「キャンプ場作りたいんだ」田舎で輝く彼を追いかけたら…。東京ライフに疲れた女が見た、男の末路
― 【ご報告】―
SNSやメールでたびたび見るこの言葉に、心がざわついた経験はないだろうか?
人生において、新たなステージに入った【ご報告】をする人。
受ける側は【ご報告】されることによって、相手との関係性を見直したり、自らの人生や現在地を振り返ることになるだろう。
この文字を目にした人は、誰もが違う明日を迎える。
これは【ご報告】からはじまるストーリー。
▶前回:交際3年目の恋人が、既婚者と判明。「妻と離婚する」の言葉が信じられずに別れた女だったが…
Vol.11 <ご報告:移住しました>
東京・東新橋、2:00AM。
倉本穂波は、帰るなり部屋の中心に置いてあるソファにバタンと倒れこんだ。
「ふぅ……ちょっと飲みすぎちゃったな」
天上を見上げると、ほのかな光。
電気はつけていない上にカーテンも閉め切っている。それなのにこの部屋がうっすらと明るいのは、ここが都会のど真ん中だから。
昨年引っ越したばかりのこの部屋は、会社にも遊び場にも近く気に入っている。
30平米の1DKという狭さであるが、仕事でほとんど家に帰らないことも多いため、全く気にならない。
今夜は、新しいプロジェクトの顔合わせを兼ねての食事会だった。
穂波は横になりながら、上司やメンバーたちにお礼メールを送信する。
プロジェクトリーダーがセッティングしてくれた『SUGALABO』での会食。
ロブション出身のシェフが手掛ける食事はもちろんのこと、スタイリッシュで都会的な空間、メディアの第一線で活躍するメンバー、繰り広げられた前向きな会話…全てが素晴らしかった。
その場に居るだけで、自分まで高みにいるような錯覚をおぼえるほどだった。
穂波は、広告代理店に勤めるCMプランナー。
入社以来、アシスタントとして数多くの場数を踏み、昨年やっとデビューとなる広告作品を手掛けることができた。
しかしまだ、駆け出しのひとりだ。上を目指すには、スタート地点である。
ソファの上で文字を打ちながら、穂波は眠りの沼に誘われる。
そして、いつの間にか朝を迎えるのだろう。日々はその繰り返しだった。
「…おっと、いけない」
はっと目を覚まし、やり残したルーティンであるSNSの巡回を始めた。
流行の話題やアイデアのヒントが、どこかに転がっているかもしれない。寝る前のこの作業は欠かせないのだ。
そんな時、インスタである【ご報告】を目にした。
『地元にUターンしました。野生の自分が覚醒してます。ぜひ、遊びに来てください』
雄大な富士山をバックに、大の字ポーズで草原に立っている男の写真。
それは、1年前に会社を退職した吉川篤紀の移住報告だった。
慶応義塾大学の広告系サークルでの先輩で、会社も一緒。いろいろとお世話になっていた存在だったが、昨年、突然会社を退職してしまったのだ。
「吉川さん、地元に帰ってたんだ」
在籍時は社内の評価も高く、広告賞をとるなど多くの実績を残していた彼。
180cmを超える身長と整った顔立ちで女性人気も高く、上司や後輩からも評価されていた。全てが順風満帆に見えていたのだが……。
この仕事は多忙で、大きなプレッシャーも伴う。それゆえ、突然休職する仲間も少なからず存在する。
穂波も、いつも前向きな気持ちを持とうと心掛けてはいるが、正直、身も心も削られ、消耗していることを実感していた。
彼もまた、そんな日々に限界を感じての決断だったのだろうか?
投稿に添えられていた、彼の別アカウント。そこに現在の日常をVlog形式で記しているというので、思わず穂波はアクセスする。
中伊豆の緑深い自然の中でも、ハイブランドやデザイナーズブランドのアイテムをラフに着こなし、軽快な話術で田舎暮らしの良さを語る吉川。
移住先のPRも意識して作っているのだろうか。生活のすべてがおしゃれで、魅力的に見えた。
彼は現在、キャンプ場開設のための開墾作業をしているらしい。
悠々自適にのびのびと過ごす彼の笑顔と、そして、環境を変えてもなお広告マンとしての血を忘れない彼の精神に、グッと来た。
― 実は私、密かに吉川さんのことを…。
ルックスがよく、優しい吉川。当然、女性との噂は絶えなかった。
だが、誰とも長続きしていなかった。その理由は、吉川がどうしても仕事を優先してしまうから。
穂波も入社2年目の冬、思いが溢れて彼に告白しようと、食事に誘ったことがある。
しかし結局、吉川に仕事が入り、お流れになったまま。そして彼も退社してしまい、今に至るのだった。
『遊びに来てください』
彼の投稿に添えられたキャプションを、改めて眺める。
それはまるで、自分に向けて投げかけられている言葉のような気がした。
1ヶ月後。
穂波はGW休みを使って、吉川の元を訪問した。
「素敵!自然も多くて富士山も綺麗ですね」
「あはは。まぁ、近くには温泉街もあるし、都内へのアクセスもいいし、旅行者としては最高の場所だと思うよ」
わざわざ最寄りの駅まで迎えに来てくれた吉川と、しばしのドライブ。
憧れの人のランドクルーザーの助手席で過ごす時間は、夢のようだった。
吉川が開墾しているキャンプ場予定地に連れてきてもらう。
出来上がったばかりのログハウスに、1週間ほど滞在させてもらう予定だ。
「ここ、吉川さんが作ったんですか?」
「業者に少し手伝ってもらったりもしたけどね。海外から取り寄せたキットを使えば簡単だよ」
「すごい!」
気がつけば吉川は、1年前より体格もがっしりしたような気がする。
ユンボを操作したり、危なげなく電ノコを使いこなすなど、会社にいる時とは違うワイルドな彼の姿にさらにドキッとしてしまった。
大自然を相手に、のびのび生きている吉川。
情報溢れる都会の中で疲弊しながら、組織の中で息をひそめて暮らしている自分が、くだらなく思えてしまうほどに輝いて見えた。
作業が終わった後は、焚火を囲みながらのアウトドアディナー。吉川は地元の漁港で仕入れた魚でアクアパッツァを作ってくれた。
味はもちろん最高。自然の中で食べると、さらに美味しく感じた。
― ここで暮らすのもいいなあ…。仕事はどこでもできる時代だもんね。
そんな人生計画がよぎった時、あることに気づく。
「吉川さん、ここの作業以外に、何かされているんですか」
「あー、それはいいから、穂波ちゃんの方こそどう?」
吉川はそういうと、気まずそうに視線を逸らす。先ほどから、自分の話は前のめりでするもの、穂波からの問いにはあまり答えてくれないのだ。
身の回りの生活のこと。不便なこと。家族のこと…。色々尋ねたいことはあったが、何かにつけてスルリとかわされてしまう。
「あ…今、只野さんのプロジェクトにアサインしてもらっていて」
「もしかして、スガラボで顔合わせした?いつもそうだよね、あの人」
そしてやけに、仕事や都会の話をしたがっているように見えた。
― あれ…?
缶ビールを片手に昨今のメディア事情について話す吉川の目は、純粋に輝いていた。それは、地元のことを語っている時よりも、ずっとずっと──。
◆
「…実はさ、情報に触れておかないと、自分が錆びそうなんだよね」
4日目の晩、焚火の前で吉川は静かに呟いた。
穂波の抱いた違和感に応えるように、滞在が進むにつれ、彼はだんだんと正直な現状を吐露するようになってきていた。
実は吉川は、時間があるとたびたび都内へと出かけ、“情報のインプット”に行っているのだという。
「え…じゃあ、どうして移住したんですか?」
「父が倒れて、妹がうるさいから帰ってきただけ。いざ戻ると、ヘルパーのおかげで大してすることなくてさ……」
大風呂敷を広げて退職し、その後の充実した日々をアピールしている手前、後戻りはできないという。
キャンプ場の開墾も、親の知人が計画しているものを手伝っている程度で、単なる暇つぶしだ、と言って笑った。
元広告マンとして地域活性のアイデアの売り込みをしていた時もあったが、田舎特有のムラ社会ゆえか、協力が思うように得られず、今は孤立状態だとも言っていた。
「外から見たら良く見えるけど、本当に何もないんだよ…」
滞在後半の吉川は、ずっと愚痴ばかりだった。
あんなに輝いていたように見えたのに、それが虚像であることをを知り、穂波はあることに思い至ったのだった。
― そうだ、先輩はブランディングが上手な人だった。
田舎にいる自分を受け入れられない、そんな自意識も透けて見えた。失敗したと思われたくない虚栄心も、もはや隠す余地すらない。
がっかりしながらも、実は穂波はそんな吉川の気持ちに共感しはじめていた。
滞在初日は何もかも新鮮で感動していたが、2日目にもなると、正直この生活には飽きてくる。
結局、残りの数日は、夜はスマホでNetflixばかり見て過ごした。
寒さや通信回線の遅さに不満をもち、旬の素材を生かした焼野菜や地元で獲れた猪のお肉よりも、ジャンクフードや星付きのコース料理が恋しくなってきていた。
消耗の実感はあっても、刺激があり便利な都会の生活が性に合っているのだ。
吉川もきっとそう。
それに気づけただけでも、有意義な1週間。そう率直に思いながら、穂波は最終日の夜にNetflixのドラマを見終えたのだった。
「私、先輩が本当に才能ある広告マンだってこと、改めて気づきました。また、来れたら来ますね」
やっと迎えた最終日、穂波はそう言って、キャンプ場を後にした。
吉川は心から嬉しそうに、いつまでも手を振っていた。
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