モラハラ夫と別れ、“籠のなかの鳥”からようやく自由になれる…
夫は、こんな人だった―?
周りに相談しても、誰も信じてくれない。子どもと一緒に夫の機嫌を伺う日々…。
最近、こんなモラハラ夫に悩む妻が増えている。
有能で高収入な男性ほど、他人を支配しようとする傾向が強い。
優衣(32)も、経営者の夫が突然マンションを買った日から、徐々に自由を失っていく。
広告代理店ウーマンから、高級マンションという“籠”で飼い殺される専業主婦へ。
彼女が夫から逃げ出せる日はくるのだろうか―?
離婚の意思を夫、雄二に伝えた優衣。だが、雄二は思いつく限りの悪言を放ち、相手にしない。優衣はとうとう、浮気の事実を突きつけるが、雄二は逆に開き直った。結局、しばらく別居することになったが…。
▶前回:「あなたと一緒にいても癒されない」浮気を問い詰めた夫は悪びれた様子もなく言い放ち…
夫、雄二が家を出て行ってから2ヶ月が経過した。
離婚の話し合いは進まないままだが、優衣は息子と2人、平穏な生活を送れている。
今日は東山からランチに誘われ、みゆき通りの『インターセクト バイ レクサス トーキョー』にやってきた。雄二にばったり出くわさない場所として、東山が予約を入れてくれたのだ。
時間ちょうどに店に着くと、東山はすでにテーブルに着席していた。
「社長とは、最近どうですか?」
開口一番、優衣を気遣ってくれる東山。
「弁護士の先生から、調停を申し立てた旨を連絡してもらいました。それと、生活費の支払いも申請してもらったんです」
別居して以降、夫からの生活費の支払いが途絶えていた。たかが10万円とはいえ息子もいるので、もらえるのなら受け取ったほうがいいと優衣は思ったのだ。
「とりあえず、仕事を始めようと思ってます。保育園、少し空きがあるみたいなので」
優衣は自分でも驚くほど、今では気持ちが前向きに変わっている。
「元気そうでよかったです。実は今日…」
東山が言いかけたところで、ランチのハラミステーキが目の前にサーブされた。
「おいしそう!」と思わず声をあげる。
スタイリッシュな盛り付けのメインに、サラダ、雑穀米。確かに、食の嗜好がオーセンティックな雄二が好まない店だと思った。
「食欲もおありのようで、安心しました。僕のほうも今日はご報告がありまして」
優衣はカトラリーを一旦置き、「ご報告?」と東山の顔を見る。
「ええ。実は僕、来月いっぱいで会社を辞めようと思っています」
「うそっ!」と優衣は心の中で叫んだ。雄二が自分の右腕と形容していた東山が辞めるとなると、会社に被る損害は大きいはずだ。
「なにかあったんですか?」
優衣が聞き返す。
「なにかと聞かれましても…。1つに絞りきれないほど、いろいろありますよ」
東山はおかしそうに答えた。
同じ悩みを抱える男性が、会社を辞めても実現したかったこととは
「入ったばかりの人も、社長からの仕事の無茶振りに疲れ、どんどん辞めていきます。僕は長く続いているほうですが、休日でも構わず仕事のLINEが来ますし、次から次へとタスクを課せられることにちょっと疲れてしまいまして」
東山によると、ちょっと見所がある人を見つけると集中的に仕事を振り、自分への忠誠心や仕事への真摯度を確かめているのでは、とのことだった。
「なんか、想像つきます」
話のさわりの部分を聞いただけなのに、会社の殺伐とした様子が目に浮かぶ。
「社長は事業拡大を希望しており、やれパーマカルチャーのデザインだ、家で栽培できるオーガニック栽培キットの開発だ、と手を出すのですが…。僕はそういう思いつきの経営姿勢に疑問を感じるようになりました」
東山がため息混じりに会社の実情を打ち明ける。
「東山さんもお疲れですよね…。辞めたいと思うのも仕方がないかと」
優衣が気の毒そうに言う。
しかし、東山は「いえ、そうじゃないんです」とやんわり否定した。
「社長のおかげでいろんなことに携わり、興味の範囲が広がりまして。実は、これを機に長野に移住して、循環農業に取り組もうと思っているんですよ」
「農業??」
細身でスーツが似合う東山からは全く想像がつかず、優衣は驚きを隠せなかった。
「僕、生まれも育ちも東京なので、昔から田舎暮らしが憧れだったんです」
長野の諏訪に移り住み、堆肥づくりから携わり、有機農法で野菜を作りたいと東山は熱っぽく語った。
そして、残念そうに付け足した。
「ただ、会社がこの先どうなるかは心配ではありますが…」
東山自身も、雄二の会社が現在既に不穏な経営状況に陥っていることは、ある程度予測していた。
「で、夫には退職の意思を伝えたんですか?」
すると、東山はおかしそうに笑いながら答えた。
「はい。退職したい旨を伝えたら、しばらく固まっていらっしゃいました。辞めるなら、損害賠償請求をするっておっしゃってましたよ」
― 言いそう…。
雄二の幼稚な態度が目に浮かぶ。
「結局、退職届は受け取ってもらえないまま、会社でもずっと無視されています」
雄二がやりそうなことだと優衣は思った。
東山と話をすることになれば、彼から退職の話が出てくるだろう。雄二はそのように無視し続けることで、東山の退職を食い止めようとしているに違いなかった。
「ま、来月には辞めますから大丈夫ですよ!それより辞めるまでに何かお困りのことがあれば、なんでもおっしゃってください」
雄二のことは、東山は大して気に留めていないようだ。
優衣は東山の厚意に甘えてみることにした。
「あの…実は1つ困っていることがあるんです」
優衣がそこまで言いかけた時、テーブルの上に伏せてあった彼女のスマートフォンが突然ブルブルと震えだした。
「あら?」
画面にはかつて勤めていた会社の上司の名前がある。
「ごめんなさい、ちょっと出てもいいですか?」
優衣は立ち上がり、席を外すと店の入り口付近で通話ボタンを押した。
自ら夫との関係を断ち切った優衣のその後の生活とは
籠から出た妻
2021年11月―。
終焉が見えないほど猛威を振るったコロナ感染症も、ようやく出口が見え始めた。まだまだマスクは手放せないが、国内に限って言えば自由に往来ができるようになった。
「雄斗、公文が終わったらビーチをお散歩しようか」
窓際のデスクで宿題に奮闘している息子に、明るく声をかけた。
息子の背中越しに窓の外に目をやると、向かいの大きな木に野生化したインコが2羽、羽を休めていた。
優衣は今、沖縄にいる。
2ヶ月ほど前に雄斗を連れやってきた。
ちょうど1年前の秋、『インターセクト バイ レクサス トーキョー』で東山と食事をしたあの日は、優衣に新しい仕事が見つかった日でもあった。
以前勤めていた会社の上司が別の会社に転職し、彼女が優衣に「うちで仕事復帰しないか」と声をかけてくれたのだ。
聞けば、海外からサステナブルな化粧品を日本に持ち込み、PRや販売をしていく会社。基本リモートだから、子どもがいても問題なく仕事をしている人が大勢いるという。
話はとんとん拍子に進み、優衣は願ってもない形で仕事を手にすることができた。離婚の話も、案外とスムーズに進んだ。
離婚調停を申し立てたが調停が始まる前に、雄二から離婚を承諾する返事をもらうことができたのだ。おそらく、調停で話し合いが長引くことで弁護士費用や、優衣に分与する金額が増えるくらいなら、ほどほどの金額を提案し、手を打とうと思ったに違いない。
優衣に分与する財産は、雄二が持っている現金の三分の一。養育費はひと月15万、そして、マンションは子どもが小学校を卒業するまで住んでいて構わない、という提案を受けた。
優衣に異論はなかった。
養育費に関していえば、15万が仮に雄二の年収から割り出される相場より安かったとしてもまったく気にならなかった。それまでの生活費は1ヶ月10万円だったのだから。
それに、彼の気が変わらないうちに事を進める必要があるとも思った。
東山に報告したところ、「優衣さんらしいですね」と笑われてしまったが。
「でも、正しい選択です。社長みたいな方は気まぐれですから」
東京を引き払って長野に行く間際、東山は、優衣の一番の悩みを解決してくれた。
優衣の自宅までやってきて、夫のディスカスを水槽ごと撤去してくれたのだ。
「社長に尋ねられたら、全部死んだと答えればいい。自分で世話してまで飼いたいとは思っていないでしょうから、水槽がなくなっていても大して気にしないはずです」
こうして、優衣は息子と共に本当の自由を手に入れた。
夫の顔色をうかがい、自分を抑制し、不自由さに耐えた、不遇な時代は、ようやく終わったのだ。
ここ、沖縄には雄斗が小学校に上がる直前までは住み続ける予定だ。
仕事は完全リモートで会社に行く必要がない。
同僚には、釣りが趣味で湖の近くに住み、リモートで仕事をしている人もいる。
優衣も、雄斗が小さいうちはたくさん自然に触れさせて育てたいと思い、沖縄への移住を決めた。
ピンポーン。
玄関のインターホンが鳴った。ドアを開け、宅配便を受け取る。
送り主は東山だった。
雄斗とともに箱を開けると、中にはぎっしりと林檎が詰まっていた。
「わー、こんなにたくさん!」
早速、東山にお礼のLINEを送る。
しばらくして送られてきたのは、広大な畑で楽しそうに収穫作業をしている東山の写真。
そして『優衣さん、彼氏できましたか?』とあった。
優衣はくすっと笑いながら返信する。
『作りませんよ。せっかく籠の外に出られたんだから』
そう返信して、もう一度窓の外を眺めた。さっきの木から野生化したインコが黄色い羽を翻し、飛び立っていった。
Fin.
▶前回:「あなたと一緒にいても癒されない」浮気を問い詰めた夫は悪びれた様子もなく言い放ち…