夜が明けたばかりの、港区六本木。

ほんの少し前までの喧騒とは打って変わり、静寂が街を包み込むこの時間。

愛犬の散歩をする主婦や、ランニングに勤しむサラリーマン。さらには、昨晩何かがあったのであろう男女が気だるく歩いている。

そしてここは、六本木駅から少し離れた場所にあるカフェ。

AM9時。この店では、港区で生きる人々の“裏側の姿”があらわになる…。

▶前回:ずっと彼氏ナシだった友人が、年収2,000万の男と交際0日婚。怪しさを感じて心配すると、驚きの答えが…




Vol.7:理玖(26)「プロポーズする前に、関係が切れて良かった」


「杏里と連絡が取れないんだ」

虎ノ門横丁のガヤガヤとした雑音に紛れて、消え入りそうな声で雅人がそう言った。俺と彗は返す言葉が見つからないまま、数秒ほど互いを見つめ合う。

「いつから?」

沈黙を破ったのは彗だった。

「…1ヶ月前から」

「調子が悪いとか、仕事が忙しいとかじゃないか?」

社会人なら1ヶ月くらい連絡がつかないこともあるだろうと、今度は俺が気休め程度にフォローを入れる。

「それがLINEも既読がつかないし、電話にも出ない。SNSも全部消えてるんだよ」

「まじか。それは確かに心配だな」

「はぁ…。俺、なんかやっちゃったのかなぁ?」

新卒で外資コンサルに入って4年。だから同期である雅人と知り合ってからも4年ほど経つが、こんなに情けない姿を見たのは今日が初めてだった。

― でも、なんでまた急に音信不通になったんだろう。

彼女がふいに姿を消した理由はわからない。けれど、不思議だった。

雅人の彼女には一度だけ会ったことがあるが、誠実で優しそうな印象だったから。急に連絡を絶つような子には見えなかった。

「連絡が途絶えたことに心当たりはないのか?」

「考えてみたよ。でも、わからない。1ヶ月前まで本当に変わった様子もなかったんだよ…」

雅人は今にも泣きだしそうな顔で、ハイボールをグイッと飲み干した。


俺は、雅人になんて言葉をかけたらいいのかわからず唸る。

横にいる彗も深く考え込むように腕を組んでいるが、お調子者の彼のことだ。実際には何も考えていないか、この状況がダルいとでも思っているのだろう。

「マジで結婚するなら杏里と、って思ってたのによぉ…」

最初からハイペースで飲んでいた雅人が、いよいよ泣き始めた。

「おいおい、こんなとこで泣くなよ」

「あ、そうだ!雅人の家ここから近いじゃん。今日付き合ってやるから宅飲みしようぜ、な?」

そう言って彗は、子どもみたいに泣く雅人を無理やり引っ張って店を後にしたのだった。




麻布十番の新築マンションに住む雅人の家を訪れたのは、およそ半年ぶりだった。

「うわぁ、家でもやけ酒してんなこいつ。理玖はハイボールとレモンサワー、どっち飲む?」

俺と同じく半年ぶりのくせに、家主以上にデカい態度で冷蔵庫の中身を物色する彗。こいつのこういう図々しさには、いい意味で救われる。

一方の雅人は、ワンルームの中心に置いてあるビーズクッションに抱きついたまま弱音を吐き続けている。

「杏里はいつも笑顔で楽しそうでさ、こういう子となら結婚できるって思ってたんだ。だから仕事頑張ってさ、ようやく落ち着いたから年内までにプロポーズする気でいたんだよ…」

クッションを抱き抱えて寝転がり、ボーッと一点を見つめる雅人がこう尋ねてきた。

「やっぱ、これって自然消滅ってことかな?…俺と杏里ってもう終わったのか?」

恋人と連絡が取れなくなって1ヶ月となると、人によっては別れを受け入れる時期かもしれない。

だけど音信不通のツラいところは、はっきりと拒絶されたわけじゃないところだ。ほんの少しでも可能性があるのなら、連絡を待ちたいと思うのは当然のことだろう。

「そんなの、俺らにはわかんねえな」

「…だよな。病気やケガじゃないってだけでも知れたらいいのになぁ」




結局、俺たちは夜通し雅人の話を聞き続けた。彼が泣き疲れてようやく眠りについたのは、朝の8時過ぎ。

始発もとっくに出ている時間だったので、眠りこけた雅人と彗を置いて自宅に帰ることにした。

― あぁ、眠い。でも今日の午前中までに、打ち合わせの資料を作らないといけないんだよなぁ。

このまま帰ったら、確実に寝てしまいそうだ。なので眠気覚ましに、麻布十番から六本木ヒルズに向かって歩くことにした。

「…そうだ。ついでにカフェ寄って、コーヒー飲もうかな」

いつも行くというほどではないが、たまに近くを通りがかったときに入るカフェがある。その店はクロワッサンが有名なのだが、コーヒーも普通に美味しいのだ。

店内に入り、焼きたてパンの香りに包まれながらドリンクを注文する。

そうしてコーヒーをいれてもらう間、辺りを見回していたそのとき。窓際の席に座っている人物に、視線が吸い寄せられた。


そこにいたのはなんと、雅人の彼女である杏里だったのだ。…こんな偶然があるだろうか。

「あの…。杏里さん、ですよね?俺、雅人の同期の理玖です」

本来、こういう恋愛トラブルには首を突っ込まない性格だ。だけど、ついさっきまでかわいそうなほどに打ちひしがれていた雅人を見ていたからか、戸惑うことなく彼女に声をかけていた。

「あ、えっと…」

彼女は一瞬驚いた顔でこちらを見つめたあと、すぐに視線を落としてうなずいた。

「雅人、杏里さんと連絡が取れないって心配してたんですよ。でも、病気や怪我じゃなさそうで安心しました」

「…はい」

「じゃあ、なんで連絡しないんですか?」

「なんで?なんでって言われても…。終わりにしたかったんですよ」

すると彼女は少しも悪気なさそうに、キョトンとした顔でそう答えたのだ。




「就職してから連絡も減ったし、久々のデートも仕事とか言って携帯いじってばっかで上の空。愛されてる実感がなくなっても仕方ないですよね?

彼がそんなだから、ヤケになってマッチングアプリを始めて。そしたら、結構いい人に出会って…」

「今、付き合ってんすか?その人と」

「ダメですか?私が悪いって言いたいんですか?」

― 当たり前だろ。ケジメもつけずに乗り換えるとか、最低だな。

喉まで出かかった言葉を必死に抑えようとする。…が、無理だった。

「いや、逆に良かったっす」

「え?」

「雅人はマジでいい男なんで。あんたみたいな女にプロポーズする前に関係が切れて、良かったっすよ」

眉間にシワを寄せてこちらを睨む彼女のことなど、おかまいなしに俺は続けた。

「どうぞお幸せに。自分の都合で雅人を切ったんだから、今後二度とあいつに連絡しないでくださいね」

雅人に許可も取らず、勝手なことをしていると自分でも思った。

だけど自己中心的な行動に罪悪感を持つどころか、被害者意識が強い彼女の言葉を聞けば、誰だって嫌味の1つくらい言いたくなるはずだ。

そうこうしているうちにコーヒーが出来上がったので、呆然としている彼女を置いて店を出た。

すると、タイミングを見計らったかのように雅人から電話がかかってきたのだ。




「おぅ、理玖もう帰ってたんだな。昨日はありがとな」

「いいよ、全然。…まぁ、さ。今度、食事会でもセッティングしてやるよ」

つい先ほどまで杏里と話していたせいか、変に緊張してしまう。

「ははっ、まだそんな気分にはなれないけどな。でもありがとう」

「今日休みだろ?ゆっくりしろよ、またな」

結局、雅人には杏里と偶然出くわしたことを話さなかった。果たしてこの判断が、彼にとっていいことなのかはわからなかったけれど…。

せめてもの償いで、俺は雅人に合いそうな女の子を探し始めたのだった。

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