週末にお泊まりデートしても早朝に帰る男。仕事だと言い訳するが、彼女に隠れて何を…
東京で生きる、孤独な男女。
彼らにそっと寄り添い、時には人生を変えてくれるモノがある。
ワインだ。
時を経て熟成される1本は、仕事や恋、生き方に日々奮闘する私たちに、解を導いてくれる。
これは、ワインでつながる男女のストーリー。
▶前回:24時西麻布。「もっと一緒にいたい」と女が誘ったものの、男が速攻断ったワケ
Vol.2 恋と友情の狭間で
〈プロフィール〉
名前:華(28歳)
経歴:青山学院大学経済学部出身、広告代理店勤務
住所:恵比寿(一人暮らし)
5月下旬の金曜19時。
青山学院大学時代のダンスサークルの女子5人で表参道の『リナストアズ』に久しぶりに集まった。
楽しい女子会だというのに、華は、ため息をついてしまった。
「ちょっと、華。元気なくない?何かあった?」
そう聞いてきたのは、美佳だ。美人でサバサバとしていて、サークル内でも男女共に好かれていた皆のお姉さん的存在。
今年29歳になる5人の中で、独身は華と美佳だけだ。
「最近、颯斗が浮気してるんじゃないかって…」
数秒前まで、写真を撮ったり、メニューを見てあれこれ話していた4人の手が止まり、視線が華に集まる。
颯斗も同じ青学のサークル出身で、華とは大学2年の6月ごろから付き合っているので、もうすぐ9年になる。
彼は、新卒で大手商社で働いている。今年に入り、アパレル部門から海外出張もあり得るブランドのマーケット部門という社内でも花形部署へ移動になり、忙しさに拍車がかかった。
そのせいか、2人が会う頻度は低くなった。
そしてここ最近、颯斗の行動が怪しいと華は感じている。
「結婚の話をはぐらかすのは前からだけど、この前、私のiPhoneの電池が切れて携帯借りようとしたら、慌ててダメって断られて。部屋で一緒にいる時も、急に電話かかってきて焦ってベランダに出たり…」
颯斗は隠し事をしている。これは確信に近かった。
「颯斗は寮がある横浜、華は恵比寿でしょ?2人とも忙しいし、会う回数が少ないと不安になるよね」
美佳が言うと、みんながうなずいた。
何より、華が信じられなかったことは、颯斗が先月の華の誕生日を忘れていたことだった。
付き合ってもうすぐ9年経つのに、初めてのこと。
「それはクロに近いグレー!」
メンバーの1人であるユキの言葉によって、華は颯斗に対する疑惑が増幅した。
このあと、ユキの口にした言葉に衝撃を受ける華。まさか…
「久しぶりに会ったのに、私の話は、暗くなりそうだからいいよ。で、美佳は最近どうなの?」
楽しい話題に変えようと、華は美佳に話をふる。
彼女は、元CAで、今は外資系企業でOLをしているので出会いも多い。
「全然。会社の同期から紹介された東大男は、生まれ変わっても治らないくらい重度のマザコンでさ。3週間だけ付き合ったけどバイバイ」
トリュフのパスタをフォークに綺麗に巻き付けながら、美佳が言う。
美佳は、美人でスタイルも良く、頭の回転が速くて、話も面白い。当然のようにモテるのに、大学時代から恋愛は長続きしない方だった。
「美佳って完璧なのに。高嶺の花なのかな…」
華の心の声がポロッともれると、その瞬間、美佳の表情が固まったように見えた。
「あのさ、何でも手にしてるのは華じゃん!」
美佳の声が、一段階大きくなった直後、我に返ったような顔をする。
「あっ…ごめん。仕事で色々あってイライラしちゃった」
美佳は、照れ笑いを浮かべて、すぐに、いつもの表情に戻った。
しかし華は、彼女が一瞬見せた表情が脳裏に焼き付いて離れなかった。
23時半、2軒目の『ウイスキーライブラリー』で飲んだ後、5人は解散をした。
目黒に住むユキと、2人きりになった帰り道。
渋谷駅から山手線に乗り込んだ時に、華はユキに聞いた。
「ねえ、私、何か美佳を怒らせたのかな」
「ん……仕方ないんじゃない?美佳も高等部の頃からずっと颯斗のこと好きだったらしいじゃん…?もちろん華と付き合って身を引いたみたいだけど…」
「え、そうなの?」
話の続きを聞きたかったが、その瞬間、電車が恵比寿駅に到着してしまったので、華は後ろ髪を引かれる思いで電車を降りた。
「バイバァーイ」
酔ったユキの声が響いて、電車の扉が閉まった。
◆
翌日の土曜日。
11時ごろ、颯斗が華の家にやって来た。
2週間ぶりに会えたというのに、華の心は沈んだままだった。
「華、どうしたの?暗い顔して。2日酔い?」
玄関を開けるなり、颯斗が華に声をかける。
「ううん…何でもない」
華は、無理やり笑顔を作ったが『美佳も高等部の頃から、ずっと颯斗のこと好きだった』というユキの言葉が、気になってしょうがなかった。
颯斗の上着を預かり、ハンガーにかけている時に、華はさりげなく尋ねる。
「そういえば、颯斗って美佳と高等部から一緒だったんだよね?」
「うん、同じクラスだった。そっか昨日、美佳もいたんだよな…それがどうかした?」
華は大学から青学に入学したが、颯斗と美佳は内部生だ。
「いや、別に…」
「変なの…」
颯斗は不思議そうな顔をしながら、手を洗うために洗面所に消えていった。
華が、ダイニングテーブルに置かれた彼のiPhoneにふと目をやると、LINEのトーク画面が開いたままで、見たことのあるLINEのアイコンが目に入ってきた。
― 美佳…!?
華の鼓動が速くなる。
― トーク画面の上から2番目に表示されているということは、連絡を取り合ったのは、つい最近のことよね?
『ありがとう!』という最後のメッセージだけが見える。
美佳が、iPhoneに手を伸ばした瞬間、洗面所から出てきた颯斗が急いで取り上げた。
焦る様子の彼に、華はとうとう核心に迫る質問をすることにした。
「ねぇ、私に隠し事あるでしょ?」
「ないよ」
隠し事が「ある」「ない」で押し問答を繰り返したあと、華は「じゃあ、スマホ見せて」と問い詰める。
それに対して、颯斗は「嫌だ」の一点張り。
頑なに拒否する颯斗を見て、彼への疑惑が深まり、言いたい言葉が口から出なくなる。
颯斗に丸め込まれる形で、その場はおさまったが、その後見た、Netflixのドラマの内容は何も頭に入ってこなかった。
― もし、本当に颯斗が浮気をしていたら?もし、その相手が、美佳だったら…?
翌朝、颯斗は仕事の準備があると言って早々に帰っていった。
― 前だったら、月曜日までお泊まりすることもあったのにな。やっぱり、颯斗怪しい…。
華は夜、LINEを送った。
『やっぱり、ちゃんと話したいんだけど、時間作れない?』
颯斗からは、すぐ返事が返ってきた。
『うん、わかった。約束している来週の土曜日でいい?』
『その前は?』
『ごめん、平日は難しくて。その時、ちゃんと話そう』
― もしかして、別れ話されるのかな。
1本のワインが繋いでくれたものとは…
恋人たちのワイン
「え、ここって?」
1週間後、颯斗に連れて行かれた場所は、『ジョエル・ロブション』だった。
ポカンとしている華に、颯斗は言う。
「だって、今日記念日じゃん」
「…そっか。今日って、付き合って9年目か」
華は、ここ最近颯斗の浮気を疑ってばかりで、記念日のことなんてすっかり忘れていた。
「前、華の誕生日忘れてて…本当ごめん」
「私こそ、記念日忘れてたよ、ごめん」
― 今日、オシャレしてきてよかったぁ。
別れ話をされると思っていた華は、最後の記憶に綺麗に残るようにと、母から譲り受けた、エルメスのマルジェラ期の紺のワンピースを着ていた。
乾杯のあと、美しい料理が次々と運ばれてくる。
華が、一皿一皿に感動していると、スッとワイングラスがテーブルに置かれた。
「お預かりしていたワインをお持ちしました」
ソムリエの言葉に続いて、颯斗が口を開いた。
「実はこれ、親父から、1番大切な人と大切な時に飲めって、20歳の時に譲り受けたワインなんだ。だから、今日ここで飲もうと」
そのワインは『シャンボール・ミュジニー』のプルミエ・クリュ“レザムルーズ”という赤ワインだった。
「親父が言ってたんだ。この“レザムルーズ”ってワイン、恋人たちっていう意味があるらしい。だから、今日のうちに飲んでおきたいと思って」
意気揚々と説明していた颯斗が急に黙る。
そして、今度は恥ずかしそうに言った。
「つまり、これからは…なんというか…夫婦として…?」
「えっ…」
「俺と結婚してほしいんだ。ってまだ食事の途中だけど、こんなタイミングでよかったのかな」
颯斗は、おもむろに胸ポケットから小さな純白の箱を取り出し、パカっと開く。
そこには、一粒ダイヤの指輪が光を受けて輝いていた。
「待って、私、今日ふられると思ってたんだけど…」
颯斗が、目を丸くして驚く。
「だって、会う回数減ったし、電話でコソコソ誰かと話してるし……美佳とLINEもしてたし」
「ごめん。心配かけたね。会えなかったのは、仕事が本当に忙しくて…。
電話は、レストランとのやりとりしてたり、指輪の件だったりで。美佳には、プロポーズの相談してただけだよ」
「そうだったの?」
「美佳に相談してなかったら、俺、フラッシュモブで踊ってサプライズしてたと思う」
「それは、嫌だな」と華は笑いながら言う。
「で、答えは?」
颯斗が不安そうに尋ねる。
華は、とびきりの笑顔で「これからも末永くよろしくお願いします」と答えた。
颯斗が華の薬指に指輪をはめると、改めて2人で乾杯をした。
“恋人たちのワイン”は、ゆっくりと春先にふわっと優しい香りを漂わせる、ハクモクレンのような甘い香りがした。
恋する女たちのワイン
「昨日はごめん。急に明日会いたい!なんて連絡して…」
華は、美佳が1人で住む池尻大橋のマンションに来ていた。
「私もちょうど予定なかったし、華に会いたかったの。ね、報告があるんでしょ?」
「うん、昨日、颯斗にプロポーズされたの。颯斗、美佳が相談に乗ってくれていたって…」
「本当、華も颯斗も鈍感よね。お似合いの夫婦。本当におめでとう!颯斗にフラッシュモブ、させればよかった」
そう言って、美佳は笑って続けた。
「この前はごめん。私は恋愛うまくいってないのに、これからプロポーズされるっていう華が、私を完璧なんて言うから、つい嫉妬しちゃった。
今だから言うけど、颯斗のこと、昔好きだったときもあって…。あ、気にしないで、高校のときね。颯斗は鈍感で気づかなかったけど。幸せになってね」
華の目には涙が溢れた。…そして美佳の目にも。
「ありがとう。よかったら、このワイン、一緒に飲まない?」
そう言って華が取り出したワインは、“レザムルーズ”だった。
「昨日、私も颯斗もそんなにお酒強くないから、半分だけ飲んだの。“恋人たちのワイン”っていう意味で知られているワインなんだけど。実は、他にも意味があるらしくって」
レザムルーズ(Les Amoureuses)は、“恋する乙女たち”という意味もある。
「女たちが、このブドウ畑の近くで、恋バナや雑談をしたりして、友情を深めたっていう説もあるんだって。だから、残りは美佳と飲んだらって颯斗が言ってくれたの」
早速、グラスにワインを注ぎ2人は乾杯する。
「カンパーイ!」
ワインは、昨日とはまた違う表情をしていた。爽やかで、あたたかい気持ちになるような…。
「ちょー、おいしい」
2人同時に同じセリフを言ったので、顔を見合わせ笑った。
◆今宵の1本
シャンボール・ミュジニー プルミエクリュ レザムルーズ(Chambolle-Musigny 1er Cru Les Amoureuses)
フランス ブルゴーニュ地方
フランス銘醸地のピノ・ノワール100%の赤ワインだ。
レザムルーズという畑の名前は、日本では「恋人たち」という意味で有名だが、フランス語だと「恋する乙女たち」となる。
ブドウが育つ土壌が石灰質であるために、ワインはミネラル分を多く含み、活き活きとした酸味と繊細さが、他の産地にはない洗練された味わいを生み出す。
香り高く、エレガントな味わいから、女性的なワインともたとえられる。
作り手によっては市場価格が10万円を超えることも。
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