◆これまでのあらすじ
人気女性誌のWeb媒体でコラムの編集をする優斗(34)。過去の恋愛で、3回連続「そういうとこだよ」という言葉で振られてきた。元恋人・美紀から突然呼び出され、ホテルのラウンジで3年ぶりに再会。「そういうとこ」の答え合わせをまたひとつ達成したら、今度は編集部で…。

▶前回:3年前に破局した元カノから突然の呼び出し。カフェで再会したら“あるモノ”を手渡され…




Vol.6 辞めないで欲しいから…


― これ…『ざびえる』じゃないかっ!

2週間ぶりに出社すると、デスクに大分銘菓が置かれていた。それも、1個だけじゃない。12個入りがまるまる1箱も…だ。

付箋には「林さん、出張のお土産です」とだけ書かれている。

バターのガツンとくる濃厚な甘さ。それと、純和風の白あんが醸しだす上品な甘さは、控えめに言って自分史上最高のバランスだ。

ラム酒漬けのレーズンが入った“金”の『ざびえる』は、そこに芳醇さが加わってまたいい。

ひと口でノスタルジックな気分に浸らせてくれるこの和洋折衷菓子が、僕は昔っから大好きなのだ。

― でも、誰からだろう?僕の好物を知ってる人…っぽいよな。

編集部内を見渡そうと、おもむろに顔を上げる。暗転したデスクトップの真っ暗な画面には、『ざびえる』の箱を胸に抱え、頬が緩んだ自分の顔が映る。

そして、そのすぐうしろには…長い髪をした女性の人影が薄ぼんやりと映っていた―。


僕の目は、デスクトップの暗い画面にくぎ付けになる。

― へっ…!?誰?

女性の顔が僕の耳もとにスーッと近づくと、唇がかすかに動いた。

「相変わらず、お好きなんですね…」

「なっっ!!」

勢いよく振り返ると、そこには半年前に別れた恋人・まど香が立っていた。

4歳下のモデル。彼女もまた、「そういうとこだよ」という言葉で僕を振った1人だ。

「まど香?あっ、井原…さん?」

「副編集長〜!もう、さっきからずっと声をかけてるんですけど」

言われてみれば、聞き覚えのある声が耳に届いていたかもしれない。

「あ、いや…ごめん」

「無視されてるのかと思いました。というのは、ウソですが…それにしても、デスクトップに映る副編集長って横浜流星くんにそっくりですね」

彼女は、僕の顔とデスクトップに映るシルエットをまじまじと見比べてくる。

「いやいや、それはないって!えっと…今日は撮影?」

「違います」

「え?じゃあ、どうしたの?」

「実は私、今日から…」

まど香が言いかけると同時に、編集長に声をかけられた。

「林くん、ちょっといい?」




「井原さん、ごめん。呼び出されるから、戻ってからでもいいかな?」

間髪入れずに、まど香が続ける。

「今日は帰ります。あと、その『ざびえる』私からなんで。今後ともよろしくお願いしますね、副編集長っ!」

「ん?今後とも…?」

彼女の含みを持たせた言い方のワケは、すぐにわかった。




「林くん、ちょっと相談させてもらいたいんだけど。編集を担当…っていうか、ワードプレスの使い方から教えてもらいたい新人ライターさんがいるのね」

「僕に、ですか?」

「そう。今週のタスクってどんな感じ?」

「おかげさまで問題ありません。しばらくテレワークにしてもらってましたし、僕でよかったらぜひ担当させてください!」

編集長は、緊張が緩んだ顔をする。

「そう?ありがとう!ライターさんって、さっき林くんと話してた井原さんなんだけど。知り合いだったの?」

「え、えぇ…まぁ。前に担当していた雑誌の…撮影モデルをお願いすることがありまして…」

― まど香を担当するのか。

僕は、自分のやる気に少しだけ後悔した。

だけど、まど香と僕が付き合っていたことは誰も知らないはず。動揺して、余計なことをしゃべらないように口を固く結ぶ。

「じゃあ、念のためCCでメール送っておくから。とりあえず、週1本ペースでお願いね」

― 敬語を使ってるから、変だな〜とは思ったんだよ。“副編集長”って呼んでたのも…そういうことか。

その日の午後。

昼休憩から戻った僕は、個人的な知り合いという考えと未開封の『ざびえる』から一旦距離を置き、ビジネスモードでメール作成画面を開いた。

「“投稿マニュアル”は…、と」

新規ライター用に作られたマニュアルを添付して、彼女にメールを送る。まずは資料を読んでもらい、ルールに則って1記事書いてもらうのだ。それをもとに、ワードプレスの細かな機能や原稿の修正点を伝えるつもりでいる。

ところが、夜になって返ってきたメールは、僕が思っていたものとは少し違っていた。

「あれ、短っ…?」


『井原まど香(1993年生まれ・モデル/発酵食品ソムリエ/温活アドバイザー)』

…フリーモデルのまど香が編集部に提出した経歴書には、新たな肩書が追加されていた。

― へぇ、発酵食品の資格を取ったのか。それに温…活?も。いつ勉強したんだろう。

腸活と温活、面白い連載になりそうだ。ただ一方で、なぜ彼女がライターに…という疑問が残る。



彼女との出会いは、2年前。

僕がアウトドア雑誌の編集をしていた当時、撮影を依頼することが何度かあって、親しくなった。

ある日、都心から離れた某県のキャンプ場へ移動する車内でのこと。

「“アーシング”って、気持ちいいんですよ〜。裸足で地面に触れるだけなんですけど、忘れていた感覚を取り戻せるっていうか。体も心も余計な力みが抜けて、スーッと軽くなれるんですよね」

モデルの中には、屋外…しかも山奥や海辺での撮影に露骨に嫌な顔をする人も珍しくない。どうにかして雰囲気を盛り上げようと必要以上に気を使い、グッタリ疲れるなんていうこともよくあった。

だから、自然の中でも楽しみながら撮影に臨んでくれる、彼女の気さくで飾らない人柄に惹かれて僕から交際を申し込んだ。

― そのまど香が…どうしてライター?

ブログやSNSでさえ滅多に更新しないし、ましてやライターに興味があるだなんて。これまで、まど香から聞いたことはない。

だが、彼女から送られてきた端的なメールには、好印象を抱かずにはいられなかった。

『まど香:マニュアルを拝読しました。もしご迷惑でなければ、お時間があるときにレクチャーしてもらえませんか?一度でしっかり覚えたいです』




コロナウイルスが流行したとき。

「ライターになりたいです」「お仕事ください」といった類の連絡が、編集部にも僕個人にも後を絶たなかった。

特にWeb媒体でのライター業は、在宅で気軽にできる…くらいに思われていたのかもしれない。

実際に他部署につないで仕事を依頼したこともあった。でも、納期を守ってもらえなかったり、修正指示に対してあからさまに不満げな反応をされたりすることもあったらしい。

さりげなくフェードアウトされてしまうのは、当たり前。長く続けてくれる人はあまりいなかった。

― まど香はどうだろう…?

正直、半信半疑だ。けれど、僕はすぐにそんな自分をぶん殴ってやりたくなった。




「タイトルとリード文、写真は…うん、大丈夫そうだね!じゃあ、本文は…」

メールでやり取りをした数日後。

まど香と僕は、編集部の一角にある応接スペースで、それぞれのノートパソコンを並べていた。

「大見出しは“H2”ですよね…えっと、ここから…」

「そうそう、じゃあワードに下書きしてもらった原稿を貼り付けて、ひと通り整えてみようか」

彼女がこんなにも意欲的に取り組んでくれるだなんて、意外だった。とはいえ、まだ始めたばかりだ。

― 今日のところは、一気に詰め込みすぎないほうがいいよな。「これなら続けてみようかな」くらいに思ってもらえれば…。

そう思ってはいても、早めに直しておいてもらったほうがいい「書き手独特のクセ」もある。

「あーあのさ、井原さん。全体的にすごくいいと思う!Web記事だから、多少はカジュアルな言い回しでもいいんだけど…。

そうだな、もしすごくこだわりがあるワケじゃなかったら、もう少し文体を硬めに…ってできるかな?」

「あの…もう一度お願いします」

― もしかして…言い方がまずかった?

まど香の声には、どこか“イラつき”が混じって聞こえた。

「あ、うん。えっと、例えばここなんだけど…。“〜♡”はうちではあんまり使わないかな。できれば、いや…基本的には“です・ます調”で統一して、“!”も控えたい…です」

さらには、強い目力で僕のことをジッと見つめてくる。

「副編集長…私からもいいでしょうか?」

「は、はいっ」

彼女のどすが利いた声に、半年前「そういうとこだよ!」と吐き捨てるように振られた記憶がよみがえる。

このあと、僕は一体何を言われるのだろうか―。

▶前回:3年前に破局した元カノから突然の呼び出し。カフェで再会したら“あるモノ”を手渡され…

▶1話目はこちら:早大卒34歳、編集者。歴代彼女に同じセリフで振られ…

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「そういうとこだよ」最後の女性・まど香は、優斗に何を伝えるのか…。