どんなに手を伸ばしても、絶対に届かない相手を想う。

結ばれることのない相手に人生を捧げる、女たちの心情を紐解いていく。

これは、「推し」がいる女たちのストーリー。

◆これまでのあらすじ

女性アイドル“高槻ゆず”の追っかけをしている真亜梨(25)は、恋人・翔(26)とのデート中、“推し活”をめぐってケンカになってしまった。悩んだ真亜梨は“男性”にLINEを送ったのだが……。

▶前回:金曜22時の家デート中。いい雰囲気から一転、男が突然不機嫌になった“女のある行動”とは




恋人と推しのあいだで悩む女・真亜梨(25)【後編】


「なるほど……。つまり、真亜梨ちゃんは、恋人と推しとのあいだで悩んでるってわけね」

蔵前の『シエロイリオ』で、8歳年上のアイドルオタク仲間・潤一さんとランチ。

潤一さんと、こうして2人で食事をするのは今日が初めて。

普段は複数人のオタク仲間で集まっているが、他のオタクは門外漢であろう“恋愛相談”がしたかったので、彼だけを呼び出した。

ちょうど、ゆずの生誕祭関連のLINEが潤一さんから届いていたので、返信ついでに誘いやすかったというのもある。

翔とのデート中に、私がオタク仲間からの電話に出てしまい彼が不機嫌になってしまったこと。そもそも普段から彼氏より、推しを優先することもある私に対し、翔がいい顔をしないことについて相談していたところだ。

目の前の潤一さんには、私と同じように“まったくオタク趣味のない彼女”がいる。でも大きな揉め事もなく3年以上付き合っていると聞いたことがあったから。

恋人に嫌な思いをさせず、かつ今まで通り楽しく推し活もしていくにはどうしたらいいのか。恋人との向き合い方を参考にするには、潤一さんが最も適任だと思ったのだ。

「僕は、彼女の前でアイドル関連の話は一切しないし、彼女も僕の行動には口を出してこないかな」

潤一さんは私とは違い、色んなアイドルのライブやイベントに足を運んでいる。多分、私以上に推し活に忙しい。

ほとんどのオタクには複数人の推しがいるので、私のようにゆずの現場しか行かないオタクのほうが珍しいのだが。

「でもまあ、潤一さんくらいカッコよくて稼いでいたら、ちょっとオタクでも文句は言わないですよね。なんで地下アイドル現場に来てるのか謎だね〜って、他のオタクたちも言ってましたもん」

潤一さんは長身でルックスがそこそこ良く、大手IT企業で働いている。誰にでも分け隔てなく接してくれて、コミュニケーション能力が高い。

地下アイドルのファンでは珍しく、いかにもモテそうなタイプの男性だ。

しかし、潤一さんは少し間をおいてから、表情ひとつ変えずにとんでもないことを言い放った。

「いや、まあ……僕はアイドルとの繋がり目的でライブ通ってるから」


潤一の言う“繋がり目的”とは…アイドル現場に通う信じられない理由とは?


「え!?繋がりって、個人的に連絡先聞いたり、外で会ったりする、アレのことですか……?」

「うん。これまで結構な数のアイドルちゃんと遊んできたよ。

あの子たちは男性との出会いが少ないし、部活感覚で活動してるプロ意識の低い子も多いから。仲良くなって、連絡先を渡せばホイホイ返してくれる子もわりといるんだよ」

アイドル界隈では、ファンとの“繋がり”行為はご法度だ。ファンとの繋がりが発覚し、辞めさせられるアイドルも多い。

そもそも、アイドルと繋がろうとするファンは嫌われる。みんな自分の推しを守りたいから当然だ。

しかし、地下アイドルライブに通う人の中には、ごくまれに出会い目的の“掟破りなヤバい人”もいると聞く。まさか、こんな近くに潜んでいたとは……。

「ゆずに、連絡先渡したりしてないですよね!?」

「ああ、さすがに…。ゆずは、若すぎるからね。だいたい22歳〜25歳くらいの子を狙うようにしてるよ」

一瞬ホッとしてしまったが、33歳の男が20代前半のアイドルに連絡先を渡すのも十分気持ちが悪い。

「……ていうか、潤一さん彼女いるじゃないですか。なんでそんな……」

テーブルの下で拳をぎゅっと握り締める。良識のある優しい人だと思っていた潤一さんに、こんな一面があったなんて。

「まあ、3年も彼女と一緒にいたら他の子と遊んでみたくなるよ。彼女は彼女で、ちゃんと大切にしてるよ」

悪びれもせず、ひどいことをしれっと言ってのける彼にゾッとする。困惑している私をよそに、潤一さんは続けて言った。




「真亜梨ちゃんも、たまには年上で余裕のある男と遊んでみたらいいんじゃない?僕みたいな」

「……」

私は、絶句した。

今までも気持ち悪い口説き方をしてくる男の人はいたが、これはトップクラスだ。

アイドルと遊んでいることを私に打ち明けたのだって、“俺はそれだけモテるんだぞ”って誇示したかっただけなのかもしれない。

― もしかして、遊んでる女の子の数が、男の価値だと思ってる……?

「い、いや、大丈夫です。私、彼氏とゆずにしか興味ないですし……」

私は手を振りながら、引きつった愛想笑いを浮かべる。すると潤一さんは、わざとらしく「やれやれ」といった素振りを見せた。

― 潤一さんを呼び出したのは、間違いだった…。

その後は、適当に相づちを打ちながら、彼の話を右から左に受け流してやりすごした。

彼の口から出てくる話題が“どれだけ人気のあるアイドルと繋がったか”という自慢話ばかりで、聞いていてうんざりした。


自分の行動を反省した真亜梨は、このあと翔に驚きの提案をする




帰り道、浅草線に揺られながら、今日の出来事を思い返していた。

潤一さんとはもう二度と顔を合わせたくないと思うが、彼の言うことに一理あるのは事実だ。

『ゆずのファン同士で交流して、相手と絶対に“何もない”って言いきれるか?』と言ってきた翔の言葉が頭をよぎる。

あのときの私は、ゆずのファンがみんないい人だと思っていたから「ファン同士で何かあるわけがない」と言いきってしまった。

実際に、もう何年もゆずを推しているが、他のファンから不快な思いをさせられたことは一度もない。だから余計に、今日の出来事がショックだった。

“アイドルオタク=無害”だと信じ込み、ちょっとだけ彼らに対してガードがゆるくなっていたことを猛省する。

私はゆずのファン歴が長く、現場にも頻繁に足を運んでいる数少ない女性ファンというのもあって、ゆずから特別扱いを受けている自覚はある。

他のファンにも“ゆずの推されオタク”として一目置かれているので、少し思い上がっていたところがあったのかもしれない……。

そんなことを考えていたら、私は居ても立ってもいられなくなり、急いでLINEを立ち上げ、翔にメッセージを送った。

『今夜時間ある?会って話したい』




「お疲れさま。わざわざありがとうね」

私が暮らす大崎のマンションまで、翔がワインやおつまみを持って会いに来てくれた。

先日の一件からお互いにモヤモヤした気持ちを抱えていたので、しっかり話しておきたいという思いは同じだったらしい。

グラスを2つ出してワインを注ぎ、少し気まずい空気の中乾杯をする。

「……この前はごめん。俺が悪かった」

翔はうつむきがちに謝罪の言葉を口にする。私は小さく首を横に振り、彼のほうに身体を向けた。

「こちらこそごめんね。翔の言ってた意味、よくわかったよ。……これを機に、私、オタク仲間から少し距離を置こうと思う」

翔は「そんなことしなくていいよ」と言ってくれたが、私はもう一度首を横に振ってそれを否定する。

「翔のせいじゃないよ。私もちょっと色々あって、反省しなきゃなって思ったし……。オタク仲間と群れるのも楽しいけど、大切な人を不安にさせるのは嫌だからさ」

翔は何も言わず、ただうなずく。私はグラスのワインを一口飲んで「だからね」と笑った。

「ひとりが寂しいときは、翔とライブに行きたいなと思って」

「……は?え、俺を?無理無理。アイドルとかマジで興味ないから」

「いや、絶対に連れて行く。ゆずにも『今度彼氏紹介するね』ってリプしちゃったし」

私がケラケラ笑いながら言うと、彼は予想通り拒絶反応を示す。

翔は、UKロックしか聞かないし、俳優ならキーラ・ナイトレイが好きだ。彼が、アイドルにハマらないことはよくわかっている。

でも、恋人には少しでもいいから理解してほしい。私がどれほどの思いで、ゆずを推しているのかを。

私の熱狂ぶりを知ってもらうには、ライブに連れて行くのが一番だし、どうせならゆずの魅力を少しはわかってほしい。

「生誕祭、2名で予約しちゃうからね。よろしく」

「はぁ?まじでダルいんだけど……。それ、いつ?」

私のスマホを覗き込み、ため息をつきながらも自分のGoogleカレンダーをチェックする彼。そんな姿を見て、思わず笑みがこぼれる。

― やっぱり、翔のことは大事にしよう。

なんだか急に幸せな気分になって、彼の肩に頭をあずけた。

「もしアイドルにハマっても、繋がりとかしちゃダメだからね〜」

「つながり……?何それ、よくわかんないけど、絶対ハマらないから大丈夫」

彼氏を連れて行ったら、きっとゆずは目を丸くして、喜んでくれるだろう。

天使のような笑顔を思い浮かべ、私は胸がいっぱいになった。

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