「私、小学校から大学までずっと同じ学校なの」

周囲からうらやまれることの多い、名門一貫校出身者。

彼らは、大人になり子どもを持つと、必ずこんな声をかけられる。

「お子さんも、同じ学校に入れるんでしょう?」「合格間違いなしでいいね」

しかし今、小学校受験は様変わりしている。縁故も、古いしきたりも、もう通用しない。

これは、令和のお受験に挑む二世受験生親子の物語。

親の七光りは、吉か凶か―?

◆これまでのあらすじ
名門一貫校出身の果奈は、息子の翼を小学校から同じ学校に入れたいと考えている。共働きでの受験準備に疲弊していた果奈だが、実母の手伝いで負担は軽くなった。しかしママ友・彩香とすれ違い、実質的な決別宣言をされてしまう。

▶前回:「俺は経営者だから…」息子の小学校受験対策に追われるなか、夫が放った見過ごせない一言




Vol.8 よそよそしいママ友


「先生、ありがとうございました。さようなら」

いつもの幼児教室の授業終わり。

子どもたちが元気な声で終わりの挨拶をすると、一番前の席に座っていた翼が、真っ先に果奈のもとに駆けてきた。

土曜日の幼児教室に彩香、アン親子が来なくなってから数ヶ月。

季節はあっという間に春になり、翼は保育園でも年中クラスに進級した。

土曜日クラスは少し雰囲気が変わった。

お受験をやめる、引っ越しをする。様々な理由で何人かが幼児教室を去る一方で、まだ幼さの残る新しい子どもたちが年中クラスに加わった。

― 彩香さん、どうしてるかな。

果奈は今も、彩香からのLINEに返信できずにいる。

仕事をセーブする、と言っていた彩香。今後のキャリアに影響はなかっただろうか。

アメリカ人の夫は、外銀勤めだと言っていたので、彩香が仕事をセーブしても金銭的には全く問題はないだろう。

しかし果奈は、同じワーママとして、キャリアを中断するという選択をした彩香にもどかしさを感じていた。

― 母親だけが何かを犠牲にするなんて、間違っている。

切実な思いを彩香に伝えたかったが、実際のところ、今の果奈の生活だって母の犠牲のもとに成り立っている。

現実を考えると、どんな言葉を送ればいいのかわからず、返信を打てないのだ。

― 私たちはしょせんママ友。余計なおせっかいはやめておこう。

果奈は気を取り直すと、笑顔を作る。

「お帰り、翼!明日は試験本番みたいな練習するから、がんばろうね」

― そう、明日は難関校模試。彩香さんたちも来るかな?

頭の片隅で、彩香とアンのことを考えながら翼の髪をなでた。


翌日の日曜日。

果奈と翼は、難関校模試のために再び幼児教室に来ていた。

― あっ、彩香さんとアンちゃん。

果奈が2人を見つけたのと同じタイミングで、彩香も果奈たちに気付き、軽く会釈をする。

子どもたちを模試へ送り出すと、彩香が話しかけてきた。

「果奈さん、この前…最後にお会いした時は失礼しました」

「大丈夫よ。それより、アンちゃんはどう?」

果奈はできるだけ自然に、アンの様子を聞く。

「相変わらず、全然日本語が上達しない。この調子ならお受験もやめる」

お受験をやめれば夫の海外転勤からは逃れられないが、彩香さえそれを受け入れれば万事OKだと言うのだ。

「そもそも家族で日本に住みたい、親を見返したいっていう私のわがままで始めたお受験だしね」

「そっか…。彩香さんがそれで納得しているなら良いと思う」




彩香は、ぎこちない笑顔になった。

「…また上から目線?私は大丈夫よ。もしウィリアムが転勤になったら、専業主婦生活を満喫する。通訳の仕事だっていつでも再開できるしね」

これで失礼します、と言って、彩香は果奈から離れた保護者席に座った。

行動観察、運動考査、様々な試験を終えて、翼とアンが戻ってきた。

「頑張ったね、翼。帰りに『アルノー・ラエール』のケーキ買って帰ろうか」

果奈は、彩香と退出が一緒にならないように、急いで翼の手を引いて、幼児教室を後にした。

「ケーキ食べたら、ひも通しと、お箸の練習しようね」

長時間の試験を終えてさすがに翼もぐったりしているので、果奈は努めて明るい声で言った。

― 彩香さんのことなんて、いちいち気にしていられないわ。

模試の結果が出るまでは、数週間かかる。それまでに苦手分野を克服したい。

― 今週は仕事も立て込む予定だから、今日のうちにプリントも整理して、平日の学習計画を立てないと…。

果奈は、『アルノー・ラエール』への道を歩きながら、頭の中で素早く考えた。




「翼くん、果奈、お帰り。今日はたけのこごはん作ったわよ。デザートは初物のさくらんぼにしましょうね」

家に帰ると、母が食事を用意して待っていてくれた。

旬の食材をふんだんに使った手料理の数々。

仕事をしている果奈には絶対にできない母の心配りに、果奈は甘えざるを得ない。

― 私と光弘の力だけでは、今の翼の成長はなかったわ。

果奈は、幼児教室の先生方の指導力にも舌を巻いていた。

翼が走り回ろうが叫ぼうが、止めないで見守るように、という先生方の指示を守り続けた。

おかげで翼は物おじしない元気な男の子になり、お受験では一番大切といわれる「自信」と「子どもらしさ」を兼ね備えた子どもになったのだ。

「翼さん、ぱっと目を引く元気なお子さんになりましたね。こればかりは訓練で身に付けるには限界があるんですよ。お母様、見守り頑張られましたね」

先生にそう言われた時、果奈はやっと自分たちがスタートラインに立てた気がした。

― この調子なら、啓祥学園だけじゃなくて、他の難関校も狙えるかも?

5月も終わりに近づくと、果奈の期待は日に日に高まるばかりになる。

小学校受験本番まであと1年半。母の強力なバックアップを受けた、果奈と翼の二人三脚は、この上なく順調だった。




数週間後の土曜日、幼児教室へ向かう果奈の足取りは重い。

果奈は、話しかけてきた同じクラスの子の母親に、自分を含めた兄弟全員が啓祥学園出身だと口を滑らせてしまった。

そのせいで次の週には、クラスの保護者ほとんどが、翼が“二世受験”であることを知ることになった。

以来、ある母親からは啓祥学園の先生の紹介を頼まれ、先週はネイビースーツのメーカーまで聞かれ、気まずい思いをしている。

「啓祥学園の志望動機に、果奈さんから受験を勧められたって書いても良いですか?」

そんなとんでもないことを言い出す母親まで現れる始末だ。

― 私たちだって、他の受験生と同じなのよ。

いくら説明しても、「やっぱり名門校って閉鎖的なんですね」と完全に誤解されている。

― 何を言われても、気にしないこと。不屈の精神で頑張るしかないわ。

啓祥学園のモットーである、「不撓不屈」を思い出しながら幼児教室の入り口に着くと、翼が大きな声で叫んだ。

「先生、こんにちは。あっ!」

翼は一目散に待合室の方に走って行ってしまう。

果奈が翼を追いかけていくと、平日のクラスに移動したはずのアン親子が、待合室にいた。

「仕事が調整つかなくて、今日だけ土曜日に振り替えてもらったんです」

彩香は、果奈と目線を合わせないように言うと、これ以上話しかけるな、というかのように膝の上でノートを広げ出した。

― そんなによそよそしくしなくても良いのに。

果奈の心は、さらに重く沈んでいった。




授業が始まり、いつもの発表の時間が始まる。

「お名前と、大きくなったらなりたいものを教えてください」

先生がアンに明るく話しかける。

10秒、11秒…。アンは、棒立ちになったまま、しゃべらない。

先生があきらめてインタビューを終わらせようとしたその時、アンは突然大きく息を吸った。

「私はリー・アンです。4歳です。大きくなったら、お母さんと同じ、つうやくの人になりたいです」

大きな声でしゃべり始めたアンに、先生も目を大きく見開いている。

「お父さんは、英語の人なので、日本のおばあちゃんと一緒のおしゃべりができません。だから、私がつうやくの人になって、みんなでおしゃべりしたいです」

― アンちゃん!

突然よどみなく日本語を話し出したアンに、果奈は胸が熱くなった。

涙が出そうになるが、なんとか翼の発表を見届けてから、化粧室に駆け込む。

「果奈さん!」

化粧室には、すでに彩香がいた。涙をぬぐった後なのか、メイクがだいぶよれている。




「先生からは、無理に日本語を強要しないで、見守るようにって言われていたの。そうしたら…」

彩香の声は上ずっている。

「アンちゃん、あんなにしっかりお話できてすごいよ!」

果奈は、彩香から距離を置かれていたことも忘れて、夢中で彩香の手を握った。

「本当に良かった!…果奈さん、今までごめんなさい。多分私、果奈さんがうらやましくて、八つ当たりしてた」

「全然気にしていないよ。私のほうこそ無神経だったよね。ごめん」

果奈は、彩香とまた話ができるようになるのならば、そんなことはどうでも良かった。

「果奈さん。私、本当はお受験やめたくなんてない。日本で家族みんなで暮らしたい!」

「うん。母親だけが何かを犠牲にするなんて、絶対に間違っているよね!」

彩香は力強くうなずいた。

涙が止まらない彩香を化粧室に残して、果奈は待合室に戻る。

さっきまで感じていた二世受験への色眼鏡などどうでも良いとさえ思えるぐらい、胸の中が温かくなっていた。

授業の最後にマザーリングを終えると、果奈と彩香は目線を合わせて微笑み合った。

一緒に帰ろう、そう彩香に声をかけようとした時、果奈は先生に呼び止められた。

「翼さんのお母様、少しお話よろしいですか?」

― あら、何かしら?

翼の勉強は順調に進んでいる。果奈は何も不安に思うことなく、応接室に足を踏み入れた。

▶前回:「俺は経営者だから…」息子の小学校受験対策に追われるなか、夫が放った見過ごせない一言

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成長を見せる果奈と彩香の子どもたち。呼び出された果奈が聞く、衝撃の事実とは?