前回:「もう少しだけ、このままでいいかな?」初デート中、東京タワーまでの道で突然手を握られて…



恋を教えてと言われた日に、はじめて手をつないだ。そして、その日から彼女との関係が始まったのだと言った大輝くんに私は聞いた。

「はじめて手をつないだ日に恋人になったの?」
「まあ、京子さんは既婚者なわけだし?オレが恋人って名乗っていいのかわからないけどね」

確かに。不倫という響きに嫌悪感を捨てきれない私にとっても、不倫相手を恋人だと表現されるのはちょっと…という違和感があるけれど、でも、大輝くんが、恋人という肩書を躊躇する様子には切なさを感じてしまう。

しかもその切ない関係が、手をつないだことで始まったのだというのだから、私は急に、大輝くんの左手と繋がれた自分の右手をソワソワと意識してしまい、落ち着かなくなってきた。

つないだ手が解かれたのは東京タワーに着いてから。購入済みの展望デッキへのチケットをスタッフの女性に見せようと、大輝くんがポケットから携帯を取り出した時。

チケットの確認が終わっても、手をつなぎなおす様子がないことにホッとしていると、大輝くんが小さく笑った。

「そんなにあからさまにホッとされると男は傷ついちゃうから気をつけて」

ちっとも傷ついていない様子でそう笑った大輝くんに、スタッフの女性が、こちらでタワーの歴史や周辺の説明などが流れます、とイヤホンとスマホ型の音声ガイドを差し出した。すると大輝くんは、ありがとうございます、でも、と言った。

「僕たち、今日がはじめてのデートなので、音声ガイドにも邪魔されたくなくて。音声ガイドはお断りさせて頂いてもいいですか?」


思わぬ断り方にうっかりときめいてしまった。ほら、スタッフさんも赤面してる…!ときめきを生む断り方なんてあるんだと感心しつつ、そうだ今日はデートを学ぶ日だったと思いだす。

その技を私に学べというのなら難易度が高すぎるよ、と、エレベーターに乗り込んでから伝えると、大輝くんは何の話?とばかりにキョトンとしていて、天然ときめき製造機な人ってつくづく恐ろしいなと思った。

地上から150メートルの高さにあるメインデッキという展望台までは一気に…と説明され、耳がキン、となりながら上がっていく。

そういえば東京タワーに昇るのは…と思い返してみると、上京してきてすぐの頃と、大学を卒業する記念にと勢いで、親友・友香と一緒に、という2回しかないことに気がついた。

スタッフの女性が、メインデッキまでは45秒です、と説明してくれた。エレベーターの扉が開き少し歩くと開けた世界に声が出た。どうしてこうも東京の夜景は美しいのだろう。

「今日は時間がないから、とりあえずもう一つ上に行こうか」

閉館まであと30分しかないから、と大輝くんに言われて、もう一つ上なんてあった?と思ってしまった。前回の記憶…5、6年前のことなのに、その思い出があやふやで曖昧になっていることに我ながら驚いてしまう。

もう一つ上、というのは、トップデッキと呼ばれる展望台で、ここからエレベーターを乗り換えてさらに100メートル上がるらしい。そのエレベーターを待っている間に、記念写真を撮るサービスがあるのでいかがですか、と言われて2人で撮ってもらった。

宝ちゃんと2人での写真って初めてでうれしい、と大輝くんが私の肩をぐっと抱きよせた瞬間、カメラを構えていたスタッフの男性がむせた。

気まずそうに謝る男性に、むせちゃう気持ち、よーくわかりますよ…!と心で同意を送る。いちいち甘すぎるんですよね、大輝くんが醸し出す雰囲気も言葉も。私はもう慣れましたけどね…!

そうしている間に順番がきて、エレベーターに乗り込む。さらに100メートルという浮遊感を経て、地上250メートルのフロアに降りると…息をのむ輝きとはこのことで、まるで引力でもあるかのように私は窓際へ吸い寄せられた。

窓の外…というより下には、360度、世界の端までちりばめられているかのような途方もない光の数々。それらの光が、フロアに飾られている鏡のオブジェに映りこむ仕掛けには、まるで万華鏡の中に立っているかのような気持ちになる。

過去の2回は昼間で、今回が夜景だからかもしれないけれど…前回は今ほどの感動を覚えた記憶はないなと不思議に思いながら、ただ見惚れる。

「大人になればなるほど、夜景が美しく見えてくる気がしない?」

いつの間にか隣にいた大輝くんが言った。

「あの1つ1つの光がさ、いろんな人たちが毎日頑張って生きてる証みたいなものじゃない?光の数だけ人生があって、それぞれが色んなことを抱えながら、辛くても生活を続けてる。そう思うと自分だけじゃないなって楽になるというかさ」

だから1人でもたまに来るんだよね、ここに、と続けた。

「こんなに沢山の光…人がいる世界でさ、出会って、しかも大切にしたいと思える関係になれるなんて、それだけですごいことだなって思うんだけどさ…」

思うんだけど…ともう一度繰り返した大輝くんはその先を迷ったように、言葉を止めた。私が急かさず待つとしばらくして、ふんわりとした笑みを私に向けてから言った。

「宝ちゃんはさ…そんな大切な関係に、名前って必要だと思う?」
「名前?どういう意味で?」
「友情か恋愛か。友達か恋人かってことだね」




大輝くんの視線が、ぐっ、ぐっ、と私に刺さってくる。ちょっと待って。この雰囲気は何?なにかと甘すぎるのは大輝くんの癖。癖だけれど、これはなんだか…。

「オレにとって宝ちゃんがどっちに属するのか、ちょっと今、わからなくなっちゃって混乱してる。手をつないでみたらわかると思ったけど、まだわからない。でも伊東さんとデートしてる宝ちゃんを想像すると少しイヤな気持ちになるし、たぶんデートに行って欲しくないんだと思う。

宝ちゃんへのモヤモヤっとした気持ち…それが友情か恋愛なのか……宝ちゃんは、どう思う?意見を聞かせて欲しくて」
「…ど、どう思うって、言われても…」


いくら恋愛に鈍すぎる私でも、大輝くんの質問の意図は理解できる。できるけれども!

「…もしかして、その、勘違いしてたら非常に、とても恥ずかしいんだけど、…もしかして私のことを恋愛的に思ってくれてるかも、みたいな話ってこと?」

いや、そんなこと万が一にもないとは思うんだけどね、とか、そもそも私に聞くことではないのでは?とか、大パニックになりながらの私の質問に、大輝くんは、コクン、と、まるで無邪気な子犬のような雰囲気で頷いたのだ。



「…大輝ってやっぱり、相当ヤバい奴だったんだな」

ヤバいってことは知ってたけどここまでとは…と呆れる口調ながらも、雄大さんはどこか楽しそうだ。衝撃告白by大輝くんの翌日、20時過ぎのSneetで。私は雄大さんに話を聞いてもらうことになった。

昨夜、なんとか帰宅した後、ぐるぐる悶々としてしまうことに耐えられなくなった私は、愛さんに話を聞いてもらおうとLINEを送った。

大輝くんとのやりとりを細かくは伝えなかったのに(というよりうまく説明できる自信がなかった)愛さんは流石の勘の良さを発揮してくれて、大輝のことなら私より雄大が専門だからと、雄大さんに相談することを勧めてくれたのだ。

愛さんとのやりとりのあとすぐに、相談ってなに?というLINEが雄大さんから来て、その、相談って何?の文字とにらめっこすること20分。

文字で説明することは不可能とあきらめて、会ってから説明させてくださいと謝り、今日の待ち合わせとなった。

「…まとめると、大輝は自分の宝ちゃんへの思いが、友情なのかわからなくなったと愚かにも宝ちゃんに意見を求めた。挙句、伊東さんとのデートにはいかないで欲しいとガキくさいアピールをして、フィジカルでも迫ってきたってわけね」
「…迫ってきたってほどでは…」

そう、実は昨夜。大輝くんの攻撃は、告白だけでは終わらなかったのだ。

22時30分という閉館時間が迫っていたこともあり、あの後すぐに東京タワーを出た。送るよという大輝くんを断ることもできず、混乱のままタクシーに乗って、六本木の交差点を西麻布の方向に曲がったあたりで、私の携帯が鳴ってしまった。

「遅くにごめんね。今仕事が終わって来週のスケジュールが出て。来週、平日の夜ならいつでも時間を合わせられそうなんだけど、宝ちゃんの予定はどうかな」

伊東さんからのLINEだった。やましいことなんて何もないはずなのに、なぜか私は焦り、思わず大輝くんを見てしまった。すると。

「…伊東さんから?」

素直に頷いてしまった私に、大輝くんはそっか、と黙りこんだ。何この空気…!?という居たたまれなさのまま、西麻布、私の自宅前に到着すると、そのままそのタクシーで帰宅すると思っていた大輝くんも一緒に降りてきて、タクシーを見送ったのだ。

― なぜ…!?

とにかく一刻も早く大輝くんと離れて整理する時間が欲しかった私は、なんとか平静を装い言葉を絞り出した。

「…今日はありがとうね」

精一杯の笑顔を作り、じゃあねと背を向けた私の腕がグッと掴まれ、気がつくと大輝くんの腕の中に引きまれていた。

「…今日はまだハグしてなかったから」

そうか、これはいつもの友情のハグだ。今日はありがとうのハグなんだから、うん、深い意味は全くないやつだ。そう心で唱えていた私に、大輝くんはとんでもない事を言ったのだ。

「…宝ちゃん、…もう1つだけ、確認がしたいんだけど」
「何?」
「ちょっとだけ、キスしてみていい?」
「…はぁ!?」


想像の斜め上どころではない提案に、一瞬フリーズ。けれどその後は、驚きすぎた反動か妙に冷静になり、ダメに決まっています、と静かなトーンで私は大輝くんの胸を押し、その腕から抜け出した。

「彼女がいるのに他の女の子にそんなこというのは最低です」
「……なんで急に敬語?」
「それに、ちょっと、ってなんですか?キスにちょっともいっぱいもあるんですか?それに、大輝くんは恋に一途な人のはずでしょう?」

― それにそれに!……私たちの友情の誓いはどこへ!?

裏切られた感か困惑か。とにかくとても腹が立って一気に言い切った私に、大輝くんはキョトンとした後、我に返ったかのように笑い出した。

「その通りだね、ごめん。オレちょっと今日どうかしてる。おとなしく帰ります。京子さんへの気持ちと宝ちゃんへの気持ちも、もう一回ちゃんと考えてみるから、オレのこと嫌いにだけは絶対にならないでほしい。約束してくれる?」

嫌いにはならないよ、と答えた私に大輝くんの笑顔がはじけた。

「恋愛でも友情でも、宝ちゃんのことが大好きってことは変わらないから。じゃあ、おやすみ!」

― あ、ウィンクした。

混乱する私をよそに、なぜかいつもの調子を取り戻して去っていく大輝くんの後ろ姿を、私は呆然と見送ったのだ。




本当は、キスしてもいい?と言われたことは、雄大さんには内緒するつもりだった。けれど混乱を1つ1つ言葉にしていくうちに、結局洗いざらい話してしまうということになったのだ。

「大輝の人生にとっては、いい傾向なんだけどね」

宝ちゃんにとっては災難かもしれないけれど、といいながら、雄大さんは終始上機嫌を隠さない。上機嫌のわけがわからず困惑しつつ、いい傾向ってどういうことなんですかと聞いた。

「宝ちゃんの言動って大輝にとっては驚くことばっかりなんだと思う。宝ちゃんがいろんな感情をアイツに教えてくれてるってこと。だから大輝にとって宝ちゃんがどんどん特別になっていくんだよ」

いつものラムのロック、その氷をカランと鳴らしてから、雄大さんは続けた。

「アイツは生粋の恋愛体質でもあるけどさ。恋愛に依存してるわけ。相手の欠けてるところを補う、助ける、それで大輝は満たされてる。依存されつつ依存する。まあ共依存の典型だよね」
「…共依存…」

大輝が育った環境を考えると仕方ないとは思うけど、という雄大さんの言葉に、雄大さんに出会ってオレは変われた、と言っていた大輝くんの言葉を思い出した。

「でも宝ちゃんは、今大輝が付き合っている人妻さんも含めて…アイツが愛して尽くしてきた女の子とは全く違うタイプなの。宝ちゃんは欠けてる部分もなければ、足りない部分を人に求めたりしないからね」
「いや、欠けてるところだらけですけど」

それは謙遜でも自虐でもなく冷静な自己分析です、と言葉を足した私に、うーん、欠けてるっていうのはそういうことじゃないんだよなぁ、と雄大さんは考え込むように黙り、今はうまく説明できないな、と続けた。

「でも安心していいよ。大輝が宝ちゃんに持ってる感情は、きっと恋愛感情じゃない。それよりもっと…本質的なというか、大輝の核に触れてる何かなんだと思う。

アイツ、今は混乱しちゃってるみたいだから宝ちゃんに迷惑かけて申し訳ないけど、もう少しだけ付き合ってくれない?アイツが自分で答えをみつけるまで」

お願いしますと頭を下げられ驚いた。雄大さんが大輝くんを大切に思っていることはわかってはいたけれど…私が思うよりもっと、2人の絆は深いのだろう。

恋愛感情じゃない。そう断言してもらえたことにひとまずホッとして、わかりましたと答えると、感謝するよ、ともう一度頭を下げられた。

「大輝ってさ。恋愛で自分の飢えが満たされると思ってる。でもそんな動機で始まる関係がうまくいくわけないでしょ。恋愛上手なフリして実は恋愛下手。まあ恋愛に限らず、自分の思いよりも誰かの思いを優先しちゃう奴だから。

欲しいものへの要求も中途半端で、ずっと我慢強い子どものままというかさ」

体だけ大きくなっちゃって、心の成長がねぇ…とまるで、親戚のおじさんが甥っ子を心配するような口調になった雄大さんに思わず笑ってしまった。

「たぶん宝ちゃんみたいな人に出会ったのは、はじめてなんだよ」


ああ、それはその通りだと思う。

「つまり私が、大輝くんがはじめて出会った庶民属性の人間だからですよね。ただ物珍しいだけというか。それなら納得です」

庶民!!と雄大さんが爆笑した。いや、普通の人だと爆笑という表現には全然届かないけれど、普段笑いのメーターが低い雄大さんにしてみればという意味で、驚く程の爆笑だ。

その笑いを引きずったまま、でもさ、と雄大さんは言った。

「もし、2人の間に本当に恋愛感情が芽生えるとしたら…オレ賛成派。大輝を実りの無い恋愛依存体質から救い上げてくれるなら、オレ宝ちゃんにどんなお礼だってしちゃうよ」
「……雄大さんには、伊東さんとの恋愛を勧められてると思ってましたけど」

うーんどっちも捨てがたいね、と笑った雄大さんは、やっぱりまた、上機嫌を隠せていなかった。



雄大さんが、送って行くよ、と言ってくれたけれど、大丈夫ですと遠慮させてもらった。

まだ22時を回ったところだったし、sneetから自宅までは歩いて5分もかからない。それに街灯も人通りも多い街なのだ。そう言って雄大さんと別れて店を出た。

― そういえば伊東さんに返信できてなかった…!

連絡には即レスが基本の私が、昨夜は動揺のあまり忘れてしまっていたことに気がつき、バッグの中から慌てて携帯を取りだした。今ならまだ返信しても許される時間かな…とぼんやり歩きながら視線を携帯に落とした時だった。

「…痛った!」

男の人にぶつかってしまった。慌ててすみません!と謝ると、あれぇ〜大輝のお友達の子じゃん、と、テンション高めの声にハッとした。

― …エリック、さん…?

男性の3人組。他の2人には見覚えはないけれど、1人は、以前大輝くんにクラブのような場所で紹介された大輝くんの幼なじみのエリックさんだった。

確か語学アプリの会社の社長で…と記憶を手繰り寄せる作業の中で、ふといつかの雄大さんの言葉も引き出されてきた。

「エリック。アイツにも気をつけとけよ。今、アイツの会社、経営うまくいってないの知ってるか?だいぶグレーな商売にも手出し始めてるって話だし。かなりギリギリなことやってるらしいから、距離とれよ。だいぶ胡散臭くなってきてるぞ」

そう大輝くんに忠告した雄大さんに、アイツらを悪く言わないでと大輝くんが拗ねたんだった…と思い出していると、確か、たからちゃん、だったよね?とエリックさんに微笑まれた。

「今日は大輝と一緒じゃないんだ。オレら今から飲み行くけど、一緒に行く?」

行く?と聞きつつ肩に腕が回された。強いアルコールの匂い。ぞわっという嫌悪感と共に反射的に逃れようとしたけれど、逃がしてもらえなかった。

「もう今日は帰るので…放してもらえますか?」

丁寧に、でも怯えが伝わらないように伝えたつもりだった、でも。

「そんなに怖がらなくてもいいじゃーん。いこいこ!」

― 酔っぱらってる…。

出会ったあの日とは別人のようなテンションのエリックさんは、私の肩を掴んだまま離さない。強い力をふりほどくこともできず、他の2人にも、腕を引かれ、背中を押され、どんどん望まぬ方向に連れられていってしまう。

「ちょっと、放してください!」

すれ違う人に気がついてもらえるように、大きな声を出してみたけれど、みなが知らんぷりで通り過ぎていく。

「この辺りで生活するなら、宝ちゃんも知っとくべきだろ。そういうヤバさに巻き込まれないためにも嗅覚を鍛えないと、この辺りでは遊べない」
「結局、どこに住んでも100%安全なんてことはありえないんだから、常に危機管理と自己責任ね」

雄大さんと親友・友香のいつかの忠告を思い出したところで、もう遅いのだろう。私は携帯に気をとられて歩いてしまっていたことを、ただただ、後悔した。

そして。

どうにもできずに連れられていく、この時の私に…。気がついてくれた人がいたことを、私はのちに知ることになる。

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次回は、7月13日 土曜更新予定!