外で自由に食事ができる素晴らしさを、改めて噛み締める機会が最近多いのではないだろうか。

レストランを予約してその予定を書き込むとき、私たちの心は一気に華やぐもの―。

なぜならその瞬間、あなただけの大切なストーリーが始まるから。

これは東京のレストランを舞台にした、大人の男女のストーリー。

▶前回:体調不良でデートをドタキャンした女。実は、男に隠しているまさかの秘密があって…




Vol.17 瑠璃(30歳)のリベンジ


『今日も最高でした!年内閉店とか悲しすぎる…あともう1回くらい来られたらいいなぁ

#エクアトゥール #グルメ好きな人と繋がりたい #予約の取れないレストラン』

朝。ベッドの中で、Instagramを見ていたときのこと。

相互フォローしている経営者仲間の、きらびやかな投稿が目に飛び込んできた。

― 『エクアトゥール』、年内に閉店するんだ。

レストラン名を見た瞬間、脳裏に浮かんだある男性。4年前に友達の紹介で出会った、外資系コンサルに勤める3歳年上の祐平くんだ。

長身だけど童顔で、性格は人懐っこく穏やか。とても年上には見えないような、可愛らしい人だった。

彼は、初対面のときから私に好意を持っていることを隠そうとせず、熱烈なアプローチをしてくれたし、私もまんざらではなかった。

そんな彼が、背伸びをして連れてきてくれたのが『エクアトゥール』。なかなか予約が取れないけれど席が取れたからと、私に声を掛けてくれたのだ。

そこで彼は、結婚を前提に付き合ってほしいと、告白してくれた。

でも……。


私は、その告白に返事をせず保留にした。

まだ彼への気持ちがあいまいだったこと、そしてなにより、仕事が忙しく、恋愛は二の次と考えていたから。

当時の私は大手化粧品会社のPR部署にいて、いつか起業することを見据え、結果を残そうと躍起になっていた時期だったのだ。

彼との連絡の頻度は次第に減っていき、結局そのままフェードアウト。

それから2年後、私は社員3名の小さなPR会社を立ち上げ、ちょうど同じ頃、祐平くんに恋人ができたことを風の噂で知った。

― あのとき、祐平くんの気持ちを受け止めるだけの余裕があったら、今頃は……。

『エクアトゥール』閉店の寂しさとともに、そんな思いがよぎった。






「瑠璃さん、明後日お誕生日ですよね。おめでとうございます。私、今週の出勤は今日で最後なので、先に渡しておきますね」

社員たちがちらほらとお昼休憩に入り始めた頃。業務委託の未華子ちゃんが、私のデスクにやってきた。

お祝いの言葉とともに手渡してきたのは、ラデュレのショップバッグ。中身は、マカロンだろうか。

「そんな、気を使わなくていいのに。ありがとうね」

「いえ。たまたまLINEに出てきたので、お祝いしないわけにはいかないなって思って」

未華子ちゃんのストレートすぎる物言いには思わず苦笑したが、彼女のそういうところは嫌いじゃない。

ありがたくプレゼントを受け取ったあと、ふとスマホを手に取る。

― そっか、LINEに誕生日が表示されちゃうのか。もう祝われる歳でもないし、なんか恥ずかしいな……。

設定を変えられないかと思い、LINEを開く。そして、トップページの「誕生日が近い友だち」をタップ。

そこに表示された名前とアイコンに、ハッとした。

― 祐平くん、今日が誕生日なんだ……。

今朝、思いをはせたばかりの彼が、再び頭に浮かぶ。まるで“引き寄せの法則”のようだった。

私は思い切って、彼のアイコンに触れる。彼とのメッセージは、3年前に「あけましておめでとう」と送り合ったまま途絶えている。

心臓をドキドキさせながら、時が止まったトーク画面に文章を打った。

『ひさしぶり。誕生日、おめでとう!』

メッセージを送り、すぐにアプリを閉じる。たったこれだけの文章を打つのに、変な汗をかいてしまった。

心をクールダウンさせようと、別のSNSアプリを開こうとしたその時。新規のLINE通知が届き、思わず指がそれに触れてしまった。

『瑠璃ちゃん、ありがとう! めちゃくちゃびっくりした(笑)』
『最近はどうしてるの?』

― 返事早っ!

私がLINEを送ってから、3分後に返ってきた彼からのメッセージ。少し間を空けるべきかと考えたが、すでに既読はつけてしまっている。

私はいつもよりゆっくりと、彼への返信を打った。




彼とのやり取りは、そのまま一日中続いた。

お互いの近況を伝えあって、会話が温まってきた頃。一番気になっていたことを、さりげなく聞いてみた。

『そういえば、結婚は?』

送ったあと、また秒速で既読がつく。緊張する暇もなく、彼からの返信はすぐに届いた。

『まだ独身! 彼女すらいない(笑)』

― そっか…。あのとき付き合った人とは、うまくいかなかったんだ。

彼が独身だと聞いて、少し……いや、かなり嬉しく思う自分がいた。

― 『エクアトゥール』、もう予約取れないかな……?

ふと4年前のあの日の苦い思い出がよぎり、明日返そうと思っていた彼からのLINEに、私は急いで返事を打つ。午前1時半を回っていたが、今しかこの思いは伝えられない気がした。

『ねえ。「エクアトゥール」、年内で閉店しちゃうんだって』

『もし予約が取れたら、2人で合同の誕生日会しない?』




彼を誘ってから1ヶ月半後。私は、タクシーで4年ぶりに『エクアトゥール』に向かっていた。

『閉店するんだ…寂しいね。ぜひ、一緒に誕生日会しよう!』

デートに彼を誘ったあの日、すぐにそんな返事をもらった。

しかし、なんといっても閉店間近の予約困難店。予約が取れるのかとやきもきしていたが…奇跡的にキャンセルが出たおかげで、この日を迎えることができたのだった。

お互いに誕生日はだいぶ過ぎてしまったけど、彼に会えれば、口実はなんだって良かった。

あれ以来、彼とは毎日連絡を取り合っている。私は、彼に対する気持ちがどんどん高まっていることを自覚していた。

と同時に、あんなに失礼な振り方をしてしまったのに、自分が彼に抱く気持ちは虫が良すぎるとも思って、タクシーの中で小さくため息をつくのだった。




「ここで、停めてください」

タクシーが止まったのは、ごくごく普通のマンションの前。外観だけでは、とてもじゃないが高級レストランが入っているとは思えない。

― ついに来ちゃった……。

純粋に料理を楽しみに思う気持ちと、久しぶりに彼に会う緊張で、心臓がバクバクと音を立てていた。

「瑠璃……さん?」

後ろから声を掛けられ、反射的に振り返る。

そこには、最後に会ったあの日と全く同じ服を身にまとった祐平くんがいた。




入店してカウンター席に腰掛けてから、私はバックバーに並べられたグラスを見つめる。

会話こそするが、なんだか気恥ずかしくて隣を向くことができない。対面の席じゃなくて良かったと、心から思った。

さっと出されたシャンパンで乾杯をして、牡丹海老のタルタルの上品な味わいに舌鼓を打つ。私が思わず「最高」とつぶやくと、祐平くんは嬉しそうに笑った。

「瑠璃ちゃん、本当に海老好きだよね。昔、ロブスターの美味しい店に連れて行ったら、すごく喜んでくれたよね。懐かしいなぁ」

彼の言葉に、胸が高鳴る。そんな前のことを、まだ覚えてくれていたなんて。

前菜を食べ終わると、すぐに次の料理がやってくる。

テンポよく運ばれてくる料理の数々とペアリングワインのおかげか、会話に困ることもなく、楽しい時間を過ごせていた。

重めの赤ワインを飲み干して、少しずつ酔いが回ってきた頃。気持ちが大きくなっていた私は、じっと彼の目を見つめ、思い切って口を開いた。

「祐平くんさ、今はいい感じの人とかいないの?」

私の質問に、彼は一瞬だけ驚いた表情を見せる。そして私から目をそらし、どこか気まずそうに小さくうなずいた。

「……いるよ。難しいかもしれないけど、アプローチしたいと思ってる」

その言葉に、私は酔いが一気にさめるのを感じた。

結婚を意識する年齢だし、何もないほうが不思議なくらいだろう。

― 4年前の気持ちなんか、とうの昔に忘れてるに決まってる……。

我に返った私は、「そうなんだ、頑張ってね」と精一杯の作り笑いをして、気まずさをごまかすように食後のコーヒーを流し込んだ。


「4年ぶりだけど、どれも本当に美味しかったね。今日はありがとう」

店から出て、私は努めて明るい声色で彼にお礼を伝える。落ち込んでいるのを絶対に悟られたくなかったから、彼より数歩前を歩き、後ろは振り返らないようにした。

「ちょっと酔っちゃったし、私は歩いて帰ろっかな。たぶん、20〜30分も歩けばうちに着くような気がするし。祐平くんはタクシー?」

数秒待っても返事がなかったので、さすがに気になって祐平くんのほうに視線を向ける。

彼は、黙ったまま私のことをじっと見つめていた。

少し距離を取っていた彼が、ゆっくりと私のほうに近付いてくる。そして彼はマスクをずらし、真剣な表情を見せた。

「4年前に諦めたつもりでいたけど…やっぱり、瑠璃ちゃんのことが好きです」




あまりにも予想外の言葉に、一瞬、時が止まったように感じた。

呆然と立ち尽くす私を見て、彼が急に慌て始める。

「ごめんね。一度振った男にこんなこと言われても、いきなり何って感じだよね。まあ、ゆっくり考えてくれたら良いから…」

「いや、あの、違うの。びっくりしすぎていて。えっと、気持ちは嬉しくて…!」

慌てる彼に対し、私もしどろもどろになりながら返す。住宅街なので声を抑えてはいるが、大の大人が2人して取り乱している姿は、とても滑稽に思えた。

「……とりあえず、2軒目行かない?そこで改めて、ゆっくり話そう」

私の言葉に祐平くんは大きくうなずいた後、ぐいっと背伸びをして笑った。

「4年ぶりに来たけど、やっぱり『エクアトゥール』は緊張したなぁ。でもさ、お互いにちょっとだけ、この店が似合う大人になれた気がしない?」

彼の得意げな顔を見て、私も「そうかもね」と自信満々に答えた。

― 今日は2人で来られてよかった。

私は改めて、『エクアトゥール』の入ったマンションに向き直る。そして、心の中で精一杯の想いを込めて伝えた。

― たくさんの思い出を、ありがとう。

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