リカ:出産予定日1週間前


お風呂上がりに全身鏡に映った自分の体を見て、複雑な気分になった。

出産予定日を間近に控え、お腹が日に日に大きくなるにつれ、自分の体でなくなっていくような感覚に陥る。

10代の頃からストイックに管理してきた体型が、あっけなく崩れていく。

不安に駆られてネット上に溢れる情報を読み漁ると、衝撃的な妊娠線の写真や壮絶な出産レポートが目につき、ぞっとしてしまう。

万が一妊娠線ができてしまった場合は、もう二度とビキニなんて着られない。電気を消さなければ、夫に裸を晒すこともできなくなりそうだ。

― まだ20代なのに、そんな事態には陥りたくない…。

出産をスムーズに行うために、陰部を切って何針も縫うこともあるらしい。

“計画無痛分娩”を選択できたことが唯一の救いだが、麻酔が効かないこともあるし、場合によっては自然分娩や帝王切開になる可能性もあるとか。

陣痛の痛みは手指の切断と同程度で、全治1ヶ月以上の交通事故ほどのダメージといわれている。

― なんで女ばっかり、こんなに負担が大きいの…?

「赤ちゃんが健康に産まれてくれさえすれば良い」という、聖母のような心境にはなれなかった。

妊娠したって出産したって美しくあり続けたいという強迫観念にとらわれ、6万円を超えるゲラン オーキデ アンペリアルの美容液とクリームをお腹に塗りたくる。

すると、お腹に張りを感じ、その後すぐに生理痛のような鈍い痛みが打ち寄せた。

― これは、もしかして……。

いよいよ出産…!?何不自由なく生きてきたセレブ女が号泣したワケとは…

急いで病院に連絡をすると、電話口の看護師は落ち着いた様子でこう言い放った。

『陣痛ですね。でも初産ですから、もう少し陣痛の間隔が狭まってから病院に来てください』

出産予定日よりも早く陣痛が来てしまったらしく、慌ただしく入院の支度をすることになった。

まだ耐えられる程度の痛みだったため、顔にクレ・ド・ポー ボーテのル・フォンドゥタンを塗ってすっぴん風美肌を作り込み、ヘアビューロンをあてて艶々のストレートヘアを完成させた。

この期に及んでも、出産直後に撮るであろう写真映えを気にして、美しさに固執している自分に呆れてしまう。


ラペルラのシルクパジャマをガーデンパーティに詰め込んだところで、痛みの波が襲いかかる。

― あ、だめだ、どんどん痛みが強くなっていく…。

クローゼットルームにうずくまってマサルに電話をかける。

しかし、無機質なコール音が繰り返されるだけで、彼は一向に電話に出ない。

計画無痛分娩の予定だったため、出産予定日は夫も休みを確保してくれていたが、今夜は会食をしているはずだ。

しびれを切らした私は、震える手で運転手を手配し、病院に向かった。


女優として生きてきた私は、穏やかな妊婦を上手に演じられると思っていた。

お得意のポーカーフェイスを保っている間に麻酔が効いて、女神のような微笑みを保ちながら、冷静に出産できるはずだと思い込んでいた。

しかし、現実は残酷だった。

想像を遥かに超える痛みが打ち寄せ、全身から冷や汗が吹き出し、顔が歪み、悲痛な声が漏れる。

「早く…、早く麻酔をかけてください…」

「リカさん、もうちょっと頑張ってね。今お産が何件か立て込んでいて…。満月の夜って本当に予想外の出産が多いのよ」


眉間にしわを寄せて麻酔を懇願する私を、助産師は必死になだめるが、待てど暮らせど医師が現れない。

この病院は私のように計画無痛分娩を選択する人が多いが、今夜は出産予定日前に陣痛を起こした人が何人もおり、イレギュラーな状況のようだ。

命を扱う現場の“最前線”では、有名人だからといって、特別扱いされたりすることはないのだろう。

「…痛いっ!!」

お腹を刃物で刺されるような鋭い痛みに襲われ、人目もはばからず悲鳴のような大声をあげてしまった。

陣痛の間隔がどんどん短くなり、とっくに限界を超えた痛みが無限に更新されていく恐怖に打ちひしがれる。

「もう、無理です…!助けて…!!」

泣き顔で天を仰いだ瞬間、ようやく医師が現れた。

リカに訪れた心境の変化とは…?

「リカさん、お待たせしました!今から硬膜外麻酔を打つので、横になって背中を丸めていただけますか」

しかし、体を滅多刺しにされるかのような痛みが引っ切りなしに訪れ、うまく体勢を整えることができない。

「……お産の進みがとても早く、子宮口が十分に開いています。麻酔を打たずに自然に分娩した方がスムーズかもしれません。今から麻酔を打っても、十分に効く前に産まれる可能性があります」

「もう、いいです…、なんでもいいので…、とにかく楽になりたい…」

もう既に、バキバキと音を立てて骨盤が砕けていくような感覚があった。苦しいのは私だけじゃない。一刻も早く赤ちゃんを産んで、外の空気を吸わせてあげたい。

「リカさん、赤ちゃんの頭が見えました。次に大きな痛みを感じたら、思い切りいきんでください」

夫の付き添いがなく、一人で分娩台に乗った時は不安でいっぱいだった。でも今は、赤ちゃんと一つになって二人三脚で頑張っている感じがする。

「赤ちゃんのために出口を少しだけ切開します。綺麗に切って縫いますから、裂けるよりはマシです」

「赤ちゃんのためなら…なんでもお任せします…」

あそこを切って縫うなんて、絶対に避けたいと思っていた。

それなのに、この時は自分のことなんてどうでもよくて、とにかく赤ちゃんが健康に産まれてくれることだけを願っていた。


― こんな姿、マサルにみせられないや…、

マサルが立ち会わないでくれて心底良かったと思った。私はやっぱりこんな姿をマサルにさらけ出すことはできないし、彼も受け入れることはできないはず。

でもこの世には、壮絶な出産を一緒に乗り越え、共に感動を分かち合える夫婦たちが山程いることを思うと、少し羨ましくなってしまう。

「あと少し、頑張れ…!」

私は無意識に、声を出して赤ちゃんを応援していた。

これまで自分のことが一番大切だと思って生きてきたけれど、今はもう自分よりも圧倒的に大切な存在がいることを全身で実感している。

歯を食いしばり、顔をしかめながら、腹の底から獣のようなうめき声を出していきみ続けた。

最後の力を振り絞った瞬間…。

どゅるんと何かが滑り落ち、全身が脱力した。

「ほぎゃ〜、ほぎゃ〜、ほんぎゃ〜」

赤ちゃんの産声が聞こえ、ようやく自分が出産を終えたのだと認識した。

「可愛い」と思う余裕などなく、「無事に産まれてくれてよかった」と安堵の気持ちに浸りきる。妊娠中、辛かったことが、全て報われたような気がした。

「可愛い女の子ですね!リカさんはミルクの予定なんですよね。でも、初乳はあげてみますか?赤ちゃんを守ってくれる免疫物質が含まれているんですよ」

産まれたての赤ちゃんを胸の上に置かれ、両手で包んだ。


泣き声も、皮ふも、表情も、全てがほわほわと柔らかく、尊かった。

小さな命の温もりを実感すると、急に涙がボロボロこぼれ落ちた。

経験者であるアサミやマコ、それから夫も、母乳をあげると胸が萎むので薬で止めてミルクで育てることを勧めてきた。

しかし、いざ赤ちゃんを目の前にすると、自分の胸のことよりも、赤ちゃんのことを一番に考えたくなってしまう。

「薬で母乳を止めるなんてバカみたい…。私…、誰に何を言われようと、あなたを最優先に生きるって誓うね」

その瞬間、視界が真っ白になり、意識がふわっと遠のいた。

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リカは無事?マサルは一体どこ?