彼の経済力をあてにして結婚した女。しかし、夫が亡くなったあと遺言状には衝撃の文言が…
何不自由ない生活を送っているように見える、港区のアッパー層たち。
だが、どんな恵まれた人間にも小さな不満はある。小さな諍いが火種となり、後に思いがけないトラブルを招く場合も…。
しがらみの多い彼らだからこそ、問題が複雑化し、被害も大きくなりやすいのだ。
誰しもひとつは抱えているであろう、“人には言えないトラブルの火種”を、実際の事例から見てみよう。
記事最後には弁護士からのアドバイスも掲載!
Vol.8 夫の遺言書に隠された真実
【今回のケース】
■登場人物
・妻=黒木渚紗(31)主婦
・夫=政徳(45)老舗食品会社『黒木フーズ』社長
・夫の弟=蒼汰(38)『黒木フーズ』社員
出張先で亡くなった夫の遺言書が見つかる。妻の名前がないが、果たして遺産を相続することができるのか。
「遺言書に私の名前がないですって!?」
渚紗は電話口で、思わず大きな声を上げてしまう。
先日、夫の政徳が急性心不全で亡くなった。政徳は、3代続く老舗食品会社『黒木フーズ』の社長であり、出張先での訃報だった。
葬儀を終え、遺品整理をしていたところ、金庫のなかから遺言書が見つかったと、副社長の水口から報告を受けている。
政徳はマメな性格であり、遺言書を残していても不思議ではなかったのだが、その内容に驚きを隠せない。
「じゃあ、遺産は…。いったい誰に?」
「それが、蒼汰さんにすべて譲ると…」
「はぁ!?」
蒼汰は政徳の弟だ。プロのミュージシャンを目指していたが、夢を諦め、昨年黒木フーズに入社したばかりだった。
そんな蒼汰に、財産の大部分を占める、保有している自社の株式をすべて譲るというのだ。
渚紗は、当然のごとく財産の半分を相続するつもりでいた。企業価値をざっと見積もっても、3億円が自分のもとに入ると算段していたのに…。
渚紗は、納得のいかないまま電話を切る。
― なんで蒼汰さんにだけ…。
理由を考えると、渚紗にはひとつ、思い当たる節があった。
政徳が生前、時折口にしていたある言葉を思い出す。
「俺はあいつの大事なものを奪ってしまった」
酒を飲んだときなど、どこか感傷に浸るようにつぶやいている政徳の姿が記憶によみがえる。
政徳は蒼汰に対して、後ろめたい感情を抱いていたのかもしれない。
大事なもの…。
それが何なのか、直接尋ねはしなかったが、渚紗には察しがついていた。
― 遺産のすべてを彼に託したのは、その罪滅ぼしだとでもいうのだろうか…。
◆
政徳が弟から奪った大事なものとは
「蒼汰の兄の政徳です」
6年前、渚紗はそう挨拶を受け、名刺を渡された。
蒼汰はバンド活動をしていて、インディーズとしてはかなり人気があり、ワンマンライブをおこなった。
渚紗はそのころ、蒼汰からアプローチを受けており、ライブに誘われ打ち上げに参加する。会場となった居酒屋で紹介されたのが、政徳だった。
「黒木フーズ…。え、副社長!?すごいですね!」
「いやあ、家族経営の会社なのでたいしたことは…」
そこで初めて、蒼汰も老舗食品会社の社長の息子であることを知る。当時は、政徳もまだ副社長のポジションだった。
兄の政徳は、弟がバンド活動をしていることについて「羨ましい」と語っていた。
「実は僕も昔、小説家を目指していたんです。でも、才能がなくて…。結局すぐに挫折して、うちの会社に就職しました。あいつには、僕の分まで頑張ってほしいんです」
政徳が照れくさそうに言う。
だから、時間を見つけては弟のライブに足を運んでいるのだと語った。
その日以来、渚紗は、政徳と頻繁に連絡を取り合うようになり、自然な流れで交際が始まる。
蒼汰には、政徳との交際について伝えておかなければならない。非難を浴びることは覚悟のうえで、渚紗は自分の口から経緯を話す。
すると…。
「相手が兄貴なら仕方がない」
思いのほかあっさり受け入れられた。
「兄貴のおかげで、音楽を続けることができているから…」
蒼汰は非難するどころか、兄に対して感謝の言葉を口にする。
2人は互いに認め合い、敬意を払い合っている。うわべではない、深い絆で結ばれているのが伝わってきた。
しかし、音楽の世界はそれほど甘くはない。
蒼汰のバンドはなかなか日の目を見ず、徐々に勢いを失い、解散となってしまう。
しばらく蒼汰はソロで活動をしていたものの、順調にはいかず、政徳の勧めで黒木フーズに就職することになった。
入社してしばらくは、仕事に熱意を持てず身の入らない状態のようだった。
そんな姿を見て、政徳はいたたまれなく感じたのだろう。
「俺はあいつの大事なものを奪ってしまった」
そう呟くようになる。
夢を失い、生き甲斐をなくしたかのような弟の姿に、胸を痛めたに違いない。
蒼汰から奪ってしまった“大事なもの”。せめてそれだけでも残してあげたかった…と後悔の念に駆られたのかもしれない。
大事なもの…。
それは何なのか。きっと、かつてアプローチをかけ、手に入れたいと思っていた人物…。
― つまりは、私。
渚紗はそう確信していたのだが、のちに意外な真実を知ることになる。
「それは、たぶん違うと思う」
蒼汰の言葉に、渚紗は耳を疑った。
渚紗は遺産についての相談をするために、神楽坂にある『一宇』に蒼汰を呼び出した。2人きりで食事をするのは、何年ぶりのことだろう。
そこで、政徳が生前に口にしていたあの言葉を伝えた。
「俺はあいつの大事なものを奪ってしまった」
大事なものとは自分のことであり、そんな大切な存在であるにもかかわらず、財産を何も残さないとは考えにくい。なんとかならないかと話を持ちかけたところでの、蒼汰の返答だった。
「違うって…なんでそんなことが言えるの?」
渚紗は、思わず語気を強める。
「兄貴、渚紗さんには話してなかったんだね…。もう、3〜4年前になるかな。俺のバンドさ、メジャーデビューの話があったんだよ」
「メジャーデビュー…?」
「そう。ある曲を、レコード会社が気に入ってくれてさ。その曲の作詞をしてくれたのが兄貴だったんだよ。俺が依頼したんだ」
そういえば、政徳がかつて小説家を志していたことを思い出す。
「でもさ、デビュー直前になって、その歌詞に盗作疑惑がかけられたんだ。兄貴はそんなはずないって言ってたし、俺もそう信じたけど…。完全に信用を失っちゃってね」
そして、先の見えなくなったメンバーはバンドを離れていき、解散になってしまったとのことだった。
「兄貴は、たぶんそのことを言ってたんだと思う。気にしてたんだな…」
2人のあいだにしばらく沈黙が流れる。抱える思いは、それぞれまったく別のものだったが…。
「俺、頑張るよ。兄貴から受け継いだ会社、しっかり支えていく」
蒼汰が、かつてステージで見せていたような瞳でそう言うと、渚紗はどこか上の空でうなずいた。
◆
渚紗は、政徳の言葉が自分の勘違いであったことは理解したものの、遺言書に関してはやはり納得がいかない。
本当に、一切何も財産を得ることができないのか。
遺言書の有効性などの話を聞くために、銀座に事務所を構える青木聡史先生のもとを訪れた。
〜監修弁護士青木聡史先生のコメント〜
一定の様式に従って作成された遺言書は有効である
遺言書には、「自筆証書遺言」「公正証書遺言」などの種類があります。自筆証書遺言とは、遺言者が自筆で書いて作成したもの。公正証書遺言は、公証人役場で公証人のもとで作成されたものです。
今回のケースでは、いずれの遺言書にしても、一定の様式に従って作成されたものは有効であり、もちろん効力があります。
自筆証書遺言の場合、一番最後に作成されたもの、日付が最新のものが優先されます。
死後、遺言書が何通も出てくることがあり、どれが最後に作成されたものかということで遺産相続が争われるケースもあります。
妻には遺留分を侵害されたとして遺留分減殺請求(清算金の請求)をする権利がある
遺言書により、妻側に一切配慮されていなかった場合でも、「遺留分」というものがあります。
遺留分とは、亡くなった夫の兄弟以外の近しい関係にある人の最低限保障される遺産取得分のことです。
遺産には、「法定相続分」が存在します。法定相続分とは、配偶者や子ども、親、兄弟などの法定相続人に認められる相続割合のことです。
今回のケースでいえば、妻側としては、子どもがない場合には、3/4を妻側が、1/4を夫の弟が相続するという割合になります。
例えば、今回残されていた遺産である株式の価値が4億円だったとしましょう。すると本来であれば、妻側は3億円をもらえる権利があったことになります。それが遺言書により、ゼロとなってしまっている状況。
しかし、相続割合の3/4の1/2が遺留分となるため、3/8。つまり、遺留分としての額は1.5億円。妻には、1.5億円分を請求しうる権利があるということになります。
今回のケースでは、亡き夫の弟が、妻側に対し遺留分侵害分につき金銭にて支払うことになります。
遺留分の請求の時効は、1年
一般の人のなかには、遺留分に関する知識がない人も多いです。遺留分の返還を求める「遺留分減殺請求」の時効期間は1年となっています。
遺留分が侵害されていると分かって、1年を経過することで時効によって請求はできなくなってしまいます。
法的知識がないというのは言い訳にはなりません。ですから、遺言書を見て疑念を抱いたのなら、早めに専門家への相談が必要です。
監修:青木聡史弁護士
【プロフィール】
弁護士・税理士・社会保険労務士。弁護士法人MIA法律事務所(銀座、高崎、名古屋)代表社員。
京都大学法学部卒。企業や医療機関の顧問業務、社外役員業務の他、主に経営者や医師らの離婚事件、相続事件を多数取り扱っている。
【著書】
「弁護士のための医療法務入門」(第一法規)
「トラブル防止のための産業医実務」(公益財団法人産業医学振興財団)他、多数。
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