夜が明けたばかりの、港区六本木。

ほんの少し前までの喧騒とは打って変わり、静寂が街を包み込むこの時間。

愛犬の散歩をする主婦や、ランニングに勤しむサラリーマン。さらには、昨晩何かがあったのであろう男女が気だるく歩いている。

そしてここは、六本木駅から少し離れた場所にあるカフェ。

AM9時。この店では、港区で生きる人々の“裏側の姿”があらわになる…。

▶前回:NY駐在から帰ってきた、年収2,000万の商社マン。優良物件に見えるけど、ヤメておいた方がいいワケは…




Vol.6:紗奈(35)「地味なあの子が、いきなり結婚するなんて…」


「最近、どうなの?」

東京ミッドタウン近くにある、天井の高いオシャレなカフェ。いつもだったら聞き役に徹しているはずの菜摘が、席に着くなりそう言った。

「え、何もないよ〜。っていうか、こないだ話した彼なんだけど。4日前から既読スルーされててさぁ」

恵梨香が、コーヒーのストローをいじりながら愚痴りだす。

映画の宣伝プロデューサーの恵梨香、ネイリストの菜摘、そしてアパレルブランドのプレスで働く私は、1年前に友人が主催したパーティーで知り合った。

出会ってすぐに意気投合した私たち3人は、それ以降、月イチで朝活女子会を開いてきたのだ。

場所は六本木にある、モーニングが美味しいカフェ。お決まりの席は、テラスにあるソファ。

恵梨香は甘々なフレンチトースト、私はこのカフェ名物のクロワッサンサンドを。そして菜摘はオーガニックサラダボウルを頼む。これが私たちのお決まりのコースだった。

「外資コンサルの人だっけ?まぁ、モテそうだもんね」

「顔は普通だけど、30歳で年収1,000万だよ?なかなか優良物件だから逃したくないんだけどなぁ。紗奈は?」

恵梨香はあまり詮索されたくないのか、こちらに話題を振ってきた。

「付き合ってはないけど、8歳下のインテリアデザイナーといい感じだよ〜」

「ふーん…」

「そんなキレイな言い方したって、どうせ体の関係だけでしょ」とでも言いたげな恵梨香の気だるい返事を無視して、私は菜摘に問い返した。

「そういう菜摘はどうなの?」

口に含んだサラダをゆっくり噛み締めていた菜摘は、口元を手で覆いながら黙り込む。しばらくして口を開いた彼女は、まさかの言葉を放ったのだ。


「実は、結婚することになったの」

菜摘が放ったこの言葉をキッカケに、これまで仲良くやってきていた月イチ3人女子会の空気が変わった。

「えっ。…そ、そうなんだ!急すぎてびっくりしちゃった、おめでとう!」

「うふふっ、ありがと〜♪」

とってつけたかのようなお祝いの言葉さえ、余裕ある笑顔で受け止める菜摘。その姿を見てイライラが増す。

私の横に座っていた恵梨香はというと、優しい微笑みをキープしながら私より小さい声で「おめでとー」とつぶやいた。

― おめでとうなんて、思ってないくせに。

だって私たちは、菜摘なんかに先を越されたのだから。




正直言うと、菜摘が私たちより先に結婚するとは思わなかった。

こう言ってはなんだけど、彼女は顔立ちも地味で控えめだし、3人の中では一番モテない。そして何より、菜摘には先月まで彼氏などいなかったはずなのだ。

「…いつの間に彼氏できてたの?1ヶ月前はいなかったよね」

「あ、そうなんだけど…。実は半年前から『結婚を前提に付き合ってほしい』ってアプローチは受けてて」

「どんな人?」

すると、半分放心状態だった恵梨香が急に食いついてきた。

「んー、別に普通の人だよ?年齢は、私の2つ下」

「じゃあ彼は33歳か。でも半年間アプローチされてたって、相当好かれてるんだね」

地味な顔立ちの菜摘に、半年間もアプローチする男。こう言っては悪いけど、なんだか冴えない男っぽいなと邪推してしまう。

「でも、ちょっと色々心配だな。そもそも付き合ってないのに結婚って…」

どうやら恵梨香も、微妙な相手だと思っているようだ。

「交際0日婚ってやつ。確かに珍しいけど、聞かない話じゃないでしょ?」

恵梨香のネガティブな発言に余裕のある返しをする菜摘なんて、今まで見たことがなかった。いつもにこやかに頷いているだけだったから。

「聞いたことはあるけど、それは芸能人とかさ〜。すごい美人な子で、男側が『絶対に手放したくない!』みたいなときだけでしょ?…あ、でも菜摘だって可愛いと思うけどさ」

とってつけたような恵梨香のフォローのせいで、空気はより一層気まずくなる。




― うわっ。恵梨香が『ほかの話題を振れ』って顔して、こっち見てるよ…。

「実は私も、TikTokでバズってるモデル兼インフルエンサーの子と、最近知り合って。結構しつこくアプローチとかされてたんだよね〜。

でも、いくら有名でも地に足ついた職業の人がいいじゃん?それになんか遊んでそうだし、今は友達って感じで泳がせてるかなぁ」

焦った私は、最近知り合ったインフルエンサーに言い寄られている話をした。

あくまでも自慢とかではなく「菜摘も変な男に騙されないようにね」という忠告の意味を込めて、言っておきたかったのだ。

「そうだね、身元がはっきりしている人かどうかは大事だと思う。その点、彼は弁護士として独立して事務所も持ってるし心配ないかな」

「えっ、ホントに!?」

「年収は2,000万いかないくらい。そうだ、写真見る?」

スマホの画面を覗き込むと、そこには塩顔系のなかなかなイケメンが映っていた。歯並びもキレイで、笑顔が爽やかだ。

感情がすぐ顔に出るタイプの恵梨香は、面白くなさそうに写真を眺めている。

一方の私はうらやましいという気持ちよりも、菜摘があまりにも秘密主義すぎることに内心怒っていた。半年も前からアプローチされてたなんて、今まで一度も聞いたことがなかったから。

あれだけ私たちが「いい人いないの?」なんて聞いても「別に…」で終わらせていたのはなんだったのか。

人の恋愛話を根掘り葉掘り聞いてくるくせに、自分はこんなネタを隠し持っていたなんて。

「え〜、何それ。なんかズルくない?そんないい人が半年前からいたなら、言ってくれれば良かったのに」

私と同じようなことを思っていたのか、そう不満を漏らす恵梨香。

それを聞いた菜摘はしばらく黙り込んだ後、ずっとおしとやかだった彼女らしくないことを言い出したのだ。


「…ところで恵梨香。狙ってる男に4日前から既読スルーされてるって言ってたけど、それ当たり前だよ」

「えっ、何よ急に!」

「だって彼に『こないだのディナー、相場1万円前後のところでしょぼかったから、今度はもっといいところ行きたい』って言ったんでしょ?」

「うん。それの何がダメなの?」

「当然のように奢ってもらって、感謝もしないその感覚がダメ」




本当に、今までの菜摘とは大違いだった。「ハイスペックなイケメンと婚約した」という事実に裏打ちされた、彼女の自信に満ち溢れた言動。

その姿に、恵梨香と私はもう何も言えない。

「紗奈もだよ。美人だから年下イケメンにモテるのはわかるけど、結局は都合のいい女止まりになってない?」

ストレートな言い方がムカつくけれど、指摘されたことは無視できなかった。

そして、やっぱり私はセカンド扱いされているんだと気づき、途端に恥ずかしくなってくる。うつむいて黙り込んでいると、菜摘が続けてこう言った。

「私が彼からのアプローチを半年も拒んできたのは、ずっと自信がなかったからなの。恵梨香や紗奈みたいに美人じゃないし、モテない。彼の周りにはもっとキレイな人がいるのに、なんで私?って思った。

でも彼は『裏表ない性格が好きだ』って言ってくれたの。半年かけて信頼関係を築いてくれた彼を好きになれたから、結婚しようって私からプロポーズしたんだ」




今まで私たちの話をニコニコ聞いているだけだった菜摘。そんな彼女の本心を、今ようやく聞くことができた。

― 菜摘のこと、どこかで見下してたけど…。私よりよっぽど大人だな。

私の方が女として優れていると思い込んでいるくせに、いつも受け身で自分から幸せを掴もうとはしなかった。だから恵梨香は男に逃げられるし、私は都合のいい女扱いをされるのだろう。

「…そっか、プロポーズって女からするのもアリなんだね」

好きな人とイイ関係になっても「付き合いたい」が言えなかった私は、菜摘の勇気ある行動に感動した。

一方の恵梨香は「別に、奢られて当然って思ってるわけじゃないけどさぁ…」とふてくされている。そんな彼女をフフッと笑いながら見つめていた菜摘は、思い出したようにスマホの画面をチラ見した。

「ごめん、これから彼と会う用事があって。じゃあ、また来月に!」

そう言って、彼女は冷めたカフェオレを残して帰っていく。

その姿を見て、私と恵梨香は「婚活がんばろう…」と慰め合ったのだった。

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