『動物に「うつ」はあるのか』加藤忠史著・PHP新書 帯の言葉「これは病気? たんなる悩み? 脳と心をつなぐ挑戦 「とりあえず抗うつ薬」の落とし穴」。

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飼ってる犬が元気がない。食欲もない。寄ってこない。
「うちのイヌ、うつ病なのかな?」

って、動物にも「うつ」ってあるの!?
精神疾患って、動物にもあるの!?

そんな疑問に答える本が出た。
タイトルもズバリ『動物に「うつ」はあるのか』である。

最初に出てくるのは『シートン動物記』。
その一番有名な「オオカミ王ロボ」の話。
ロボは、オオカミの群のリーダーで、どんな罠にもひっかからない賢いヤツ。
ところが、奥さんのブランカが人間に捕まると、冷静さを失って、捕まってしまう。
しかも、エサを与えられても、ぜんぜん食べずに死んでしまうのだ。
このケースはどうなのだろう?
妻を喪失して、うつ状態になっているのではないか。
そういうふうに読める物語だ。
“しかし、物語ですから、どうしても主観が入り、客観的な科学とはいえないと思います。ロボが肉を食べなかったのは、たんに、人の臭いがついていたので用心した可能性もあるでしょう”。
情緒ないなー。
っつても、科学的に調べるには、情緒的すぎるのは危険だから、正しい。

「レミングが集団で海に飛び込んで自殺する」「ゾウは死を予感すると墓場に向かう」
「イルカがみずから陸に上がって死んだ」といった話も、“どれも伝説にすぎないようです”。
レミングはそもそも集団で行動しないし、ゾウの墓場は密猟者が殺した跡だったというのが真相(ひ、ひどい!)らしいし、イルカは超音波で周囲を知る能力がうまく働かなくなったからだと推測される。

動物に「うつ」があるのか? という問いに答えるのはとても難しい。
それは、動物が質問しても答えてくれないから。

これが器質性精神障害なら、はっきり区別できる。
たとえば、ウイルス性の脳炎による意識障害。
“こうした病気では、精神の複雑さはあまり問題にならず、脳があってウイルスに感染すれば脳炎は起こります”。
そういう障害なら起こりえる。

じゃあ、同じように動物に「うつ」があるかどうか、わかってもよさそうなものである。
どうして動物に「うつ」があるかどうかが、はっきりわからないのだろうか。
本書は、ズバリこう記す。
“結局のところ、人のうつ病のことがよくわかってないから”!!

うつ病の診断は、“いまのところ、話を聞くことでなんとか診断している”のだ。
だが、動物に「どういうですか」って聞いても、
ロボ「ブランカを失ってから、もう生きる気力なくなったすよ」
とか答えてくれない。

いま、精神科医療現場では、「DSM-IV」という国際診断基準が用いられている。
どういう状態か聞いて、チェックして、個数をカウントして、分類するという方法だ。
これは、我々が一般的に考える「病気」とは違う診断方法だ。
血液検査をしたり、X線写真を撮ったりして検査する、というのが一般的な診断方法のイメージ。
メタボリックシンドローム通称メタボならば、
「内臓脂肪型肥満に加えて、高血糖、高血圧、脂質異常のうちいずれか2つ以上をあわせもった状態」(参照:「赤ずきんと健康」2:13)
のことであり、
腹囲が男性85cm以上、空腹時血糖値が110mg/dL以上、といったように、数値的な検査で、メタボかどうかが、はっきりと診断できる。
腹囲が90cmだった人が、翌日、70cmになることは、まずない(あったら、逆にヤバイ)。誰がどう測ろうと、90cmは90cmなのだ(残念ながら)。

ところが「うつ」に関しては、“評価者によって診断にバラツキが生じます。また、患者さんのそのときそのときの状態によって、質問に対する答え方が違ったりすると、その時点でいきなり診断が変わって”しまう。
国際診断基準「DSM」は、そのバラツキをなるべくなしにしようという意図があるのだろうが、とはいえ、“「悩んでいるのなら、なんとか手伝いましょう」”というスタンスでしかない。
“「正常です」ということは、「病気です」というよりも何倍も難しい”のだ。
このあたりのことは、たとえば『それは「うつ」ではない』『「うつ」がこの世にある理由』といった本でも、詳細に検証されている。

「うつ」には、病気を診断する検査法もないし、原因をターゲットに開発された薬もない。
それが、「悩み」なのか、単なる「わがまま」なのか、「病気」なのか、はっきり区別できないのである。
それどころか、「異常」であるのかどうかすら、判断することは難しい。
本書で紹介される外来の患者さんは、
「ジェットコースターに乗れなくて困る」
と自分の症状を訴える。
はたして、あんな猛スピードで疾走するモノにきゃーきゃー喜んで乗ることが正常で、乗れないことが異常だと言えるのだろうか?

どうして、こんなことになるのだろう?
原因がわかれば、それは精神疾患ではなく、「神経疾患」とされるからだ。
“精神疾患であるということは、「まだ原因が解明されてない」という意味でもあるのです”。
精神疾患は、ある種、茫漠とした文芸的主観的なモノと混在してしまいがちだ。
だから、「周囲の無理解」にさらされてしまう可能性が高くなる。
「新型うつ」というネーミングを使って、ただのワガママじゃないかと思わせるような描写をするテレビ番組なんかも出てくる。そして、それを避けがたい診断の現状がある。
精神疾患の苦しみは、「病気の苦しみ」「薬の副作用の苦しみ」「周囲の無理解の苦しみ」の三重苦になっている。

三重苦を解消するためにも、精神疾患の原因を解明する必要がある。
そのために、動物実験による基礎研究が必要だ、というのが本書の大きな主張だ。

現状の診断分類のもとで、大規模なゲノム研究を行う。
その遺伝子変異をもつモデルマウスをつくる。
モデルマウスで病変を明らかにする。
病変が患者の死後脳でも見られるか調べる。
といったことを経て、病気を定義しなおすというロードマップを、本書は示す。

というわけで、話は最初にもどる。
動物に「うつ」はあるのか?
“動物に精神疾患があるのかどうか微妙という状況”である。
だからなのか、いまの「うつ」研究は、患者と対面する「臨床研究」ばかりで、動物実験や培養細胞を用いて行う「基礎研究」の領域が欠けている。
“動物に精神疾患があるのかどうか微妙という状況では、動物に焦点をしぼった基礎研究だけで精神疾患が解明できるとはとうてい考えられない”。
だが、いっぽう臨床研究では、倫理的な制約もあり、すべてを解明するのも難しい。
だからこそ、「臨床研究」と「基礎研究」の双方が、理解し、協力する必要がある。
両輪を使って進めて、「病気」と「悩み」を区別できるようにすることが大切だ。

臨床と基礎の両分野の研究をこなす数少ない研究者が書いた『動物に「うつ」はあるのか』は、いままでの「うつ」本にはあまり書かれなかった知見がたくさんでてくる。

・動物の精神疾患とはどういうことか
・ペットに抗うつ薬は必要なのか
・精神医学だけが後れをとっている理由
・精神疾患の動物モデルの重要性
・実験動物と野生動物の違い、そしてその問題点
・人の精神疾患はどのように診断されるのか
・「悩み」と「病気」の線引きの難しさ
・病気の範囲のさじ加減をまちがうと……
・反精神医学の活動や、東大精神科病棟闘争
・脳科学による精神疾患研究はなぜ遅れているのか
・臨床研究と基礎研究の違い
・双極性障害の薬の開発の困難さ
・動物実験をめぐる情勢
・血液検査でうつ病が診断できる可能性について。
などなど。

「三分間診療を三十分診療にしてほしい」という提言に対して、それは本当に必要だろうか、と著者は問いかける。
患者の悩みを受けとめる場は必要だ。
だが、悩みなのか、病気なのか、はっきりしない状況で、“精神科に来たからには病気として訴えないと治療の枠組みに乗らないだろう”と考えてしまい、やりとりする現状でいいのだろうか?
たんに悩んでいるだけの人が、「うつ」病と診断され、抗うつ薬を飲み、強い副作用に悩まされる危険性がある。それは、よいことだろうか。
悩みと病気を分けられるようになって、病気の場合は、“三分で診察してもらい、そこで処方された薬を飲んだらまったく症状がなくなった”というようになるべきなのではないか。

動物に「うつ」はあるのかどうか、という問いからはじまる『動物に「うつ」はあるのか』は、「心の病」とは何か、精神科医療の実情、動物実験をめぐる状況など、多岐にわたる話題をとりあげた興味深い内容になっている。オススメ。(米光一成)