木野瀬凛子、31歳。

デキるオンナとして周囲から一目置かれる凛子は、実は根っからの努力型。

張り詰めた毎日を過ごす凛子には、唯一ほっとできる時間がある。

甘いひとくちをほおばる時間だ。

これは、凛子とスイーツが織りなす人生の物語。

◆これまでのあらすじ

大手広告代理店営業部に勤める木野瀬凛子、31歳。彼氏の昌文との休日デート中、6つ年下の後輩・美知とばったり会う。昌文は、凛子と美知とのぎこちないやりとりを見て「凛子のチームづくりに問題があるのではないか」と厳しく指摘。凛子は思わず逃げ出した。

▶前回:「ちょっと休んでくるね…」休日デートの途中、31歳女が涙をこらえて彼氏から逃げたワケ




Vol.3 グリーンの宝石、マスクメロン


ウソをついて昌文とのデートを切り上げてしまった日から、2週間後の金曜日。

凛子はタクシーで、新橋にある得意先のオフィスに向かっていた。

毎週金曜の夕方には、得意先の大手食品メーカー広報部・秋坂との定例会議がある。

― 会議を終えたら、今日は昌文とデートね。

あの丸ビルデート以来、昌文とはほとんど連絡をとっていない。今夜、凛子の方からきちんと謝ると決めていた。

― ちょうどいいことに、今夜は特別な夜だし。

日付が変われば、明日は昌文の誕生日だ。

先日は耳の痛い指摘をされてつい逃げてしまったが、昌文に悪気があったわけではない。

だから、誕生日というきっかけを使って、きちんと仲直りをする算段なのだった。

― 東京ステーションホテルのフレンチで一緒に食事をして、私から謝って…。

凛子は頭の中で、何度目かのシミュレーションする。

― その流れで昌文とウチに帰って、プレゼントを渡すの。

プレゼントには、昌文が欲しがっていたポータブルのプロジェクターを用意した。

部屋には今朝バラを飾り、テーブルクロスも華やかなものへとチェンジした。おもてなしの準備は万全だ。

タクシーを降り、得意先オフィスのロビーで数分待っていると、PCや資料を抱えた秋坂がやってきた。

「ああ、木野瀬さん。ようこそ」

次の瞬間。

秋坂は凛子に、意外な言葉を口にする。


秋坂は、凛子が着ている水色のワンピースを見るなり、「おっ」と声を漏らす。

「夏らしくて素敵なお洋服ですね」

「え、すみません。派手すぎましたか」

たじろぐ凛子の様子に、秋坂は顔の前で手を何度もクロスさせて「いやいやいや」と言う。

「そのままの意味ですよ。よくお似合いだなって」

秋坂は、無邪気な笑顔でうなずいた。

身長167センチの凛子は、今日はおめかしして高いヒールを履いているので、秋坂を少し見下ろすようなかたちになる。

それもあってか凛子は、秋坂のことをなんだか可愛らしいと感じた。

秋坂は、いつも子どもみたいな笑顔を浮かべている。一緒にいて癒やされるのだ。

威圧してくるクライアントも多い中、いい人を担当できてよかったと、凛子は思わず頬をゆるませた。




しかし、定例会を終えて秋坂と別れた直後。凛子のゆるんでいた頬に緊張が走った。

『昌文:仕事が入ったから今日会えないや。当日の夕方にごめん』

時刻は20分ほど前。凛子のスマホに、予想外の連絡が入っていたのだ。

― そんな…。

まずよぎったのは、本当に仕事が理由なのか、ということ。

2週間前のデートでの行動について怒っているのではないかと、凛子は不安になる。

そしてもうひとつ凛子を焦らせたのは、東京ステーションホテル『ブラン ルージュ』のコース料理を予約していることだ。

「どうしよ…。誰かにゆずれないかな。とりあえず会社に戻ろう」

17時すぎに会社に着く。

― あ、美知さんだ。

先日丸ビルでばったり会った後輩・美知が、黙々とPC作業をしていた。

ばったり会ったことについて、あれから美知とは何も話していない。

そもそも凛子と美知は、仕事上のやりとりと挨拶以外、言葉を交わさない仲だ。

― でも…。昌文の言うように、もっと近づきやすいディレクターにならないと。

思い立った凛子はデスクにバッグを置くと、美知のほうへ歩いた。

「美知さん、お疲れさま」

美知は、ハッとした様子で顔をあげる。

「はい、お疲れさまです」

「急にごめんね。実は今日の夜、東京ステーションホテルのレストランをとってたんだけど、一緒に行く予定だった人が来れなくなって…。

もしよかったらなんだけど、美知さん、友達誘って誰かと行ってこない?もちろんお代は私が出すから」

美知は、緊張感を浮かべた表情で凛子を見た。

「今日、特に予定ないので、行けますが…」

美知は高い声をすこし震わせながらうなずく。それから、とても意外なことを言った。

「せっかくなら、私と凛子さんで行きませんか?」




2時間後。

凛子と美知は、言葉少なにナイフとフォークを動かしていた。

2人は、人としてのタイプが大きく違う。

美知は、凛子の目には「妹のように可愛がられる甘えん坊タイプ」に見える。つまり、凛子とは真逆のタイプだ。だから緊張する。

なんとか場をもたせようと、凛子は仕事の話をするしかない。

コース料理がメインの牛ロースステーキにさしかかる頃には、ディナーはもはや仕事相談会の様相を呈していた。

メインディッシュをようやく食べ終える頃、美知はか細い声で言った。

「凛子さん、この前、丸ビルで偶然会ったとき、無愛想にしちゃってすみませんでした。

私、凛子さんを見るとどうも緊張しちゃって。…今も、ですけど」

美知の笑顔が歪む。凛子は、やっぱり自分は近寄りがたいのかと、改めて現実をつきつけられた気分になる。

そのとき、ウエイターが目の前にデザートを置いた。

「お待たせいたしました。マスクメロンのスペシャルデザートです」


― わあああ。

凛子は、目を輝かせる。

マスクメロンは、凛子にとっては特別だ。フルーツのなかでも圧倒的にメロンに目がない。

凛子ははやる気持ちを抑え、コースの最後の一皿に向けて、改めて「いただきます」と呟く。

輝くグリーンの宝石のようなメロンが、ふんだんにあしらわれた美しいデザートだ。

表面は、滴るほどにみずみずしい。バニラのジェラートと、その上にちょこんと乗ったスペアミントが、爽やかな印象を演出している。

ウズウズしながら、メロンをフォークで口に運ぶ。そして頬張るやいなや、深い吐息をもらした。

たっぷりの果汁が口中にあふれる。凛子はしばし幸福に包まれた。

「凛子さんって…スイーツ、お好きなんですか」

そんな美知の問いに凛子は、口をおさえて小刻みに何度もうなずいた。

美知は相変わらず驚いた様子ながら「私もです」と笑顔を浮かべる。

「私、最近お取り寄せスイーツにはまっているんです」

「え、お取り寄せ?美知さんのおすすめ知りたい…」

ここにきて、ようやく会話が盛り上がる2人なのだった。




デザートを堪能すると、美知はティーカップを片手に、眉を下げながら照れたように笑った。

「私、凛子さんのこと勘違いしてたみたいです。もっと堅い人だと思っていました。

凛子さんは、背が高くて、いつもキリッとしてて、あんまりはしゃがないから…。私、凛子さんの表面しか見ないで、勝手に距離を置いていたみたいです」

美知は、そのあと意味深なことを言う。

「私たちって、本当に表面だけで人を判断しますよね」

「私たち…?」

「はい。…凛子さんは、私のこと、どんな人だと思っていますか」

美知の突然の質問にたじろぐ。

「えっと…そうね。ふんわりした印象で、人から可愛がられるのがうまい、って感じかしら」

美知は、切なげに唇をかんで首を横に振った。

「たぶんその印象って、この声質からきてます」

凛子ははっとする。たしかに美知は、高くて細い声が印象的で「かわいい枠」なのだ。

「この声のせいで私、甘えた印象にうつるみたいで。昔から、どこに行っても可愛がられます。

ありがたい反面、ほんとはもっとみんなに頼られたい。かっこいいって言われたいって思ってます」

言いながら、美知は真面目な顔になる。

「私、凛子さんみたいに、キリッとした感じでしゃべりたくて、練習もしたんです…。けど生まれ持った声がこれだから、印象は変えにくくて」

凛子は、美知を勘違いしていた。

まさに美知に対して、甘えん坊でマイペースというイメージを抱いていた。だからほとんど無意識に、大変な仕事が美知に回らないように“配慮”してきた。

「凛子さん、今日はごちそうさまでした。私、凛子さんのこともっと知りたいし、凛子さんに私のことをもっと知ってもらいたいです。

今度、今日のお礼にスイーツごちそうさせてください。必ず」

聞き慣れた高い声の奥に、初めて、凛とした強さを感じる。

― 私、本当に美知さんの表面しか見てなかったのね。




美知と並んで東京駅のタクシー乗り場に移動しながら、凛子は考える。

会社の人間関係なんて、薄いものだと言ってしまえばそれまでだ。でも凛子は、もっと人を見ることのできるディレクターになりたい。

仕事に夢中になるばかりでなく、少し隙をつくってでもチームメンバーと関わりたい──昌文が言っていたことは、やはり正しいと思った。

― やっぱり今日…昌文に、直接謝りたい。

美知をタクシーに乗せて見送ったあと、凛子は急いで昌文に連絡を入れる。

『凛子:今から会えない?赤坂のマンションに行くから。お祝いさせてよ』

15分ほど待ったが、返事がない。

凛子はとりあえず、タクシーに乗って昌文のマンションまで向かうことにした。

しかしタクシーを降りても、昌文からの返事はない。電話をかけてみようかと思ったそのとき、右のほうから昌文の声がした。

「あ…」

その光景に、凛子は次の瞬間、駆け出していた。

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凛子が駆け出した理由とは?