付き合って半年、会う回数が激減。仕事が忙しい男に不安を覚えた女は思わず…
外食が思うようにできなかった、2021年。
外で自由に食事ができる素晴らしさを、改めてかみ締める機会が多かったのではないだろうか。
レストランを予約してその予定を書き込むとき、私たちの心は一気に華やぐ。
なぜならその瞬間、あなただけの大切なストーリーが始まるから。
これは東京のレストランを舞台にした、大人の男女のストーリー。
▶前回:二度と会えないと思っていた男と再会することに成功。きっかけはLINEの○○○機能
Vol.18 美織(30歳)記念日のトラウマ
土曜日の夜。
でも……。
― 和斗が隣にいてくれたら、もっと楽しいのになぁ。
私には、大手証券会社に勤める2歳年下の恋人がいる。出会いはマッチングアプリで、交際期間は半年ほど。
お互い「映画好き」「お酒好き」という共通点があり、会っているときはいつも楽しい。
でも、最近は彼が忙しくて、会う回数が減っている。
3ヶ月くらい前までは毎日のように「好き」だの「早く会いたい」だのと言ってくれていたのに、そんな言葉をかけてくれることもほとんどなくなった。
― もしかして、私に冷めてきたのかな……?
B級映画にありがちな、陳腐なラブシーンを眺めながらぼんやりと考える。
この映画だって、オススメしてくれたのは和斗だった。彼の映画の趣味は、私と違ってかなりマニアック。そこも面白くて、好きなのだけれど。
ソファに横たわり、スマホを開く。もう2日ほど、彼からの返信がない。前なら1時間置きには返してくれたのに。
― ああ、この感じ、嫌だな……。
映画に集中しようとしても、別の思いが頭をぐるぐると巡り、内容が全く頭に入ってこない。
恋愛に不安が生じると、必ず思い出してしまうのだ。
8年前の、元彼ヒロとの出来事を。
トラウマ
― 2014年9月 ―
「美織ちゃんへの気持ちが薄れてきたんだ。僕たち、別れよう」
仄暗い個室に、きらめくシャンデリア。高級食材をふんだんに使ったフレンチのコース料理と、ヴーヴ・クリコ。
最高の夜を過ごしていたのに、彼の言葉を聞いた瞬間。目の前の光たちが一瞬にして消え去った。
「……気持ちが薄れたって、どういうこと?」
「そのままの意味だよ。君に冷めたんだ。美織ちゃんはやっぱり、幼すぎる」
ヒロはIT企業の社長で、当時大学4年生だった私より10歳も年上だった。
大学の友人に誘われて行ったパーティーで知り合い、彼からの猛アプローチに押される形で交際を始めた。
ヒロが与えてくれるものはどれも新鮮で、九州の田舎から上京してきた私には全てが輝いて見えた。
ランボルギーニでのドライブ、ミシュラン三ツ星のレストランでディナー、彼の住むタワーマンションにお泊まり……。
ドラマの世界が現実になったような、眩しすぎる毎日。私はあっという間に、彼に夢中になった。
でも、夢の終わりは思っていた以上にあっけなかった。
「就職、決まってよかったね。社会人の先輩として、君のことはずっと応援しているよ」
とってつけたような彼のセリフが、右から左へと流れていく。崖から突き落とされたような最悪の気分だったのに、不思議と涙は出なかった。
そのとき食べていた、コースの締めのトリュフリゾット。
味はよくわからないけど、なんだか高級で贅沢な感じがした。そして、口に入れたらあっという間になくなってしまう。
― まるで、彼と過ごした日々みたいだ。
その翌年、彼は12歳年下の女性と授かり婚をしたと噂で聞いた。
別れ際、彼は私のことを“幼い”なんて言ったくせに、もっと若い子と結婚した事実は私を苦しめた。
今は、彼への未練はない。
でも、あの日以来、私はトリュフを避けている。口にすると、どうしても苦い思い出がよみがえるから。
ピロロロロッ。
スマホのアラームがけたたましい音を立て、私はハッとする。身体がやけに重だるい。映画を観ながら、そのままソファで寝てしまったようだ。
アラームを止めると、LINEの通知が目に入る。和斗からの返信だった。
『連絡遅くなってごめんね!大きな商談が続いて、バタバタしてて…。来週の半年記念日はレストランを予約したから、広尾駅前で19時に待ち合わせしよう』
メッセージを見て、ザワザワしていた心が一気に穏やかになる。忙しい中、半年記念日のこともちゃんと考えてくれていたと思うと、自然に笑みがこぼれた。
― 冷めたなんて、私の勘違いだったかも。早く和斗に会いたいな。
半年記念日
そして迎えた半年記念日。会社には午後休を取り、フェイシャルエステと美容院に行った。新しいワンピースに身を包み、いつもよりも念入りにメイクを施す。
2週間半ぶりに会う彼に“やっぱり俺の彼女は可愛い”と思ってほしいから。
「美織、お待たせ」
待ち合わせ場所に3分ほど遅れて到着した、和斗。私はにっこりと笑い、自然に彼と手をつないだ。
「結構歩くかも。大丈夫?」
「もちろん。今日は涼しいし、良い散歩になりそうだね」
どこのお店を予約したかは知らされていないので、彼に手を引かれるまま歩いていく。洗練された街並みと、肌を撫でる夜風が心地よい。私はとても良い気分だった。
「ついた。ここだよ」
コンクリートの建物に、ガラス張りの入り口。看板には『Margotto e Baciare』の文字。
私でも、名前くらいは聞いたことがある。ここは、有名な“トリュフ”の専門店だったはず。
それに気がついた瞬間、あのときのヒロの言葉がフラッシュバックする。
― 美織ちゃんへの気持ちが薄れてきたんだ。僕たち、別れよう。
心臓がバクバクと音を立てているのがわかる。
よりにもよって、半年記念日……しかも最近あまり会えていなかった彼との久々のデートで『マルゴット エ バッチャーレ』なんて。
8年前に彼と別れたときも、何かの記念日だったような気がする。
そして、別れを告げられるその瞬間まで、そんな気配は微塵も感じなかった。私はただ浮かれて、食事を楽しんでいただけ。
― まさか、また別れを告げられるんじゃ……。
「美織、大丈夫?」
着席してからずっと、悶々としていた私を不思議に思ったのか、彼が声を掛けてくる。私は無理矢理笑顔を作るが、心の中はずっと暗い思いが渦巻いていた。
「うわぁ〜すごい!」
店に入って、席についたあと、宝箱に入って運ばれてきたトリュフに、私は思わず感嘆の声をあげる。
そして、選んだトリュフが、次々に料理となって出てくる。
卵の黄身が乗ったトーストに、これでもかとトリュフをかけてもらえる「磨宝卵」や、削ったトリュフが浮かぶ、旨みと香りがぎゅっと詰まったスープなど、シンプルなメニューが特に絶品だ。
和斗との会話も弾み、ワインも進む。ここに着いたときに感じていた嫌な気持ちは、美味しい料理とともに飲み込み、胃の奥へ消えていった。
― どれも本当に美味しい。もしかして、トリュフのトラウマを克服できるかも…。
トリュフカルボナーラパスタを食べながら、私はそんなことを考えていた。
しかし、コースが進むごとに、だんだんと彼の顔が暗くなっていく。先ほどまでは盛り上がっていた会話も、なんだか歯切れが悪い。
和斗のそんな態度に、私の心にもまた少しずつ不安が募り始める。
― もしかして、やっぱり別れ話……?
嫌な考えが浮かび、頭が真っ白になる。体の末端が、どんどん冷え切っていくのを感じた。
「…ねえ、和斗。言いたいことがあるなら、早く言って」
ふたりの間に流れる重苦しい空気に耐えきれず、私はついに、震える声で呟いた。すると彼は驚いたように目を見開き、うろたえ始める。
― まさか、これで本当におしまいなのかな。半年間、長いようで短かった……。もっと2人で色んな景色、見られたら良かったな。
私はテーブルの下で、力強く拳を握り締める。視界が涙でじんわりと滲んだ。
そのとき、和斗は深くため息をつき、意を決したように口を開いた。
「……結婚を前提に、僕と一緒に暮らしてほしい」
「……え?」
彼の言葉に、耳を疑う。
予想していたものと全く違う台詞に、思わず素っ頓狂な声をあげた。
「俺、最近本当に忙しくて、なかなか連絡できなくてごめん。でも、すごく会いたかったんだ。だから、一緒に住んだら毎日顔が見られるんじゃないかなと思って」
彼は顔を赤くしながらも、私の目を真っすぐに見つめて話す。
「一緒に住むってなったら、当然、将来のことももっとちゃんと考えなきゃなって。自分の中で色々な葛藤はあったけど、やっぱり、美織にはずっとそばにいてほしい」
だから、と彼が言いかけたところで、私は大きく首を縦に振った。大粒の涙が頬を伝い、首元を濡らしていく。
「ごめんね。俺、緊張しちゃって、スマートに言い出せなかったよ。やっぱりこういうの難しいね」
彼はチェイサーをぐいっと飲み干し、自嘲気味に笑った。そんな彼の姿が愛おしくて、私もつられて笑顔になる。
「美織さえ良ければ、来月あたり一緒にうちの地元に来てくれないかな?両親にも早いうちに紹介したくて」
彼が話している間に、締めのトリュフ卵かけご飯が運ばれてくる。ツヤツヤと輝くそれは、まるで宝石のようで。一口食べると、深い、豊かな香りが鼻を抜けていく。
― やっと、ちゃんと味わうことができた。
自分もキラキラした世界に仲間入りしたくて、必死に背伸びをしていた大学生時代。
今だってトリュフは高級品だけれど、等身大の私のまま、美味しく食べることができるようになった。
目の前でニコニコ笑う大好きな彼とともに、これからもたくさんの幸せを、ありのままの自分で味わっていきたい。そう、心から思った。
▶前回:二度と会えないと思っていた男と再会することに成功。きっかけはLINEの○○○機能
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