか、そんな──」

奈々は言葉を飲み込む。話せば話すほど、自分が惨めになりそうな気がしたから。

既に家族一緒に暮らして半年たつという。生活は順調で、修は会社でも実績を上げ、現場キャップを任されるまでになったという。

自分の時は、3ヶ月もしないうちに生活が乱れてきたというのに。

「指輪、ありがとうございます。大切にします」

やわらかな笑顔で指輪を受け取る芙美に、奈々は何も言えなかった。




芙美と解散後、藍とも別れ、奈々はひとり桟橋のテラスのベンチで物思いにふける。

芙美から伝えられた修の現在の様子を受け入れることができず、なかなか、帰路につくことができなかったのだ。

そしてどのくらいたっただろうか──。

辺りも暗くなってきたころ、聞き覚えのあるはしゃぎ声がどこからか聞こえてきた。

「修…?」

声の先には、小学校低学年の子どもと追いかけっこをする彼の姿があった。隣にはもちろん芙美もいる。

身を隠しながらも、別人になった彼の姿をじっと見てしまう。

― 私も、いつかは変われるのかな。

人は、誰かとの出会いによって影響を受け、変化を繰り返す。

あの修でさえ、芙美との出会いで変わることができた。奈々との別れもそのきっかけなのかもしれないが。

だから、自分も…

「パパー、抱っこ!」

「またかー。これで最後だぞ」

「ごめんなさいね。私の用事で一日中遊んでもらったのに」

幸せな親子の声を背に、奈々は、何時間も留まっていたベンチから立ち上がる。

― 私も、また人を信じることができるようになれるよね…。

心の中に僅かな光が差し込んでいることに気づいた。

奈々は明日から、また歩き出せるような気がしたのだった。

Fin.

▶前回:昨日まで優しかった彼が、突然モラハラ男に豹変。絶望した女は悲しみのあまり、ある決断をして…

▶1話目はこちら:同期入社の男女が過ごした一度きりの熱い夜。いまだ友人同士ふたりが数年後に再び……