― 【ご報告】―

SNSやメールでたびたび見るこの言葉に、心がざわついた経験はないだろうか?

人生において、新たなステージに入った【ご報告】をする人。

受ける側は【ご報告】されることによって、相手との関係性を見直したり、自らの人生や現在地を振り返ることになるだろう。

この文字を目にした人は、誰もが違う明日を迎える。

これは【ご報告】からはじまるストーリー。

▶前回:ヒモ同然だった元カレが、司法試験に合格。生まれ変わった彼から差し出された、封筒の中身は…




Vol.10 <ご報告:離婚しました>


その報告を見たのは、2月の寒い日の夜だった。

独立してオープンしたばかりのエステサロン事業も軌道に乗り始めた、その時のこと──。

高窪凛、32歳。独身。ひとり暮らし。恋人はずっといない。

正確に言えば1年前まで、“恋人のような”人はいた。

自分は恋人と思っていたけど、相手にとっては愛人だった…というわけだ。

【ご報告:この度、妻と離婚しました 杉山勝己】

引き寄せられるようにアクセスし、見てしまった彼のFacebook投稿。

事実だけを淡々と紡いだ短い文章を、私はじっくりとかみしめる。



彼とは、当時同じオフィスビルに勤めている顔見知りとして出会った。

私が勤務していたエステサロンが入るビル。その1階にあるメガバンクの支店。そこが、彼の勤め先だったのだ。

年齢は、私の8個上。

でも、趣味の筋トレで鍛え抜かれた体躯と、涼しげな目元。趣味のアメフトについて無邪気に語る少年のような若々しい姿に、しばらく同じ年代だと思い込んでいた。

顔見知り程度の私たちだったが、職場近くのBARで偶然再会し、すぐ意気投合。お互い気になる存在だったことが判明してからは、身体を重ねるまでに時間はかからなかった。

ただ、燃え上がる熱情がすぎて、重要なことを確認せぬまま、交際を申し込んだ自分が悪かった。

「大阪に、妻と子供がいるんだ」

そう告白されたのは、交際して3年経った昨年の今頃。

単なるひとり暮らしだと思いこんでいたが、ずっと単身赴任だったという。

子供が小学校に上がるのをきっかけに、家族が東京にやってくる、と言われた。


「ごめん。もう会えないね」

そう告げた時、彼はとても悲しそうな顔になった。

その後、「どうする?」と聞かれたが、答えはひとつに決まっている。

「別れるしかないよ」

年齢的にも、結婚を考えていた。いつ匂わせようか、あるいは記念日のたびに「何かあるかも」と、そわそわしていた自分に幻滅した。

それ以上に私は、知らぬ間に罪を背負っていたことが辛かった。彼の家族に申し訳なくて…。

「妻とは離婚するつもりだよ。ずっとすれ違い続きで、そもそも、4年前に会社に転勤を申し出たのもそれが原因で──」

言い訳するように追いすがってきたけれど、3年嘘をついていた男の言葉を信じることが、私にはできなかった。




― わざわざ、Facebookで報告なんて…。

ここ1、2年ほど、別のSNSを見ることが多くなったせいか、Facebookからは遠ざかっていた。

LINE、電話番号、メール。彼との連絡手段は全て切ってあったつもりだったが、これだけは、フォロー解除することを忘れていた。

最近は、お互い更新することもない。すっかり放置していたが、まさか彼がFacebookを舞台にこんなことを報告するとは思ってもみなかった。

― もしかして…。

「私の目に届くように?」と思ってしまう自分がいる。ここが、唯一繋がっていた場所だったから。

あれから私は会社を辞めて引っ越し、彼とは絶対に顔を合わせないような場所に、独立して店を出した。

必死だったけど、その忙しさは彼を忘れるのにちょうどよかった。

それなのに…。

心が、ざわめく。

画面の中のFacebookのメッセンジャーには、一件の新着メッセージがあった。

― きっと彼じゃない。

そう思いながら恐る恐る開く。

しかし、案の定だった。

結果、既読とオンラインの表示を付けてしまう。

『約束通り、離婚したから。もう一度、顔をみたい』

約束なんてした覚えはなかったけれど、彼の中ではそういう認識だったみたいだ。

こちらは新しい一歩を踏み出した矢先で、戻る気などさらさらない。

だからこそ、けじめをつけなくちゃ。そう、咄嗟に感じる。

『明後日の午後7時。恵比寿に来てくれるなら、あの店を予約しておく』

体温が上昇する。半ばやけ気味で、そう返信する。

15分ほどして、『了解』と返ってきた。

彼はいつも、私の都合に合わせてくれた。今回もそう。急で一方的な誘いにも、すぐ応じてくれた。

そういうワガママをいつだって満たしてくれるところが、大好きだったのだ。



「久しぶり」

時間ちょうどに来た私。少し早く来ている彼。

あの時と同じ、恵比寿駅前の待ち合わせ。エスカレーター下だった。

私たちはまるで当時に戻ったかのように、隠れ家みたいなその店に二人並んで入っていく。さすがに、手は繋がなかったけれど。




駅から歩いてほど近い場所にある、隠れ家的な和食店『福笑 本店』。

自然の食材にこだわった体にも嬉しい料理の数々は、健康や美容に気をつかう私たちの、交際し始めたころからのお気に入りの店だった。

「今日はどうして誘ってくれたの?」

並びのカウンター席に座るなり私がそう尋ねると、隣に座る彼はひじをつきながら、私の顔を覗き込んだ。

「誘ったのは君の方でしょ。俺はただ、顔を見たいと言っただけ」

「それはつまり、誘ってるってことじゃない」

ワインの力を借りれば、1年の隙間を埋めるのは容易かった。

その力を借りざるを得ない状況だった…と言った方が、正しいかもしれない。


「この店に来るのも、いつ振りかな」

思わずつぶやくと、彼は静かに答えた。

「別れる少し前に来たきりだから、1年ぶりくらいだな。俺は」

「じゃあ、私もそうね」

「凛は、新しい恋人と来てるのかと思ってた」

わざとらしく向けられた、彼からの誘い水。

気づいてはいたけど、素直に答えてしまう。

「恋人はいないよ」

彼は安堵したような表情のあと、私をじっと見つめて言う。

「よかった…」




でもその後は、しばらく沈黙が続いた。

ただ時おり視線を絡ませるだけで、ひたすら静かに互いのグラスを進める。

― また、あの頃の関係に戻るのかな。

それは、期待なのか不安なのか、わからない。

― 今日ここへ来たのは、彼の【ご報告】でモヤモヤしたままでいるよりは、決着を付けたいと思っただけ…。

心の中で、ひらすらそんな言い訳のような呪文を繰り返す。そして私はついに、重い沈黙を破った。

「ねえ、どうして離婚したの」

「妻がそう言ったからね。愛想をつかされたんだ」

「そう…」

その言葉に、安堵した自分がいる。

私とよりを戻すためではない。

そう思ったから。

だけど同時に、彼の言った言葉には違和感もあった。奥さんが言わなければ離婚しなかったのか、という疑問がくすぶる。

「凛…」

彼は私の手に、自分の手を重ねた。それが何を意味するのか。

体温と、脈の速さを悟られることが怖かった。だけど、振り払うことができない。

「〆でも食べる?」

「いい…」

「じゃあ、これからどうする?」

彼の目が、私を捉えた。

いっそ、強引に誘ってくれたらどんなにラクだろうか。答えを見つけられない中で、ふと気づく。

― あなたは、決めてくれないの?

彼はいつだって、私に合わせてくれていた。それは、愛情表現だと思っていた。

思えば、はじまりも私から。終わりだってそうだった。

― 優柔不断?それとも、責任を取りたくないだけ?

長すぎる私の煩悶の背を押すように、彼はふたたびつぶやく。

「君がいいって言うなら、どこにでも行くよ」

知らぬ間に、彼の身体が近づいてきていた。

「…」

だけど、なぜなのか。私の触覚が、彼に全く反応していないことに気づく。

触れている部分が鋼鉄で覆われたように、何も感じない。

それは紛れもなく、私の心の中に生まれた拒否感によるものだった。

「…じゃあ、お開きにしようか」

目の前には、狐につままれたような男の表情がある。

「え…、どうして?」

「明日、朝早いの。今日は久々に会えてよかったよ。

私のせいで離婚したんじゃないって知ることができたからね。

確認するためにここにきたんだ」

席を立つ私に、迷いはなかった。

「でも…」

「どうしたの?なら、先に店を出るよ。払っておくから」

「そんなことできないよ」

「私、独立したおかげで少し余裕ができたの。奢らせて」




背を向けながらも、ゆっくりと店を後にする。

当然、彼は追いかけてこなかった。

でも、構わない。

そういう人だって分かったことは、私にとっては大きな収穫だ。

まだ残っていた細い糸が、完全に切れる。

― よかった。これで。

まだ寒い季節だけど、不思議と身体がホカホカしている。

スキップして歩く、帰路の目黒川沿い。

真夜中なのに、心の中は晴れやかな気分だった。

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