12年勤めた会社員の安定手放し、35歳で寿司職人に「決断まで3年悩んだ」女性が週2営業もファン絶えない人気店を作るまで
TBSドラマ「時すでにおスシ!?」の舞台にもなった寿司職人養成学校。12年勤めた会社を辞め、35歳で学校に通って寿司職人へ転身した女性がいます。現在、週2日の営業ながらファンが絶えない「鮨ゆう子」をオープンした鈴木裕子さん。しかし、安定したキャリアを手放す決断に至るまで、3年もの間、葛藤を抱え続けたと言います。
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寿司屋の娘が憧れたのは会社員だった
── 鈴木さんは新卒で就職した食品メーカーに12年間勤めていたそうですね。もともと実家の寿司屋を継ぐつもりだったのでしょうか?
鈴木さん:いえ、継ぐことはまったく考えていなかったです。むしろ、ずっと会社員に憧れていました。実家の店は祖父が始めたもので、その後、父が継いでいます。私が子どもの頃は、店がある建物の3階に住んでいて、店は生活の一部でした。学校から帰ってきても、店を通らないと家に入れなくて。寝る時と勉強する時以外は店にいて、夕食も兄とふたり、いつも店で食べていましたし、店を手伝うこともありました。自営業が当たり前の環境で、飲食店を経営している親族も多かったので、「普通の会社勤め」がしてみたかったんです。
── 憧れの会社員生活はいかがでしたか。
鈴木さん:入社の2年ほど前に女性の総合職採用が始まったばかりで、配属された営業職に女性は2、3人しかいませんでした。当時はまだまだ男社会だったので、女性だとちょっと舐められるというか、最初は当たりがきついなと感じることもありました。
初めて会うバイヤーさんに話を聞いてもらえないとか、当時はタバコを吸う人が多くて、喫煙室でタバコを吸っている間にそこで話していた他社さんに商談が決まってしまうとか。私はタバコを吸わないので、なかなかその輪に入っていけなくて。
でも少しずつ横のつながりができて、他社の営業さんからバイヤーさんに話を聞いてもらいやすいタイミングを教えてもらって。最終的には何度も喫煙室に突撃するように。担当者が根負けして、話を聞いてくれるようになったこともありました(笑)。
営業として3年ほど働いた後、マーケティングの部署に異動になりました。部署には男性しかおらず、女性がいたほうが会社としてメリットがあるのではという判断で声をかけていただいたようです。ただ、やっと営業で人間関係ができてきて、仕事が面白くなってきた時期だったので、1年くらいは納得できずに上司に突っかかることもありました。
だんだん仕事の面白さもわかってきて最終的には異動してよかったと思ったのですが、「納得できないまま物事を進めることが得意じゃない」と、そこで気づいたんです。
父の病気を機に職人への道を意識し始めるも
── 寿司職人になることを考え始めたのは、いつ頃からだったのですか。
鈴木さん:私が30歳を過ぎた頃、父が病気で入院したんです。店は兄が継ぐのかなと思っていたのですが、どうやらその気はなさそうで。「長く続いた店がなくなるのは寂しいし、もったいないな」と思いました。
私が小学生の頃は周囲も商店街として賑わっていたのですが、当時はうち一軒だけになっていて。高齢の方も多く、近くに飲食店も少ない地域なので、店を残す意味はあるとも感じていたんです。
会社員の仕事にはやりがいを感じていました。自分が企画した商品がスーパーに並ぶのは、やっぱり嬉しいですよ。鍋のつゆなど、いまだに残っているものもあるんですよ。ただ、基本的にB to Bの仕事なので、消費者の方と直に触れ合える機会はほとんどなかったんです。飲食店だったら、目の前で喜んでもらえることもあるし、自分の仕事の反応を直接感じられますよね。「お客さまの顔を見ながら仕事がしたいな」とだんだん思うようになりました。自営業なら自分でいろいろ決められますしね。
とはいえ、会社員と自営業では収入や生活スタイルは大きく変わります。両親の姿を見て、休みが少なく、朝から晩まで働き詰めなのは知っていましたから、「そもそもやっていけるのか」という不安は尽きず。実際に一歩を踏み出すには相当、勇気が必要でした。結局、会社員を辞める決断をするまで、3年くらい悩みました。
── がむしゃらに働いた20代を経て、30代で今とは違うキャリアを考え始める人は少なくありませんが、リスクを考えるとなかなか一歩が踏み出せないものですよね。最終的に「やってみよう」と決断した理由はなんだったのですか?
鈴木さん:30代半ばに近づいて、体力の問題なども考えたときに、「新しいことをやるなら今だな」と思えたんです。何事もやってみないとわからないし、最悪失敗しても、今ならもう一度会社員として就職できる年齢かなとも考えて決断しました。
── 誰かに相談されましたか?
鈴木さん:相談しなかったですね。子どもの頃から両親がお店で忙しく、なかなかゆっくり話す時間が取れなかったこともあってか、人に相談することが苦手で。自分で決めたいタイプなんです。それに、反対されたら迷ってしまうので。
父は自分の代で店を閉めようと思っていたようで、「店を継ぐ」と伝えたときは驚いていましたし、心配もしていたようです。
35歳からの修行。会社員経験が武器になった
── そこからすぐに寿司職人養成学校に行かれたんですよね。30代半ばからの職人修行、大変な部分もあったのではないでしょうか。
鈴木さん:今は父が引き継いだ昔ながらのやり方から変わってきている部分もあり、「新しいことは教えられないから、学校で学ぶのもアリなんじゃない?」と言われて、入学を決めました。学校は生徒の年齢層が20代から60代と幅広くて。趣味として来る方もいれば、海外で仕事をするためのツールとして学びに来た人もいて、目的がさまざまで面白かったですね。通学は2か月間だったのですが、大変というよりは楽しくてあっという間でした。
たとえば魚の捌き方を教わった日は、授業の後で習った魚を鮮魚店や築地に買いに行って、教室で練習するんです。特に骨の形がいびつで「捌くのがいちばん難しい」といわれる穴子は、授業ではみんなうまく捌けずにグチャグチャになってしまって。みんなで必死に練習しました。先にできるようになった人が他の人をフォローしながら、ワイワイやっていましたね。
── 学校を卒業した後は、恵比寿にある「鮨竹半 若槻」さんで5年間修行をされたそうですね。
鈴木さん:実家は昔ながらの店なので、違うスタイルのお店で勉強するほうが役に立つかなと思って、修行させていただくことに。学校に届く求人のなかから、先生に紹介してもらったお店です。
修行に入ったのが35歳で、教えてくれた方は10歳近く年下だったんですよ。年齢差があることで最初は気を使わせてしまったかもしれません。
── セカンドキャリアでは歳の離れた若い方に仕事を教わる場面も出てきますが、抵抗はありませんでしたか?
鈴木さん:当時は必死だったので、そこまで考える余裕はなかったですね。
お店で使う魚の量には限りがあるので、触らせてもらえる機会は限られていますし、失敗はできません。一度指導してもらったことを何度も聞くこともできないので、教えてもらったときの感覚を忘れないよう、魚を買って帰り、自宅で反復練習することを心がけていました。
── 当時はまだ女性の職人が少なかったと思いますが、修行先やお客さまからの反応はいかがでしたか?
鈴木さん:修行先は女性職人を採用するのが初めてだったので、白衣のサイズが合わなかったり、更衣室がなかったり、慣れていない部分はあったと思います。でも大将は性別で差別するような方ではなかったので、分け隔てなく接してもらえました。
修行を始めた当時は、年配のお客さまから「まだまだだな」と遠回しに言われたり、「大丈夫なの?」と不審に思われたりしたこともありました。でもそれはほんの一部のご高齢のお客さまだけで。「女性は初めてだよ」とか「なんで寿司職人になったの?」と面白がっていただくことが多かったですね。
── 5年間の修行で2番手にまでなられたそうですね。
鈴木さん:最後は、親方の隣で握らせてもらっていました。途中コロナ禍で辞めてしまう方がいたこともありますが、残ったメンバーのなかでは、年齢も重ねていて、接客に慣れていたからということもあったのかもしれません。
寿司屋のカウンター商売って、寿司を握る技術はもちろん必要ですが、寿司を出すタイミング、スピード感や間の取り方など、接客がものすごく大事なんです。そのあたりがおそらく若い職人たちよりも飲み込みが早かったこともあって、評価してもらえたのかなと思います。
── 5年間の修行を経て独立し、「鮨ゆう子」をオープンされました。 今の鈴木さんのお店の口コミをみると、お寿司だけでなく、鈴木さんとの会話や接客を楽しみに来られているお客さまも多いように感じます。
鈴木さん:私はただお話を聞いているだけなんですよ。会社勤めをされているお客さんもたくさんいらっしゃって、会社員の経験があるからこそ話がわかると感じることもありますし、営業の経験も生きているのかもしれないですね。それに目の前で喜んでもらえるのはやっぱり嬉しくて。お客様からもよく「楽しそうに仕事しているね」と言っていただいています。
35歳の決断振り返り「今思えばまだ若い」
── 今は週2回、自身のお店をオープンされ、他の日は実家を手伝われているそうですね。
鈴木さん:自分の店でやりたいこともあったし、将来的には実家を継ぐつもりでいるので、自分の店と実家の手伝いを両立できるように週2回に決めました。今は父も元気ですし、私は私でやりたいこともあるので、しばらくこのスタイルで続ける予定です。実家の店だと、常連のお客さまもいるので、なかなか新しいことができないんですよね。ただ、いつかは実家を継ごうと思っていて、そのときにどんなスタイルにするかはこれから考えていけたらと思っています。
── 鈴木さんがお店を手伝うようになって、お父さんや常連の方の反応はいかがでしたか?
鈴木さん:手伝いを始めた頃は、父からも魚の捌き方などを教わっていました。「自分の技術を伝えたいのだろうな」と感じることはありましたが、父は私の前ではあまり口に出さず。でも、常連のお客さまから「お父さん、喜んでいるよ」と聞くことはありました(笑)。
お客さまは「まだ来れるね」とか「頑張って長生きするね」と言ってくださって、本当にありがたいです。「息子を連れてくるから」と若い方に引き継いでくださる方もいて、次の世代に広がっていくのも嬉しいですね。
── 12年間会社員を経験したうえでの35歳の決断。今振り返って、どう思われますか?
鈴木さん:当時は会社員生活にやりがいを感じていましたし、自営業になることを考えると収入やライフスタイルが大きく変わる不安もあって、3年間本当に悩みました。でも会社員として働くなかで、自分の性格ややりたいことがわかってきて、少しずつ気持ちが変わっていったんです。
いつか自分で商売をしてみたいという気持ちも、ずっとどこかにあったんだと思います。最悪失敗してももう一度就職できる年齢だと思えたことも、背中を押してくれました。もし会社員を辞めなかったら「あのとき、辞めていたらどうなっていたんだろう」と今もずっと気にしていたと思うんです。
── それだけ真剣に熟慮を重ねた結果だからこそ、たとえ失敗しても後悔しない、前向きな気持ちになれたのでしょうね。
鈴木さん:ありがたいことに前の会社ともまだつながりがあり、応援してくださっていて。今は送り出してくれた方々の応援に応えたい気持ちも強いです。
それに、今思えば35歳は若いですよね。今は、70歳まで働く方も少なくないじゃないですか。その間で2回、3回と大きくキャリアが変わっていくこともよくあることなのかなと。思い立ったら実際に動いてみることが大切だと思います。
取材・文:竹田りな 写真:鈴木裕子

