「勤続10年」、今のご時世で10年も同じ会社で働いているのは幸せなことである。が、しかし、同時に新しい挑戦や可能性に踏み出せていないケースもある。

2017年の春に大学を卒業した女性の就職率は98.4%を記録した。しかし、新卒で就職したものの、3年以内の離職率は30%近いという調査結果もある。

今、アラサーと呼ばれる世代は大卒で入社した場合、職場ではちょうど10年選手。正規雇用にこだわらず、派遣やパートを選んで働く女性も増えてきた中、同じ職場で10年間働き続けてきた「10年女子」の彼女たちは、いったい何を考えているのだろうか?

「キャリアアップは?」「結婚は?」「貯金は?」、そんな「勤続10年女子」たちの本音に迫ってみた。

今回登場するのは、調味料などを製造販売する食品会社で、営業として働いている彩さん(仮名・33歳)。

彩さんは、肩までの黒髪を後ろにひとつにまとめ、自眉を生かしたナチュラルな太さの眉毛と、軽くマスカラを塗っただけの目元、透明感のあるリップグロスというような、素肌感が残るナチュラルメイクが印象的。白いシャツの上からピンクパープルのV字カーディガンを羽織り、グレーのパンツを合わせた着こなしは、親しみやすそうな雰囲気がある。

「コスメは、試供品やドラッグストアで売っているプチプラで済ませています。洋服も、同じようなテイストのものを色違いで揃えて、時短コーディネートを心がけているんです」

そう語る彩さん。器が好きで、たまに好きな作家の食器を買う以外には、大きな贅沢はしていない。主な収入の使い道は、家賃や光熱費など生活費のほか、大学時代に借りていた奨学金の返還にあてていたという。

彩さんが堅実な生活を心がけるのには、理由があった。彼女は東京生まれたが、4歳の時に両親は離婚をしたため、母の実家である千葉県船橋市で育った。父は公務員をしていてまじめな性格だったが、暴言や束縛など家庭内でのモラハラが酷く耐えられずに母は離婚したという。母子家庭となり、母は昼は楽器を扱うメーカーの営業、夜は知り合いの飲食店の手伝いをして生計を立てた。彼女が中学に入学するまでは、母がいない時間は祖父母の家で過ごした。祖母は料理が苦手だったため、小学校高学年になると、自ら台所に立って料理をするようになった。家に置いてあった料理本を見て、足りない食材は別の食材を使うなどアレンジして作ることが楽しかった。

母親が突然のリストラ。高卒を大卒と偽っている母の履歴書を発見……

中学では、道具をそろえたりする必要がある運動部はあきらめ、生物部に所属し生物の生態を本を読んで研究したり、学校で飼育している動物の面倒などをみたりした。子供のころから動物や、虫などに興味があり、図鑑を眺めるのが好きだった。将来は、獣医や農学部などに進学したいと考えたこともあったが、学費の負担などを考えると母には言い出せずにいた。高校は、祖父母に支援してもらいながら、自宅から自転車で通える県立に進学した。

高校に入ると、ショッピングモールのフードコートの店員や、焼き肉屋でバイトを始めた。友達と遊びに行ったりするお金や、漫画を買う以外は、欲しいものが浮かばなかった。祖父母も高齢化し、金銭的に余裕がなくなっていた。光熱費の督促状や、家賃の催促の電話がかかってくるを見ると、置いてあった母の財布に数千円入れることもあった。

彼女が高2の時に、正社員ではなかった母は、長年勤めていた楽器店を営業不振が理由でリストラされた。彩さんの母は資格やパソコンスキルがなかったため、なかなか再就職先が決まらなかった。ある時、テーブルの上に置いてあった母の履歴書を見ると、学歴をごまかし大学卒と書いてあった。母に問いただしてみると、事務のパートに申し込むために、高卒だと採用されないと思ったと語った。それを見てから、自力で勉強をして大学に進学しようと決めた。「母子家庭が負の連鎖って言われたくない」。そう自分に言い聞かせて、バイトも減らして大学受験に向けて勉強を励んだ。

彩さんは、母親に大学に進学をしたいと相談した。進学には積極的ではなかった母だったが、自宅から通える範囲の学校で、現役で合格することを条件に許してもらった。数学が苦手であったため、理系の学部では現役合格が難しそうだと感じた。高校の先生にも相談し、なるべく仕事に生かせそうな文系の学部を調べた。彼女の学力でも入れそうだった家政科の栄養学科を受験し、進学。進学先の学科では、栄養士の資格は取得できなかったが、フードコーディネーターの資格や、食分野の知識を身に着けることができた。大学4年間は、貸与型の奨学金をもらいながら、勉強を続けた。

いつか将来は、食材にこだわったカフェの経営もしてみたいと思っている。

母子家庭をバカにした彼氏と別れ、仕事一筋に。慣れない営業職を頑張り、奨学金を繰り上げ返還!〜その2〜に続きます。