東京に行って、誰もがうらやむ幸せを手に入れる。

双子の姉・倉本桜は、そんな小さな野望を抱いて大学進学とともに東京に出てきたが、うまくいかない東京生活に疲れ切ってしまい…。

対して双子の妹・倉本葵は、生まれてからずっと静岡県浜松市暮らし。でもなんだか最近、地方の生活がとても窮屈に感じてしまうのだ。

そんなふたりは、お互いに人生をリセットするために「交換生活」を始めることに。

暮らしを変えるとどんな景色が見えるのだろう?

29歳の桜と葵が、選ぶ人生の道とは――。

◆これまでのあらすじ

ロエベのバッグをもらった岸部と縁を切った葵。残りわずかな東京生活を満喫するために、同性の友達を作ろう!と奮起するが…。

▶前回:「こっち見ないで…!」お家デートの翌朝、女がベッドの上で大後悔した理由とは




Episode10:倉本葵@東京。料理教室で起こったハプニング


― ん??ここは、どこだろう?

カーテンから漏れる光がまぶしくて、私は横になったまま目をこすり、部屋中を見渡した。

グレーで統一されたベッドリネン。私のスマホは、枕元にある充電器につながっている。

「うぅ、頭いたい…」

ベッドから起き上がると頭がズキズキと痛む。

この感じからわかることは、ただひとつ。昨晩、かなりお酒を飲んだということだ。

「あ、やっと起きた。おはよう!葵ちゃん」

寝室に顔を出した男の人は、朝からエプロンをしている。

「おはよう…ございます」

― え?男の人…の家?

私は、とりあえず敬語を使う選択をしてから、昨日のことを順に思い出すことにした。

「葵ちゃんって、朝ごはん食べる派?体温上がるから、少しでいいから食べてね」
「でも…私、帰らないと」

― 私…服、着てない……。

慌てて後ろを向いて服を着ようとすると、その格好のまま抱きしめられた。

「だめ。スープ作ったから、飲んでいって」

その距離の近さから、この人と敬語で話す間柄ではないことがわかってしまった。


昨日は土曜日だった。

私は、人生で初めて料理教室に行ったのだ。

ネット検索して選んだのは、渋谷の貸しスタジオで行われていた「平野涼平のおもてなしキッチン」。

男の先生がやっている教室のほうが同年代の女性が集まりそうだ、という短絡的な考えから、そこに決めた。




東京での生活も残り1ヶ月――。

マッチングアプリで出会った男性たちからは、食事をたくさんごちそうになった。

東京を知らない甘さから、ちゃんと痛い目にも遭った。

だから、もう東京での異性との交流はこりごりなのだ。

東京でやり残したことがあるとすれば、女友達とおしゃれなカフェに行ったり、銀座や表参道でショッピングをしたりすること。

だから、料理教室に通うことが友達を作るキッカケになれば…。

そんな希望を胸に抱いて、平野涼平先生のスタジオのドアを叩いたのだ。

しかし、どうやら私は教室選びを間違ったらしい。

「ここでディルを刻んで入れると、グッと香りが華やいでお店のような味になりますよ」

そう言いながら、デモンストレーションをする平野涼平先生を、みんなウットリとした目で見つめている。

生徒たちの服装やエプロンも、かなり気合が入っているように見えるのは、気のせいだろうか。

― 料理を習いに来ているんじゃないの…?

先生は確かにかっこいい部類に入ると思うが、私は特に意識して顔を見ることはしなかった。

今日のテーマは「簡単で映える!おもてなし料理」。

ディル風味のポテトサラダ、鮭のムニエル ヨーグルトソース添え…。

涼平先生が調理を終えると、オシャレで女子が喜びそうな品々が、テーブルに並ぶ。




「さぁ!では、試食しましょうか」
「は〜〜い」

みんなでひとしきりスマホ撮影をしたあとは、涼平先生を中心にテーブルを囲んだ。

それぞれ自己紹介をして、白ワインを飲み、談笑しながら食べ始める。

― よし!

私の勝負はここからだ。

「あのぉ、涼平先生は昨日は何をしていたんですか〜?」

涼平先生と話したい女性たちの中で、私だけが積極的に隣の生徒さんに話しかけていた。

「あの…ここ、よく来られるんですか?」
「えぇ。まぁ」

しかし彼女は、私の目を見ないまま面倒くさそうに答えた。

両隣の人にそれをやられたので、私は心が折れ、グラスのワインを一気に飲んだ。

もう、このまま諦めようと思った。

― でも…あとひとりだけ…。

私は帰り際に最後の勇気を振り絞り、女性ふたり組の片方に声をかけた。


「よかったらこの後、お酒でも飲みに行きませんか?」

このふたり組は、試食中に「グラス1杯の白ワインでは飲み足りない」とこぼしていた。

だから、飲みに誘えば、OKをもらえる確率が上がる気がしたのだ。

「えっ…あ〜。このあとちょっと用事があって…ね?」
「う、うん。誘ってくれたのに、ごめんなさい」

― ですよね…。

急に初対面の私に誘われても、困惑するだろう。

ふたりは特に綺麗で目立っていたし、服装もおしゃれで洗練されていたから仲良くなりたかったのだが、ダメだった。




「いえ!ぜんぜん。むしろ、急にすみませんでした」

私は、今すぐその場を去りたくて、急いで帰り支度をした。

すると、その様子をキッチンから見ていた涼平先生から、声をかけられた。

「葵さん、よかったら僕と軽く飲みに行きますか?」
「え!?」
「え!」
「えっ!??」

そう言ったのは私ではなく、私の誘いを断った女性たちだった。

それに、他の生徒も思わず反応していた。

「僕この後フリーなので、よろしければぜひ」
「じゃあ…お願いします」

私は、周りの目を気にしながらそう答えた。

背中には他の生徒からの視線が痛いくらいに刺さっているのがわかったが、むしろ少し、気分がよかった。



涼平先生が連れてきてくれたのは、知り合いがオーナーだという、北参道のカジュアルフレンチのお店。

「どうして、私を誘ってくれたんですか?」

泡で乾杯したあとに、私は尋ねた。




「皆さん、よく来てくれるんですけど、全然料理が上達しないんですよねぇ。毎回包丁の持ち方から教えているんです」

涼平先生は、ため息まじりに言う。

「自分で言うのもあれなんだけど、完全に僕目当てで来てるなぁって…。でも、葵さんは違う気がしたので」
「……」
「僕の顔なんて全然見てなかったし、『どうしてこのハーブを使うのか?』とか、『火加減はどのくらい?』とか、ちゃんと質問もしてくれたしね」

それが嬉しかったのだと、涼平先生は言った。

「ごめんなさい。でも、私にも料理の他に目的があって…」
「他の目的?」

涼平先生が、あまりにもキラキラとした目で私を褒め続けるので、つい本当のことを言ってしまう。

「女友達が欲しかったんです」
「友達?でも、どうして?」

私は、双子の姉と生活を交換していることを話した。

でも今回は、離婚のことまでは話さなかった。その“秘密がある感じ”が逆によかったのだろうか。

「葵さんのこと、もっと知りたいかも」

涼平先生は、言葉や態度でわかりやすく好意を示してくれた。

私たちは青山のワインバーに移動し、そこでワインをたくさん飲んだ。

そして――気がついたら、彼の部屋のベッドにいたのだ。




キッチンから漂う、温かくおいしそうな匂い。

「はい。ビーツのスープ。ピンク色で可愛いでしょう?」

バスルームを借りてからリビングに戻ると、涼平先生が目の前にスープカップを差し出した。

― これって、付き合う流れになるのかな…。

そんなことを思いながら、スープをスプーンですくう。

「こういうこと、よくするんですか?」

“こういうこと”とは、女の子を部屋に泊めて、朝ごはんを振る舞うということだ。

「ううん」

涼平先生は表情を変えずに答えた。

それが、嘘なのか本当なのかはわからない。でも、信じたかった。

私も、昨日よりも彼のことが気になっているのは間違いなかったからだ。

「葵ちゃんはよくあるの?」
「引くかもしれないけど、本当に初めてです。色々事情があって…」

私は、しどろもどろに答えた。

初めての彼氏と結婚して離婚したので、他の男性との恋愛経験はないと言ってもいいくらいだ。

「事情ってなに?引かないし。葵ちゃんって、本当におもしろいね。その辺にいる女の子と違うっていうか…」

― それって、やっぱり東京のあか抜けている子とは違うってことだよね。

私は肩を落とした。

中目黒で暮らしても、マッチングアプリで東京のハイスペックな男性と食事をしても、ロエベでバッグを買ってもらっても、結局、私は私のままだ。

たしかに、東京の刺激が、離婚の傷を癒やしてはくれた。

だけど、私が成長できたわけではないのだろう。

涼平先生の顔を見られず下を向いていると、彼は両手で私の頬を包んだ。

「ん…?」

私が顔を上げると、涼平は優しい顔でこう言った。

「葵ちゃんのこと、好きになっちゃった」

その瞬間、自分でもわからないが、涙がぽろぽろとこぼれた。

自由に生きる双子の姉を心のどこかでうらやましいと思いながらも、私は自分の気持ちに蓋をして生きてきた。

自分には生まれ育った浜松の暮らしが合っているのだと、言い聞かせてきた気がする。

でも、今決めた。これからは自分が望む人生をちゃんと楽しむこと。

私は、返事をする代わりに涼平先生の胸に顔をうずめた。

頭が痛いのも忘れ、その胸から聞こえる鼓動をいつまでも聞いていたくて、目を閉じた。

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