実子の長女(21歳)と、養子の次女(14歳)。

ふたりの娘の母親であるFP(ファイナンシャルプランナー)の中村芳子(なかむら・よしこ)さん。今夜24時からAbemaTVで放送される『Wの悲喜劇〜日本一過激なオンナのニュース〜』に「養子縁組」のテーマで登場します。

40歳を前に二人目不妊に気づいた中村さんが、養子を迎える決断をしてから約15年、実際に2歳の女の子を迎えてから12年が経ちました。

30歳の頃から「こんな家族が自分にも欲しい」と思い描いていたカタチがあった--。そう話す中村さんに3回シリーズで、「養子という選択」と、そこから生まれる「家族のカタチ」について聞きました。

「結婚して子どもを持てば人生終わり」と思っていた

--中村さんには30代の頃から思い描いていた理想の「家族のカタチ」があったそうですね。

中村芳子さん(以下、中村):はい、29歳の頃に「こんな家族が欲しい!」と心に決めるきっかけはありました。でも、それまでは「絶対に結婚なんかするもんか」と思っていたんですよ。

--そうなんですか?

中村:なにしろ、中学校を卒業する時に色紙に「私は結婚しません」と書いたほどでしたから、決意はかなり固かったと思います。担任の先生が驚いて、「おい、中村、結婚しないとダメだぞ」と言いに来ました(笑)。とにかくずっと結婚には興味がなかったんです。

--なぜ?

中村:理由は単純です。自分の父親がとても亭主関白で、いつも我慢ばかりしている母親をそばで見ていたから。母は内職をしたり化粧品のセールスをしたり、私の記憶にある限りずっと仕事をしてきましたが、家庭内の地位は父が常に上。「結婚しても、女には何一ついいことがないんだなあ」と子どもの頃から感じてました。だから、私にとっては何より「自立すること」が最優先だったんです。

--それが何かのきっかけで覆されたんですね?

中村:そうなんです、ガラッと180度。ちょうどウートピ読者と同じアラサーの、29歳の頃、半年だけオーストラリアに渡りました。今でいう「自分探しの旅」ですね。当時は会社員として働いていたんですが、「これが本当に自分がやりたいことなの?」と迷いが生じて。

そして、旅の途中で7週間ホームステイさせてもらった家族が、私の家族観をガラリと変えてしまったんです。

ママになっても何一つ諦めない

--詳しく教えてください。

中村:その家族と過ごした最初の印象は、「家族って、こんなにあったかいものなんだ」。パパ、ママ、3人の娘の5人家族。当時、7歳、14歳、15歳だったかな。毎日夕方6時になるとパパが仕事から帰ってきて、必ず家族そろって食卓を囲むんです。夕飯を食べながら娘がパパに「今度のデート、どうしよう?」と相談していたり。

おたがいのことを心から愛していて、お姉ちゃんが旅行に出かけて帰宅すると、妹が泣いて出迎えたこともありました。

「あったかいなあ」と、とても感動したんです。

--ご自身が育った家族とは全然違ったんですね。

中村:同じ家族とは思えないほど違いました。実はもう一つ、衝撃を受けたことがありました。

ホームステイ先のお母さんがある時、「私は結婚して子どもを育ててきたけれど、それで諦めたことは一つもないの」と言ったんです。その言葉には、「なにそれ!?」と強烈に頭をガツンとやられましたね。

それまで私は「結婚して子どもを持つこと=やりたいことを諦めること」だと思い込んでいたんです。でも、そうじゃなかった。

--「諦めない」というと?

中村:そのご夫婦はおたがいにやりたいことをやりきってきました。パパは、友人と一緒に小さなビジネスをやりながら、オーケストラでバイオリンを弾いていました。ママは赤ちゃんをカゴに入れてよく演奏会に行っていたそうです。彼女はダンスの先生で、毎年1ヵ月母国のメキシコで過ごすと決めていて、その期間は3人の子どもの世話は旦那さんが一手に引き受ける。

そんなふうにおたがいに何一つ諦めずにやっていたんです。

子どもの頃から「絶対に結婚なんかするもんか」と宣言していた私でしたが、このオーストラリアの旅が終わる頃には、「家族が欲しい」「そのために結婚しよう」と考えるようになっていました。

自分が産んだ子じゃなくても、育てられる

--帰国後、教会で出会ったアメリカ人の男性と結婚。34歳の時、長女が誕生します。実の娘を育てる中で、養子という選択をするための一つのきっかけがあったそうですね。

中村:実は娘を産んだ時、特に愛情が湧いたという実感がなかったんです。「ああ、やっと出てきた。これで自由になれる」というのが出産時の正直な気持ちでした。私に母性本能がないのか、母性本能そのものが神話なのかもしれませんね。

でも、育てるうちに、ただの「命のあるかたまり」だったものに、少しずつ愛情が湧いてきました。喜んだり、怒ったり、不快感を表現したり。やがてにっこりほほえんだり、声をあげて笑ったり。お座りやつかまり立ちをしたり。そんなふうに成長を目にしていくにつれ、出産時はなかった愛情が深まっていきました。

それで気づいたんです。

「自分が産んだ子じゃなくても、育てられるな」と。

--産んだことで、逆に「産まなくても育てられる」と気づいたんですね。

中村:はい。この感覚は個人差があると思いますが、私の場合はそうでした。本当に新鮮で感動的な発見でした。そして「子どもはみんな、自分の子でも人の子でも本当にかわいい」ことにも気づきました。

--その発見があったから、自然と「養子を迎える」という選択ができたと?

中村:「産まなくても、育てられる」という発見は、確かに、一つの大事な要素にはなりましたね。

実は「子どもが生まれても、生まれなくても養子を迎えられたらいいね」とは結婚前に彼と漠然と話していましたが、娘が6歳の頃、実際に「養子を迎えたい」と強く思っていろいろと調べ始めました。

東京都の養子縁組里親に登録しようとしたのですが、私たち夫婦が共働きであることを理由に「まず無理です*」と言われてしまいした。当時は夫婦のいずれかが専業主婦(夫)であることが、養親の条件として求められていたんです。

*登録はできるが紹介の可能性はほぼゼロということ。近年では共働きの夫婦でも紹介されるケースは増えてきている。

--その対応で一度は養子を諦めたそうですが、その約4年後には無事に、次女となる女の子を養子に迎えられていますね。

中村:その詳しい経緯は次回に話しますが、産んでも育てられない女性の出産をサポートする団体に出会ったり、実際に養子を育てている夫婦と知り合ったりで、「養子を迎えたい」という気持ちがいっそう強くなりました。

養子を迎える前夜に感じた恐怖

中村:もう一度、児童相談所に問い合わせてみると、今度は対応が違ったんです!「共働きだから無理だということはありませんよ」という回答。東京都の養子縁組里親に登録し、1年をすぎて諦めかけたときやっと連絡があり、乳児院で2歳の女の子と会うことになりました。その時は40歳をすぎていました。

--ようやく念願の養子を迎えられたんですね。

中村:そうですね、ようやく、でした。

その子を自宅に迎える前夜に大きな恐怖を感じたことを12年後の今もよく覚えています。2005年12月23日の夜でした。

夕食のあと、夫と娘がリビングのソファで笑いながらふざけあっていて、私はそれをダイニングのテーブルから眺めている。本当に満ちたりた時間。かけがえのない時間。夫とはたまにケンカをすることもあるけれど、今、自分の目の前にあるすべてのものに完全に満足している。完全なしあわせがここにある。

それが、養子を迎えることで壊れてしまったら……。

そう考えると、急に怖くなったんです。

そんな不安な夜を過ごした翌日、クリスマスイブの土曜日の午後に、養子を迎えた中村さん。続く第2回では、中村さんが実際に養子を迎えて感じたこと、養子という選択について聞いていきます。

(ウートピ編集部)

中村さんが登場する今夜24時放送のAbemaTV『Wの悲喜劇〜日本一過激なオンナのニュース〜』の情報はこちら。ウートピ編集長の鈴木円香もコメンテーターとして参加します!

■番組情報

『Wの悲喜劇〜日本一過激なオンナのニュース〜』

男子は見なくて結構! 男子禁制・日本一過激なオンナのニュース番組がこの「Wの悲喜劇」。さまざまな体験をしたオンナたちを都内某所の「とある部屋」に呼び、MC・SHELLYとさまざまなゲストたちが毎回毎回「その時どうしたのか?オンナたちのリアルな行動とその本音」を徹底的に聴きだします。「そんなことテレビで言っちゃっていいの?」…いいんですAbemaTVですからタブーに挑戦します。

第3回となる今回のテーマは「養子ですが、何か?」。反響を呼んだ初回「不妊治療破産」の続編として「養子」をめぐる現実を深掘りします。

放送日時:2017年3月10日(金)深夜0時〜深夜1時
放送チャンネル:AbemaNews
放送URL

【書籍情報】

絵梨子ちゃんを迎えるまで経緯、迎えてからの日々を綴った中村芳子さんの著書『養子でわくわく家族 -->-->-->-->-->』(小学館101新書)も好評発売中です。

ウートピ編集部