夜が明けたばかりの、港区六本木。

ほんの少し前までの喧騒とは打って変わり、静寂が街を包み込むこの時間。

愛犬の散歩をする主婦や、ランニングに勤しむサラリーマン。さらには、昨晩何かがあったのであろう男女が気だるく歩いている。

そしてここは、六本木駅から少し離れた場所にあるカフェ。

AM9時。この店では、港区で生きる人々の“裏側の姿”があらわになる…。

▶前回:男友達から「急に彼女と音信不通になった」と相談が。ある日街で女を見かけたので、問い詰めてみると…




Vol.8:理恵(25)「彼の女友達が、どうにも気に食わない」


「理恵ちゃん。来週の1年記念日は、前に行きたいって言ってた白金のフレンチを食べに行こうか」

「えー、本当に!?すっごい嬉しい!何着ようかな〜」

裕樹と付き合いだして、早くも1年が経った。

WEBデザイナーとして活躍する彼は、私が働く印刷会社の提携パートナーだ。2年ほど前に仕事を通じて知り合い、付き合うことになった。

そんな彼とは、付き合い始めてすぐに同棲を開始している。

「ははっ、相変わらず可愛い反応だなぁ。あ、それとさ。今度、俺の友達を紹介したいんだけどいいかな?」

「えっ!もちろん嬉しいけど…。急にどうしたの?」

「俺も、もういい年齢だしさ。今後のことを考えて、そろそろ家族や友達を紹介したいと思ってるんだ」

― それは、もしかして結婚を視野に入れてるってこと?

裕樹の言葉の意味を理解した瞬間、目頭が急に熱くなってくる。

「本当に嬉しい…!ありがとう」

両手で口元を押さえ、私は声を震わせながら前向きにそう答えた。…しかし、次の瞬間。彼が放った一言で、気持ちが一気に急降下したのだ。

「そう言ってもらえてよかった!前に一度話したことがあると思うんだけど、朝海を紹介したいんだ」

「あぁ…。うん、覚えてるよ。朝海さんね」

― 紹介したいのって、女友達のことか。仲良くなれるといいけど。

「もしかして、あんまり乗り気じゃない感じ?」

さっきの反応と打って変わり、テンションの低い声で返事をしてしまったからか、彼が心配そうに尋ねてくる。

「ううん、全然そんなことないよ!朝海さんとは10年来の親友なんでしょ?どんな人か気になってたから、すごく楽しみだな〜」

慌てて取り繕うように返事をしたけど、半分は嘘で半分は本音だった。


裕樹から「仲のいい女友達がいる」と告げられたのは、付き合い始めて3ヶ月ほど経った頃のことだった。

私も交友関係が広いから、彼に女友達がいること自体はそこまで問題じゃないと思っていたけれど…。朝海さんだけは別だと思う。

なぜなら2人の仲は、10年以上も前から続いているからだ。対する私は恋人同士とはいえ、まだ1年。

いくら2人に恋愛感情がないとはいえ、1年と10年では関係性の深みに埋められない差があるように思えた。

とはいえ、裕樹は誠実な人だ。この10年、朝海さんとの間には本当に何もなかったからこそ、私に堂々と紹介できるのだとも思う。

― それがまた、何だか気に入らない部分だというのも否めないけれど…。

かといってここで嫉妬したら、彼女としてのプライドに傷がつく。

「朝海さん、すごく素敵な人なんだろうな。仲良くなれるといいな」

「うん、きっとすぐ仲良くなれるよ!本当にイイ奴だし、理恵ちゃんとの出会いを喜んでくれてたから」

引きつった笑顔でうなずく私に気づいていない様子の彼は、さっそく朝海さんに連絡を取り始めたのだった。





3人で会う約束をしたのは、ゴールデンウィーク後半の土曜日。朝海さんは昼から夜まで予定が入っていたようで、朝からカフェで会うことになった。

私も朝型だし、別にいいけれど…。なんだか彼女のペースに巻き込まれている感じがして、いい気はしない。

「場所はさ、あのテラスカフェでいいかな?」

「六本木の?モーニングも美味しいし、ちょうどいいかもね」

あっという間に日時と場所が決まり、私は慌てて当日のコーディネートを組み始めた。せっかくなら朝カフェに似合うような、爽やかで上品なコーデが良さそうだ。

私は5分袖のリブニットにミニ丈のスカート、靴は7cmヒールのパンプス。バッグはセリーヌのラゲージを合わせて、品よくまとめることにした。

朝海さんは、私より5つ年上の30歳。だから彼女には着られなさそうな、適度に露出のある服を選んだ。だけどバッグは大人世代にもウケのいいブランドで高級感をさりげなく出して、愛され要素を加える。

これで朝海さんよりも“若くて美しい”というところを、見せつけられるはずだ。




朝海さんにひっそりと対抗心を燃やし続け、迎えた当日。六本木のカフェに着くと、すでにテラス席には彼女が座っていた。

「朝海、お待たせ!こちら、彼女の理恵ちゃん」

「わぁ、お人形さんみたいに可愛い!理恵ちゃん初めまして、朝海です」

写真では見たことがあったが、たしかに朝海さんは美人だった。見た目もほとんど私と年齢が変わらないほど、若く見える。

服装も上品だ。だけどどこかモードっぽい雰囲気もあって、彼女にピッタリと似合っている。

私は彼女の見た目に、正直嫉妬してしまった。どこか一つでも貶すところがあれば良かったのに、何一つ欠点が見つからなかったからだ。


「理恵ちゃん、このフルーツサラダ食べる?すごく美味しいよ!」

そう言って、自分が頼んだものを私のお皿にわけてくれる朝海さん。

気さくで親しみやすくて、いい人だと思いつつも、優しい言葉をかけられるたびに自分の中にモヤモヤが溜まっていく。

そんな思いも知らずに、目の前の2人は楽しそうに会話を続けていた。

「それにしても裕樹さ、こんな可愛い子よく見つけたよね〜」

「そうだな。朝海と出会ってから、俺ずっと彼女いなかったもんな」

― それって、どういうこと?『朝海さんがいるから彼女はいらなかった』ってこと!?

裕樹の何気ない発言にも、なんだかイラだってしまう。

「あ、そうだ理恵ちゃん。4年前にさ、裕樹がね…」

― 今、そんな話必要?私の知らない過去の話して…。もしかしてマウントとってる?

客観的に見ればいたって普通の会話でさえ、私の神経を逆撫でしてきて段々と笑えなくなっていった。




「すみません、ちょっとお化粧直してきます…」

私は、明らかに場の流れを断ち切ったような雰囲気で席を立ってしまった。すると違和感に気づいたらしい裕樹から『大丈夫?』とLINEが届く。

大丈夫なわけがないけれど、どうにか心を落ち着けるしかなかった。

10分ほど経って席に戻ると、すでに2人は会計を済ませている様子だった。

「あ、理恵ちゃん!ごめん私、予定がちょっと早まっちゃったの。短い時間で申し訳ないんだけど、早めにお開きにしてもいいかな」

「そうなんですね…。じゃあ、また今度」

「うん、ありがとう!そしたら私、先に行くね」

そういって元気に手を振りながら、朝海さんは颯爽と帰っていった。残された私と裕樹の間には、しばらく沈黙が続く。

「もしかして朝海と会うの、嫌だった?」

「…今日会うまではそうでもなかった」

「今は?」




なんて言えばいいのかわからず、私はひたすらに押し黙った。

朝海さんのことが気に入らないけれど、端から見れば何も嫌なことはされていないし、言われていない。

ただ2人の間には、私には感じられない絆や歴史があった。「それを目の当たりにして悔しかった」なんて裕樹に言いたくなかったのだ。

それを言えば、きっと彼は私を慰めてくれるだろう。でもそんなことをされても、嬉しくもなんともない。

「…ごめんな」

すると裕樹が、ポツリと謝罪の言葉を口にしたのだ。

「え、なんで謝るの?」

「朝海は俺にとって仲のいい友達だけど、理恵ちゃんにとって仲のいい友達になれるかどうかは別だよな」

「うん…。そうだね、ごめん」

「ううん、俺は理恵ちゃんだけが大事だよ」

私は、彼と大事な女友達との関係を認められない自分の浅はかさを恥じた。でも、無理をして理解あるフリをすることもできなかったのだ。

ただ「朝海さんとは仲良くできそうにない」ということを認めると、心なしか気持ちが少しだけラクになった。

そして、そんな私を理解して愛そうとしてくれる裕樹の気持ちが嬉しかった。

「このコーヒー飲んだら帰ろうか」

「…うん。帰りにスーパー寄っていい?」

「いいよ、行こう」

いろんな気持ちが入り交じったまま、コーヒーを一口飲む。なんだか、いつもより少し苦い気がした。

▶前回:男友達から「急に彼女と音信不通になった」と相談が。ある日街で女を見かけたので、問い詰めてみると…

▶1話目はこちら:仕事を理由に朝早く出かけた夫が、カフェで女と会っていた。相手はまさかの…

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カフェのテラス席で、他人の別れ話を盗み聞きしていたら…?