夜が明けたばかりの、港区六本木。

ほんの少し前までの喧騒とは打って変わり、静寂が街を包み込むこの時間。

愛犬の散歩をする主婦や、ランニングに勤しむサラリーマン。さらには、昨晩何かがあったのであろう男女が気だるく歩いている。

そしてここは、六本木駅から少し離れた場所にあるカフェ。

AM9時。この店では、港区で生きる人々の“裏側の姿”があらわになる…。

▶前回:彼氏の女友達と、3人で会うことに。親密すぎる関係に拗ねてしまい、最低な態度を取った結果…




Vol.9:唯(27歳)「こんな場所で、別れ話…?」


「ごめん。もう俺たち、やっていけないと思う」

六本木にあるカフェでモーニングを楽しんでいた私は、後方の席から聞き捨てならない言葉が聞こえてきて、思わず手を止めた。

それもそのはず。2週間ほど前に、全く同じ言葉を元カレから告げられていたから。

5年という長い月日を経て、結婚を目前にフラれた。「唯が悪いわけではない」なんていう歯切れの悪い言い訳を残して。

フラれた本当の理由はわからないけれど、なんとなく3年目を過ぎたあたりでこうなる予感はしていた。だから心のどこかで「やっぱりか…」と思ってしまったのだが。

それでも今、まさに2週間前の私と同じ思いをしている人が後ろにいると思うと、悲しい気持ちになる。そして聞き耳を立てずにはいられなかった。

「…なんだよ、それ」

「お前とやってく自信が、もうないんだよ」

「待てよ!そんなこと言わないでくれよ…」

― あれっ。後ろのカップルって、もしかして男同士?

後方から聞こえる話し声は、どちらも男性の低い声だ。どうやら彼らは、男同士のカップルのようだった。

「なあ、大地。俺たちは高校時代からの仲だろう?そんな簡単に終わりにしていいのかよ」

「篤志…。俺だって、こんなこと言いたくないさ。でも、もうお前の身勝手さに我慢できないんだ」

どんなカップルか気になり、落とし物を拾うフリをして2人の風貌をチェックした。

別れ話を切り出している大地は、細身のスーツを着たインテリ系男子。一方の篤志は、彼とは真逆のガタイのいい男だった。

「確かに俺は自己中だけど、そんな俺の性格にお前も救われた部分はあっただろう?」

「そうだな。でもさすがに、相談もなしに新築マンションの物件を契約してきたのは呆れたよ」

「早く決めないと他に取られるっていうから…。勝手にすまない」

「そもそも金銭感覚が狂い過ぎてる、このまま一緒にやってくにはキツいんだ」


― 金銭感覚の違いかぁ。確かに別れを考える要因の1つではあるかも。

なんとなく察するに、篤志は散財気質で大地は倹約家なのだろう。

私も元カレの尚と、価値観の違いでよく衝突していた。洗濯物の畳み方が違うとか、お風呂に入る前にベッドへ入られるのが嫌だとか…。本当に些細なことだったけれど。

5年も付き合えば、それなりにお互い歩み寄ることもできた。それでも大雑把な彼に対して神経質すぎる私は、小さな喧嘩を頻発させたのだ。

たとえその日のうちに問題を解消しても、細かい傷は無くなることなくどんどん増えていった。

あのカップルも、同じような問題にぶつかって別れ話にまで発展したのかもしれない。

「とにかくその部屋は解約してくれ。そんな高いところ、俺は家賃出せない」

「パートナーを解消したいって話は…?」




「…申し訳ないけど、パートナーも解消したい」

そのとき、後ろから鼻を啜る音がした。篤志が泣いているようだ。

私は、なんだか自分のことのように胸が苦しくなった。

特に同性カップルは、異性同士に比べると付き合うまでにたくさんのハードルがあるのだろう。そのぶん、別れるときのダメージも大きい。

篤志はきっと先日の私以上に、深い悲しみの中にいるに違いない。許されるなら、その場で泣いている彼を慰めてあげたいほどの衝動に駆られた。

― だけど、ここまでハッキリと言われたらもう諦めるしかないよね。




すると、しばらく続いていた無言を篤志が破った。

「わかった。今までたくさん迷惑をかけてごめん」

「俺のほうこそ、もっと早く話すべきだったよ。ごめんな」

「…だけど、俺はやっぱりお前だけが相棒だと思ってるから。もう一度やり直すために時間をくれ」

「いや、少なくとも今は無理だし。今後も気持ちが変わるかどうか…」

「俺は大地とじゃなきゃ果たせない夢があるんだ!今は無理でも、もう一度オファーをさせてくれ」

篤志は大地のパートナを解消したいという気持ちを受け入れつつも、食い下がる。その姿を見て、私は思わずハッとした。


― そういえば、私は尚に対してこんな風に縋ったことあったっけ。

尚のことは好きだった。好きな食べ物や趣味、会話のノリも似ていて話が尽きない。何より居心地の良さが抜群だったから、嫌な部分があっても最初はあまり気にならなかった。

なのにいつしか好きよりもイライラが募るようになり、何かにつけて小競り合いが勃発するようになったのだ。

それでも世の中の夫婦や、長く付き合っているカップルはそういうものだと思っていた。

だけどいざ尚から別れを告げられたとき、私はたった一言「わかった」と言って終わらせてしまったのだ。

「なんで?」とか「別れたくない」という言葉が出かけたものの…。尚がすでに1人で決めたことなら、何を言っても無駄だと諦めてしまった。




― もし、私が尚を引き止めていたら…。違う未来はあったのかな。

そんなことを考えたところで、もうどうにもならない。

でも、もう少し自分の幸せに貪欲になっても良かったのではないか。大地に対する、篤志の情熱的なアプローチを聞いて、自分の熱量の足りなさを実感した。

と同時に、ここで違和感に気づく。

― あれ?篤志が大地に言った「今は無理でも、もう一度オファーをさせてくれ」って、どういうこと?

するとそのとき、黙っていた大地が口を開いた。

「俺も、お前と一緒にビジネスをするのは高校時代からの夢だったよ」

「…うん。大地の言う通り、計画性を養ってもっと慎重になるから。もう少し先の未来では、今度こそやり遂げさせてくれ」

― あ!パートナーって、ビジネスパートナーのことか。

篤志が勝手に決めてきた物件は、2人で暮らす家のことではなくSOHO物件のことだったようだ。

私はずっと、男同士のカップルの別れ話だと思っていたけれど…。どうやら学生時代からの友人と、ビジネスパートナーの関係を解消したいという話だったらしい。

恥ずかしい勘違いに、顔が真っ赤になる。彼らからは私の顔が見えないとはいえ、思わず両手で頬を覆ってしまった。




「じゃあ物件の解約については俺が責任を持つから、また進展したら報告するよ」

「了解。俺、そろそろ打ち合わせだから行くわ」

そういって大地が席を立つ。1人になった篤志は深いため息をつき、しばらくしてから店を出て行った。

― もう、なんて紛らわしい会話をしているのよ!

しばらく放心した後に、笑いが込み上げてくる。

他人の会話を恋人の別れ話だと勘違いし、自らの過去となぞらえてセンチメンタルになっていた。そんな自分のバカさ加減に笑えてきたのだ。

しかし、そのおかげと言ってはなんだけど…。未消化に終わっていた尚に対する向き合い方を、考えるキッカケにもなった。

「久しぶりに連絡、してみようかなぁ」

篤志の情熱に感化され、そんな気持ちがよぎった。その衝動のまま、ブロックリストに入っていた尚のLINEを開く。

だけど私には彼と描きたい夢も目標もなかったことを思い出し、やっぱり連絡するのをやめた。

その代わり、尚をブロックリストから削除してLINEを閉じる。

彼らのように「いつか、ご縁があれば」を密かに願って。

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▶1話目はこちら:仕事を理由に朝早く出かけた夫が、カフェで女と会っていた。相手はまさかの…

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