5年付き合った彼にプロポーズされ嬉しいんだけど…。30歳女がどうしても引っかかること
ただ時間を知りたいだけなら、スマホやスマートウォッチでいい。
女性がわざわざ高級時計を身につけるのには、特別な理由がある。
ワンランク上の大人の自分にしてくれる存在だったり、お守り的な意味があったりする。
ようやく手にした時計は、まさに「運命の1本」といえる。
これは、そんな「運命の時計」を手に入れた女たちの物語。
▶前回:1人に慣れすぎた30歳CA。ひとり旅、1人ご飯も平気だけど、やっぱり失恋はつらい…
Vol.3 奈緒(30歳)婚約指輪の代わりに…
カルティエ「タンク フランセーズ ウォッチ」
「奈緒、僕と結婚してください」
誕生日や記念日でもないのに、パーク ハイアット 東京の『ニューヨーク グリル』を指定されたとき、奈緒は「もしかして?」とは思った。
「ありがとう、俊介。私でよかったら…」
プロポーズと共に受け取った花束は、南青山の「ル・べスベ」のもの。まるでパリの花屋を彷彿とさせるナチュラルで洒落た花束に、奈緒はうっとりと見入る。
俊介と付き合ってきた期間は、5年。
俊介は3歳上で、大手広告代理店勤務。知り合ったのは、奈緒が新卒から勤めているアパレルメーカーで、広報担当になったばかりの頃。一緒にイベント企画に取り組んだことがきっかけで付き合い始めた。
奈緒は数ヶ月前に30歳を迎えた。年齢的にも当然、プロポーズは嬉しい。
ただ、一つだけ、腑に落ちないことがあった。
それは、「奈緒、金属アレルギーだから、婚約指輪とか買わなくていいよな」という俊介の一言。
「うん、確かに金属アレルギーだから、ジュエリーはほとんどつけないけど…」
「仕方がないよな。その代わり、結婚式とか旅行で奈緒の希望を叶えられるように頑張るよ」
俊介に悪気がないのはわかっている。しかし、なんかしっくりこない。
― 勝手に指輪はなしって決められちゃうのは嫌だな…。
◆
もやっとした気持ちを抱えたまま、週明けになった。
何も知らない俊介からは、お互いの実家に挨拶に行こうと呑気なLINEが来た。俊介のことは好きだし、結婚は嬉しい。
しかし、結婚という記念すべきセレモニーを執り行う過程で、指輪の存在をないがしろにしたまま進めたくなかった。
奈緒は、「来週会った時に、いろいろ話そう」とだけ返した。
そんなモヤモヤを一掃したくて、今日は仕事終わりの親友、紗和を呼び出し、新宿伊勢丹までやってきた。
「奈緒、またバッグ買うの?」
「ちょっと発散したいできごとがあってね」
ジュエリーがつけられない代わりに、奈緒は時折、靴やバッグなどの革製品を買う。
上質なものを何か一つでも取り入れることで、コーディネートは見違えるほどオシャレになると奈緒は思う。
この日は思い切ってセリーヌでバッグを買った。財布とスマホがようやく入るほどの小さなハンドバッグ。
奈緒は、自尊心が少し満たされたような気がした。
それから、2人で館内をぶらぶらと歩き、紗和に促されてカルティエに入った。
「実は、彼が誕生日にジュエリー買ってくれるって。どこのがいいかなーと思って」
嬉々としてショーウインドーを見入る紗和。
定間隔にダイヤを配したピンクゴールドのラブリングに目線を落としながら、奈緒はため息をついた。
「こういうの、つけてみたかったな」
「なんで過去形?婚約指輪、買ってもらえるんでしょ?」
「うん、でも私、金属アレルギーだから、いらないでしょ?って彼が言うんだよね。でも一生の記念に婚約指輪だけは欲しいって思っちゃう」
これまで、誕生日や記念日に俊介からプレゼントさされてきたのは、バッグやウォレットなどの小物。
彼なりに気を使ってくれているのはわかるが、婚約指輪となると話は別だ。
「奈緒のアレルギーって、何がダメなの?」
実は、奈緒は金属アレルギーのパッチテストを受けたことはない。
ただ、これまでシルバーや18金のピアスは皮膚がかぶれてしまい、使用できなくなった。
また、プラチナなら大丈夫かもと思ったが、母が譲ってくれたネックレスでもかぶれてしまった。
「前に金属アレルギーの人専用のブランドで買った、ステンレス素材は大丈夫だったんだけど…」
大丈夫だったとはいえ、プラチナや金に比べたら高級感に欠けていた。だったら、バッグや靴にお金をかけた方がいい、と奈緒は思うようになったのだ。
「カルティエの時計って素敵…」
店内をゆっくり見てまわりながら、奈緒はある時計に目が留まった。
目線の先にあるのは『タンク フランセーズ』。
これまでアクセサリー同様、腕時計もつけることを控えてきた奈緒だが、直線的でシャープなフォルムに見惚れてしまった。
ふと思い出したように紗和が言った。
「ところで、指輪がないまま結婚式ってことは、結婚指輪の交換は省略するの?」
的を射た紗和の指摘に、奈緒はハッと顔を上げた。
「確かにその通りだわ。でも交換だけだから結婚指輪はステンレスのものでもいいのかも。問題は婚約指輪よ!」
「それ、彼に伝えてみたら?」
紗和の提案に、奈緒はうなずいた。
2日後の夜。
奈緒は、仕事から帰宅する時間を見計らって、俊介のマンションに出向いた。
自宅で作った簡単な食事を持参し、テーブルにセッティングする。
「お!野菜たっぷりで嬉しいなあ」
奈緒は、食事をする俊介の向かい側に座り、さりげなく指輪のことを話してみる。
「あのさ、この間、指輪ができないから、結婚式や旅行は、私のリクエストを聞いてくれるって言ったよね?」
「うん、言った!」
「そのことなんだけど…」
奈緒は、指輪について思うことを伝えた。
指輪を交換しない式ってありなのか?
結婚の記念になるものが何もなくて、俊介は平気なのか?
「私、指輪をずっとつけっぱなしにできなくても、婚約指輪はやっぱり欲しいな…」
すると食事の手を止め、俊介が言った。
「そんなに気にしていたなんて知らなかったよ。週末でよければ、金属アレルギーの人でもつけられる指輪がないか、見に行こう」
「いいの?嬉しい!」
奈緒の表情が一気に明るくなる。
「ただ、どこでも売ってるわけじゃないと思うから、調べておくよ」
◆
翌週、奈緒は、俊介と共に新宿のブライダルリング専門店にやってきた。
事前に調べてくれた俊介によると、素材を指定して結婚指輪を作れるという。
「結婚指輪のオーダーも可能ですし、お客様のように金属アレルギーの方のための婚約指輪もございますよ」
そう言って店員が出してきた婚約指輪は、ダイヤモンドはセットされているが、アームや石座にステンレスを使用したものだった。
プラチナやホワイトゴールドの上品かつ洗練された輝きに比べると、輝きは鈍く、繊細さに欠ける。
価格も数万円と格段に安い。
デザインの違うものをいくつか見せてもらったが、結局、コレといったものを見つけることができず、2人は店を後にした。
「指輪が欲しいって言ったのは私だし、どれかに決めないとね」
奈緒が申し訳なさそうに呟いた。
すると、俊介が何か閃いた様子で言った。
「指輪にこだわる必要なくない?結婚指輪は交換用にさっきのどれかを買うとして、婚約指輪の代わりになるものをプレゼントするよ」
「どういうこと?」
奈緒が尋ねると、俊介は「僕に、任せてよ」と軽快に歩き出した。
奈緒の不安をよそに、俊介が入って行ったのは、先日紗和とともに来たカルティエだった。
「一緒におそろいの時計を買うのはどう?ステンレススティールのベルトなら大丈夫でしょ?」
「ステンレススティール?」
俊介はクスッと笑ってショーケースに目をやった。
「腕時計って素材にステンレススティールを使っているものが多いんだ」
驚きのあまり奈緒は目を見開いた。
「指輪の代わりに時計なんて…全然思いつかなったし、時計の素材が何かなんて考えたこともなかった」
奈緒がそう言うと、俊介がショーケースの中のひとつを指定した。
「これ、見せていただいていいですか?」
それは、先日奈緒が見入っていたものと同じ、タンク フランセーズだった。
知的でエレガントなブレスレット。インデックスには、小さなダイヤモンドが埋め込まれている。見れば見るほど素敵だと奈緒は思った。
「実は、先日友人とカルティエに入ったの。その時、私もこんな時計がつけられたらいいのに、って思ってたんだ」
「ひと目見て、絶対奈緒に似合うと思ったんだ。僕は、タンク フランセーズのラージモデルにするよ。
シンプルで上品だし、おじいちゃん、おばあちゃんになっても、この時計をつけていられたらいいな、って」
「俊介…ありがとう」
俊介は、先日奈緒に指輪が欲しかったと言われた翌日に、一度見に来たという。形ばかりの指輪をプレゼントするなら、絶対こっちのほうが大事にしてもらえるだろうと考えたのだ。
「私、挙式で交換するのも、指輪じゃなくてこの時計にしたい」
◆
2年後。
奈緒と俊介は結婚を機に勝どきにマンションを購入し、結婚生活を送っている。
「ごめん、俊介。プレゼンの準備があるから先に出るね」
「わかった。気をつけて」
外に出ると、どこからともなく潮の匂いと初夏の風。今日の奈緒は、リネンのシャツにネイビーのパンツ、手元にはタンク フランセーズが輝いている。
一緒に暮らし始めて1年。俊介とは、時々喧嘩をしたり、意見が合わないこともある。
でも、この時計を買ったあの時のように、奈緒の気持ちを汲み取り、お互いに納得できるよう話し合おうとしてくれる姿勢は変わっていない。
その度に、時計を見ながら奈緒は思うのだ。
― この人と結婚してよかった。
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